第一話 「地下に降る血の雨」 chapter 6

 斉藤の口から語られた依頼内容は身辺警護であった。黒猫によって尊厳を守られたかに見えた彼女は再びその身を危険に晒されている事を知ってしまう。元の依頼主である彼女の父親は娘の危機に金を出し惜しみしない腹積りである事に変わりはないが、それにも限度があった。

 この時になって初めて、黒猫は斉藤愛美という女の詳細な人物像を知る。背格好は黒猫と変わらないが十九歳で自身や白猫よりも歳上である事と、本来であればやくざ者と関わるには余りにも不釣り合いな程清く正しい箱入り娘である事。突然裏社会の事情に巻き込まれた不幸な被害者にして、唯一の救いが山田組の人間と大して違わないやくざ者の黒猫になってしまったと言う数奇な人生であった。

 依頼人についての情報は必要最低限しか取り込まず、顔と名前だけ分かれば後は何事にも無関心に仕事を終わらせてきたのだ。他人に興味を示さないこれまでの黒猫は、白猫という教育係の存在によってアップデートを強いられる。改善か改悪か、その答えは未だ分からないままに。


「話は分かりました。しかし、わざわざ対面してまで伝えたい事があるようですね」

 神妙な顔付きで白猫は斉藤に話題を切り出す。相手の目を見据えて、その気持ちを理解しようとしているように思えた。

「友達も危ないんです。一緒にその子も守ってほしくて、お金なら私が用意します。是非よろしくお願いします」

 決意を改めて覚悟したような表情と声音で、斉藤は頭を下げる。

「頭を上げてください。その友達という方について詳しく教えて頂きたいのですが」

 言葉を取りなして足りない説明の続きを白猫が求めた。


 斉藤曰く、その友達は金銭的に余裕はないものの頭脳明晰で品行方正を絵に描いたような女である。

 やくざ者と大凡関わり合う機会はない筈の彼女達が、ある日突然人身売買の商品として拉致されてしまった。突然取り囲まれ何も理解が及ばないままに事務所へと連れ込まれた時の恐怖は今尚心に深く傷を残している。

 何より心を蝕んだ記憶は、事務所で品定めをするとある男の眼差しであった。

 痩せ身の細長い男は他の人相の悪い連中よりも邪悪で悍ましい印象を受けた。怖い理由を説明出来ない怖さがその男にはあったらしい。

 数日後斉藤の友達に宛てたメッセージが届いた時、背筋が凍る感覚を味わって寝付きの悪さに拍車が掛かった。


「ーー前より可愛くなった、そんなメッセージが来たようです」

 自らの肩を抱き、震える肩を押さえる斉藤の目は絶望感に満ちている。


「何にせよや、その連れは自衛も出来ひんのにこの場にも顔出さん奴って事やろ?」

 黒猫はその場の空気など露知らず、斎藤の話の留飲出来ない部分に突っ込みを入れる。友達と言えどもそこまでして守る価値を問う彼の口下手が発動した。

「でも、ほっとけないんです。だから私が依頼を出すんです」

 あの日の夜、黒猫に言い負かされるだけの斎藤ではなかった。筋道を通す意気込みが弱さの中で静かに漲っていた。


「――あんたの負け。クライアントの意見は絶対だから」

 喫茶店を後にして、斎藤を見送る白猫は背後で煙草を燻らせる黒猫に言い放つ。

「俺がいつ勝負したんや? 腹決めたか確認しただけや」

 何とも思っていなかった筈の黒猫が、白猫に指摘された事で妙に腹立たしく感じてしまった。つくづく反りが合わない事を胸に秘めて、夕焼けに滲む茜空を睨み付けて歩き出した。


 数日後、黒猫は夜の繁華街を歩いていた。無言で数歩前を颯爽と歩く白猫についていく行き先はとある居酒屋である。

 結局の所、斎藤の言う友人を含めた身辺警護は当人の行動に左右される。守りたい人間を守りたいように守るには理解と自制が必要になる。半ば強引に、友人だからという理由でおいそれと守る事は不可能である。

「友達の相川真琴です。で、こちらが私達を警護しても――」

「警護とか本気で言ってるの? 確かにあいつはやばいのは分かるけど、お金の無駄だって」

 燃え盛る太陽のような眩しささえ感じる派手な女が斎藤の紹介を遮って言葉を挟み込んだ。自己主張の激しい金髪に濃いアイメイクは記憶に深く刻まれる印象強さがあった。

 黒猫にとって苛立たしい最もな点が甲高い声にある。耳を劈くような喧しさは思わず手を出してしまいそう程に癇に障った。何より斉藤愛美との温度差は彼に強烈な違和感を与えて、喉に棘でも刺さったような異物感を強調しているようでもあった。

 斎藤の話から連想される大凡の人物像とも違う相川に、流石の白猫も戸惑いを見せた。他人の話を聞かない人間を相手にする事がどれ程に困難であるかを日々思い知っている彼女には、相川がよく知る誰かと重なっていた。

 当の本人が状況を理解しているのか顔合わせに指定された居酒屋は個室こそあれど、警護をするには少々難ありである。入口から最も奥に位置している点以外にまともな妥協点はなかった。


「とにかく、私達が相川さんも斎藤さんも守ります。当面の間はこちらのスケジュールに合わせて頂かなくては守りようがありません」

 誠意を尽くして話を進行する白猫は、品定めするような相川の視線を苦笑いで乗り切る。

 白猫の悪戦苦闘ぶりは凄まじく、終始話が脱線しては軌道修正してと兎に角回りくどかった。

 喫茶店での打ち合わせの時同様、余計な口を挟まないように事前通達された黒猫は早々に酒盛りを始めていた。白猫の笑顔で繕いながらも怒りが滲み出る一瞥など気にも留めない剛胆さで酒を煽り続けた。


「お待たせしました! ご注文の品をどうぞ!」

 配膳ロボットがモニターに笑顔を投射して溢れんばかりのメニューで埋められたテーブルを更に埋め尽くす。調理から配膳まで全てが自動で行われる飲食店には無機質なマニュアルだけが取り残されている。

 

 黒猫はこういった店が苦手であった。あらゆる場所が監視され、対面するのは機械のみ。人工知能であるエルと会話して成長させるような、そんなうすら寒さを感じてしまうからである。

 他人同士が無暗やたらに馴れ合う事も望まないが、彼自身が機械の目もといカメラが気に食わないという筆舌に尽くしがたい気持ちがあった。

 わざわざ顔を突き合わせて何を説明する必要があるのか、未だに黒猫は疑問を拭えないまま夜が深まっていく。


「白猫ちゃん? もう分かった。言う事聞くからさ、もう飲んじゃお」

 頬を赤らめ呂律に酔いが回り始めた兆しを見せる相川が堅苦しく懇々と話を続ける白猫に酒を勧めた。このような状況でまるで命に執着しない空虚な瞳が白猫を射抜いていた。


 すぐ傍、居酒屋の前に集まりつつある不穏な敵意が、彼等の命を獲らんと舌なめずりしている事も知らずに。

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