יב
船を漕ぐ。
手探りに探り出す航路。汎ゆる物事が未知であり、羅針盤などあるはずもなく。すべては己の裁量と、願いを抱く気持ちの強さに。そう、願い。願いと、約束。二人で交わした、二人だけの約束。ラトヴイームを、通じた誓い。
ミカはぼくを探すだろう。泥の底から、沈むぼくを見つけたように。どれだけぼくが隠れようとも、彼は探し続けるだろう。それがどれだけ掛かろうとも、それが例え永遠に等しかろうとも、ミカはぼくを探すだろう。
ミカは必ず、いまもぼくを探してる。
ミカを助けられるのはきっと、ぼくだけだ。ぼくを探すミカを助けられるのは。そしてミカを想うぼくを助けてくれるのもまた、ミカだけ。助けることと助けられることはきっと、同じなのだと思う。幸せも不幸せも、共有し分かち合うものなのだから。そのために備えられた声であり、言葉であり、心なのだから。
ぼくらは人間なのだから。
船を漕ぐ。果てなき道を探り探りに、けれども櫂は止めずに進む。やがてぼくは――私は年老い、父の死んだ年もとうに過ぎ、潰れた目には何も映らず、櫂持つその手も皺に塗れた。己を支える力を失い、膝をついて倒れかけた。
それでも私は漕いだ。
漕いで。
漕いで。
漕いで。
彼の下へ。
果て先へ。
彼の待つ果て先へ。
いつからか、音が聞こえなくなった。感覚が失せ、己が立っているのか横たわっているのかも判らなくなった。それでも私は漕いだ。櫂を動かす感覚が、水を掻く感覚が伝わらなくなった。それでも私は漕いだ。生きているのか死んでいるのか、それすらも判らなくなった。それでも私は漕いだ。右の小指の指環だけは、確かにそこに在ったから。だから、私は、漕いだ。
そして――遥か彼方に、何かが見えた。光を失した瞼の裏に、映るはずのないそれらの光が。三重光輝の楕円の輪。きらきらと星のように輝く、その――。
漕ぐ。漕いでいるのか判らなくとも、漕ぐ。光が近づく。光の輪へと少しずつ、少しずつ、けれど着実に、近づいていく。そして私はそれを――第一の輪を、くぐる。
声が、聞こえた。
喪われた視界が、音が、甦った。皺は消え去り、力がもどり、私がぼくへと還っていく。いつかのぼくらのあの頃へ、彼と生きたあの頃へ。第二の輪を、くぐる。
声が、聞こえた。
初めに言葉があった。言葉は光と共にあり、言葉は光であった。己を灯す、小さな光。彼と我とをつなぎて結び、そこに在ると教え報せる。言葉があった。ぼくたちの間にはいつも、言葉があった。彼はいつでも、言葉とあった。故にぼくも――ぼくらの結びも、また、言葉。
最後の輪を、くぐった。
声が、聞こえた――。
――声を、返した。
もーいーよ
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