第一話 「地下に降る血の雨」 chapter 9
情報共有をそこそこに切り上げた黒猫は仄かに火照る体で昼下がりの町へ繰り出した。
山田組がかつて銀猫と抗争状態になった時、何故休戦協定という白黒の付けられない結末に落ち着いたのか。銀猫の人物像を知る程、黒猫はそこに納得が出来ない。
性格上揉めたのであれば、とことんまで揉めに揉めてどんな形であっても勝利をもぎ取ってこその銀猫である。正義だ悪だと勧善懲悪で片が付く話ではない。血で血を洗う醜い争いがあった、そうしたやり方が現状やくざ者の勢力を二分する結果になった筈なのだ。
悪事を働くのはやくざ者だけではないにしろ、銀猫が数多犇くやくざ者を力で捻じ伏せた武勇伝は酔った彼から散々聞かされていた。その話通り、実しやかな噂通りの出来事があったとすれば尚更手緩い結末には疑問が浮かぶ。
煙草の煙を吐き出して、黒猫は夕焼けが滲み始めた空を眺める。真鍋の情報から次の一手を考えなければならない。
山田組の分派を一つずつ潰して回れば、二人の警護依頼は完遂される。しかし山田組は分派が更に枝分かれし膨大な勢力図を誇る集団。数の暴力は凄まじく、分派同士はそれぞれに鎬を削るとされている。
彼らが一致団結するのは明確な敵が現れた場合のみで、組総出で敵対者を追い詰める祭を始める。普段こそ馴れ合わない分派同士がこの時ばかりは仲良しこよしで名誉と義理に燃え上がる。
ただの客と店主の関係にしては事情に詳し過ぎる栗原の話を聞いて、黒猫は何となく感じていた疑いに明確な答えを得る。事態がどのように転んでも彼を生かして利用するリスクは計り知れない。扱いに困る前に殺す方が賢明とさえ思えた。
思考に耽り崩れ落ちそうな灰が今にも重力に負ける瞬間、黒猫の耳に通話を知らせる人工知能の声が届く。咥えていた煙草を通りに吐き捨てて相手を確認する。
「登録されていない連絡先です。拒否しますか?」
エルの抑揚のない声が選択肢を提示する。仕事の依頼を受けていなければ相手にする気も起きないが、山田組との一連の諍いと無関係には思えなかった黒猫は通話を許可する。
「ーー黒猫さん? 私、相川だけど」
指向性スピーカー越しにも伝わる甲高い声がして、黒猫にとって予想外の相手が電話口に立っていた。
「何で番号……ええわ、何の用や?」
質問しようとしてすぐに答えに思い当たった黒猫は無駄を省く為に用件を聞いた。
「お願い! 今すぐ来て!」
猪突猛進を絵に描いた人間性を発揮して相川は一方的に用件を伝えると通話を終わらせてしまった。
嫌悪感しか感じない彼女の行動に一瞬呆気に取られていると、エルから位置情報の通知が届く。了解すらしていない案件を勝手に進める傍若無人さと独り善がりな行動は宛ら銀猫のようにも思える。
警護対象の相手からの呼び出しでなければ意にも介さない存在である相川の元へ、黒猫は仕事だと自身に言い聞かせて無人タクシーを手配した。
命の危険に晒されている事をまざまざと現実問題として思い知らされた彼女が、一体黒猫に何を求めているのか。
目的地を設定した黒猫は直様白猫に状況の説明を訴求する。勝手に連絡先を教えた件は捨て置くにしても、意味不明な状況を把握しているかを共有する必要が出てきた。こうした煩わしさは一人で仕事をしていれば感じる事もなかった筈である。
一向に折り返しのない白猫を不審に思いながらも無人タクシーは目的地へ走る。山田組の動きよりも警護対象の動きに振り回されるとは想定外でしかなかった。
十分程車で移動した先で指定された目的地に到着する。黒猫の相貌には町並みに溶け込めていない石造りのギリシア様式風外装が主張を激しくするホテルが聳え立っていた。逢引連れ込み誰そ彼のある意味男女の戦場とも言える場所に相川から呼び出された。
目的を一切理解出来ない黒猫は、着信履歴から彼女に電話を掛けた。なり続くコール音と耳障りに感じる程の時間が流れ、割り込むメッセージの通知がエルから届く。
四桁の数字のみが送られて黒猫の嫌な予感は大方理解出来た。突拍子のない話でまるで辻褄も合わない相川の真意を問い質す為に、黒猫は渋々ホテルへと入っていく。
エレベーターを上がり指定された部屋の前に立つと、ドアノブに手を掛ける前に無駄に豪華な装飾が施された扉が開く。中から覗く相川の瞳は既に恍惚に微睡み、居酒屋で見た姿とはまた様相を変えていた。
「何のつもりや? おいお前、状況分かってんのか?」
不機嫌な顔で睨み付けて黒猫は食って掛かる。戯れに付き合う義理は彼にはなかった。
「そんなとこにいないで入ってよ」
仄かに漂う薔薇の香りを纏った相川は険しい黒猫の表情を物ともせずホテルの一室に手招く。アルコールも摂取したのか足取りも乱れている下着姿の彼女に黒猫は仕方なく従うしかなかった。
大きな天蓋が部屋の中央にあるベッドを際立たせ、間接照明と紅く燃える夕焼け空が絵画のようなコントラストを生む。黒猫にとっては居心地の悪いラグジュアリーな空間に、相手として不満しかない相川と二人きりになってしまった。
「……やっとんなお前。破滅願望か? 薬キメて俺呼び出しよって、欲求不満か?」
壁際のドレッサーテーブルに散乱するパステルカラーの錠剤と飲み残したテキーラカクテルの瓶、黒猫はどこか腑に落ちたような顔で相川を一瞥する。
「楽しいよ? 愛美はああいう子だから、何も教えてないけど」
焦点の定まらないジャンキーはベッドに腰掛け体をくねらせながら艶やかに言葉を並べる。退廃した彼女の雰囲気とは裏腹に、言葉だけは年端も行かない少女のようでもある。
室内は薔薇の香りに満ちていく。雨の多いこの時期にわざわざ炊かれた加湿器の水はピンク色に染まっていく。
パステルカラーの錠剤には本来的な意味合いの成分と一緒に、様々な追加効果を施す成分が混成される。安く手軽に楽しめる代わりに、徹底的に転落した人生を約束される優待特典が付く。何でも揃う裏社会には、堕落と快楽で溢れ返っている。
あらゆる想定の中で最も陰湿で狡猾な相川真琴の本当の姿が、黒猫には歪で奇っ怪な化物のように見えた。
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