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「儚い野心も、これで終いか……」
「ああ、その通りだバチカルの暁光。いや――」
そう言って私は“敵”の目の前に、アドナから授かった水晶剣を突きつける。
「独冠王」
「はは、ずいぶんと大仰な異名をもらっちまったな」
クリフォトの大樹を背にした男は茶化すように軽口を叩き、けれども満身創痍のその身体をよろめかせて痛みにうめいていた。……同情は、しない。やつの周囲に転がる無数の死体。これらはすべて、この男が生み出した光景なのだから。クリフォトの化身、悪徳の主たる独冠王の。
「どうした、やれよ」
口の端から血を滴らせ、独冠王が不敵に笑う。嘲り、挑発するような態度。神と王と人の敵。生きとし生ける者の反逆者。この男を滅すること。それこそが私に課せられた天命であり、恒久平和を実現するためになくてはならない一事である。だから私は、この男を殺さなければならない。他の誰でもない、使徒王<すべての人の模範にして規範>である、私が。
だが。
「……いやだ」
独冠王が私を見ている。先程までのへらへらした態度ではなく、怒ったような顔をして。でも、いやだ。だって、だって。だってだってだって……。
「どうして……どうして君なんだ。君じゃなくてもよかったじゃないか。他にもっと……もつと他に、誰でもよかったじゃないか」
「俺以外の誰にできたさ」
「だとしても!」
だって君は、君と私は――。
「だとしても君は、君は敵じゃない! ケテルに下ることを不満に思う民を、兵を、争いの種を、それを摘み取るために戦っただけじゃないか。“すべての人の共通の敵”となることで、その敵意を一身に受けることで人々の心をまとめようと、ただ君はそうしただけじゃないか!」
あの貧しい村で支え合った――。
「これ以上奪われなくったって、いいじゃないか……」
たった一人の、幼馴染じゃないか……。
「……三二〇〇と一人」
「え?」
「この戦いで、俺が奪った生命の数だよ」
そう言って彼は、彼の獲物の手斧を掲げる。血と油に塗れた、大勢の生命を奪った凶器。彼の悪徳の、その証明。
「判るか、俺はそれだけの未来と願いを奪ったんだ。奪われたんじゃない、奪ったんだよこの俺が。大罪人だよ、まったくな。だからよ、俺一人が願いを抱くなんて赦されるわけがない。――いや、赦せねぇんだ、俺自身が」
真剣な眼差し。真剣な、声。私は知っていた。彼のこうした態度を。彼がこうした態度を取った時の、彼の決意がどれだけ固いものであるのかを。私が何を言ったって、彼が聞き入れることはないということを。
「君は馬鹿だ、大馬鹿だ……」
「お前ほどじゃないさ」
さあ、と、彼が促した。判っている。彼は独冠王で、私は使徒王だから。これが必然であり、これが必要なことだと、私は既に判っている。剣を、構え直した。それでいいと、彼がうなずいた。私は、私は――彼の心の臓を、誤ることなく貫いた。
「相変わらず泣き虫だな、メティーナはよ……」
飛び散った彼の血が、背後の大樹に降りかかる。クリフォトの大樹。知恵を司ると謂われるその樹に。
「約束する……誓う。私はこの大樹に誓う」
頭を、肩を密着させるように彼へと、心臓の止まった彼へともたれて、私は言う。彼に向かって、私に向かって、私は誓う。
「この地に、人の世に、世界に平和を実現したその時には、必ず君に会いに行く。君を独りになんてしない。どんなに時間がかかろうとも、どんなに争いが続こうとも、絶対不変の恒久平和を実現して、君の下へ会いに行く。セフィロトを越えた果て先で、必ず君と会ってみせる。だから、だから――」
永遠の誓いを、約束する。
「だからお願い、待っててサディン――」
遠い、遠い、果てなき“願い”を――。
……それを、“オレ”は。
「なんでだよ……」
オレが、つぶやいた。つぶやいたその声は、オレの声ではなかった。先程まですぐ側で聞き続けていた声――オレは、使徒王の中にいた。使徒王の身体を借りてオレは、一部始終を見続けていた。伝説の物語が辿った真実を、オレは、その中心にいた存在の内側から知った。知ってしまった。
「なんでだよ、なんでだよ! だってこんなの……こんなのあんまりじゃねーか!」
オレは叫んだ、吠えた、喚き散らした。だってこんなことって、あんまりひどすぎる。どうして一緒にいられない。どうして殺し殺されなきゃならない。二人がいったい何をした。何がそんなに悪かった。みんなのために走った二人の結末がこれだなんて、こんなの、こんなの……悲しすぎるじゃないか。
オレは泣かない。泣いたりなんかしない。絶対に涙なんか流さない。でも、でも……使徒王は、メティーナは、泣いてたじゃないか。いまも、泣いてるじゃないか。
涙がこぼれた。呻くような声が、のどから溢れた。密着した彼の、サディンの身体を揺らしながら。ひっくひっくと、泣きじゃくった。そうしたら――。
「……もしかしてリリ、お前さんか?」
二度と開かないはずのサディンの目が、開いた。
「驚きだな、お前さんとはよっぽど深い縁があるらしい」
「サディンあんた、生きて……!」
「ああ」
無精髭のサディンが、いつものように笑った。
「そいつはちょっとばかし、語弊があるな」
直後に、炎が燃え上がった。燃え上がった炎はサディンの身体を包み込み、末端からその肉体を灰へと変換していく。炎の壁。七日の限りの、タイムリミット。炎はオレの――使徒王の身体も同様に呑み込み、さらにその火勢を増していく。
「燃えて<死んで>また、やり直すのさ」
腕が、足が、喪われていく。彼を構成するものが、使徒王を構成するものが、生命以前の形まで還元されていく。
「俺たちは願いに囚われているんだよ。願いが叶うまで何度でも灰になり、何度でもこのセフィロトの道を繰り返す。例え何百年かかろうと、何千年かかろうと、願いが叶うその時まで永遠に――俺は悪徳の王で在り続ける」
涙が蒸発する。止めどなく溢れる涙のすべてが、炎に呑まれて消滅していく。
「なんだよ……あんたの願いって、なんなんだよ!」
「あいつの願い<恒久平和>が叶うこと」
もはや完全な灰と化した腕を、それでもサディンはオレ<使徒王>へと伸ばし、その手でオレ<使徒王>の頬へと触れた。
「なあリリ、終わっちゃいないんだ。使徒王物語は、まだ終わっちゃいない」
「サディン……」
「物語はな、いまもお前さんたちに続いている。未来を生きるお前たちに」
「サディンぅ……」
「些細なことで構わないさ。俺たちの時代<切り結ぶことでしか拓けなかった世界>では為し得なかった何かを、どうか次代へつないでくれ。いまここを生きる、お前さんだけのやり方で。……そして、そうだ、それからな」
……そして、彼も我も、ついには燃え尽き――。
「俺たちの築いた明日で、どうかどうか、幸せに――」
少女がいた。呆然とした顔の少女。胸を赤く、薔薇のように染めた少女が、吐息すら感じるすぐ目の前に座っていた。我が手を、彼女の胸に当てる。赤く濡れたその胸に。心臓は、まだ拍動していた。彼女はまだ――“私”はまだ、生きていた。“私”が、嗚咽を漏らし始めた。
「……泣くなよ」
だってと“私”が反論する。だってだってと、駄々っ子みたいに。
「泣く……泣くな。泣くなって言ってるだろ」
あなただってと“私”が反論する。あなただって泣いていると、有り得ないことを“私”がのたまう。
「な、泣い……泣いたって、泣いたってどうにもならないだろ! 泣いてたってなにも、なにも変わらないんだ! だから泣くな、泣くなよ……」
オレは泣かない。泣いたりなんかしない。だからこれは涙じゃない。だからこれは嗚咽じゃない。オレは“私”を赦さない。オレは“私”を受け入れない。だって、だって、だって。だってだってだってだって――。
「泣くな、よぉ……」
オレまで同じじゃ、同じことを繰り返しちゃう――。
「泣いてもいいっつっただろうが、このバカコラ」
声。二人の“リリ”が、反応する。二人の“リリ”が、同じ場所に視線を向ける。暗闇の続く、果てしのない空間。そこには誰もいなかった。ただ、ひとつ。暗闇以外のものがひとつ、そこに存在していた。それが地面に刺さっていた。
サディンの手斧が、地面に刺さっていた。
涙が溢れ出してきた。オレは、泣いていた。疑いようもなくオレはいま、泣いていた。手を握られた。泣いている“私”に、手を握られた。オレはそれを――握り返した。強く、強く、固く、ひとつになってしまうくらいに。
空中に浮かぶガフくんの絵。そこにはいま、白紙のキャンバスが表れている。かつて辿り着くことのできなかった、ガフくんが期待してくれた、“リリ”なら導けると信じてもらえた使徒王物語の完結。未だ未完の、可能性の狭間に揺蕩ったままの、それ。“オレ”は、“私”は、それに触れた。“リリ”は二人で白いキャンバス<未来>に触れ、そして、そして――。
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