ד

「ごめんなさい……」

 なにが。なにがガフくんを奪ったのだろう。恨み言ばかりをこぼし、怒りに任せて凶弾を放ったあの男の人のせいだろうか。銃を売ることで財を成し、様々な人の恨みを買ったお父様のせいだろうか。それとも私なんかに何かを見出し、危険を顧みずに助けにまで来てくれたガフくん自身のせいだろうか。

 違う。違う、違う、ぜんぜん違う。それらは原因の一旦であって、根本的な真実ではない。ガフくんを奪ったもの。その原因は、その真実は、たったひとつの事象に説明できる。ガフくんを奪ったもの、ガフくんを奪った元凶とは――。

 私だ。

「ごめんなさい、ごめんなさい……」

 怖い怖いと泣きじゃくるばかりで、ただの一歩も動くことのできなかった臆病者。下劣で、醜悪で、最低で、臆病で、泣き虫な、私だ。私がガフくんを奪ったのだ。私がガフくんを死なせたのだ。私がガフくんを殺したのだ。逃げ出す勇気すら振り絞れなかった私が、彼の生命を奪ったのだ。

 もしも。もしも私が私でなかったら。もしも私が短気で、乱暴者で、反抗的で、誰の助けも必要としないくらい強い女の子だったなら。ガフくんはきっと、死んだりなんかしなかった。もしも私が絶対に泣くことのない女の子だったなら。ガフくんは絶対に、私を見つけ出すこともなかった。

 もしも私が、私でなかったら。

 ……そうだ、思い出した。私は――いや、“オレ”は。“オレ”は、“リリ”だ。短気で、乱暴者で、反抗的で、誰の助けも必要としないくらい強い、“オレ”が、“リリ”だ。そうだ、思い出した。全部思い出した。“オレ”の、“リリ”の、願いは。

「ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい……」

 少女がすすり泣いていた。果てしなく続く暗闇の空間に座り込み、めそめそめそめそ泣いていた。めそめそめそめそめそめそめそめそめそめそ泣きながら、ごめんなさいごめんなさいと浅ましい贖罪のポーズをこれ見よがしに披露していた。

 赦してなどやるものか。誰がお前を赦してなど。

 “オレ”は少女に歩み寄る。手には凶器を、彼の砕けたナイフを持って。ガフくんは言っていた。なんでも使いようだと。その通りだった。ガフくんは正しかった。この凶器の使い道は、刺して、裂いて、殺す。やっぱりそれが、正しかった。“オレ”の願いを形にする、これが正しい形だった。

 “私”を殺す。その発生の以前より“私”の存在を抹消し、彼と“リリ”の出会う現実をなかったことにする。それが、“オレ”の、願い。“私”より分かたれた“私”を絶対に赦さない“私”――“オレ”の、唯一つの願い。

 醜悪に泣き続ける、臆病者の前に立つ。

「ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい……」

「赦さない」

 涙で醜い“私”の胸ぐらをつかむ。

「ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい……」

「絶対に赦さない」

 彼のナイフを振り上げる。

「ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい……」

「例え誰もがお前を赦そうと」

 心臓の拍動するその胸目掛け。

「ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい……」

「例えガフくんが赦そうとも」

 凶刃を、彼のナイフを。

「ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい……」

「“オレ”だけは絶対、“私”を赦してなんかやらない」

 ナイフを――。


 どうして。

「……だって」

 どうして、できない。

「だってそれでも、ガフくんは言ってくれたんだ」

 こんなにも赦せないのに。

「“私”のことを、好きだって」

 こんなにも憎いのに。

「“私”のことが、必要だって」

 いなくなれって思ってるのに。

「“私”のことが嫌いだ。大嫌いだ。でも、でも……ガフくんの大切な“私”を奪うなんて――」

 覚えてさえいなければ、思い出しさえしなければ。

「そんなの、いやだ、いやだよぉ……」

 彼と出会いさえ、しなければ。

「オレ、どうしたら……」

「いいんだよ」

 “私”が、言った。

 涙に濡れたその顔、その手。“私”のその手が、“オレ”のその手をやさしく包む。やさしく、けれど存外に力のこもった“私”の手は、ナイフをつかんだ“オレ”の手を緩やかに誘導し、そして――。

「“私”も“私”を赦せないもの」

 その先端を、己に向けた。

「……やめろ」

「ごめんなさい」

 ナイフの先端が、“私”の胸に触れる。

「やめろ、やめろ」

「ごめんなさい、ごめんなさい」

 じわりと服に、血が滲みる。

「やめろ、やめろ、やめろ」

「ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい」

 肉を裂いて侵入していく感覚が、てのひらへと伝わってくる。

 いやだ。なんでいやなんだ。これが“オレ”の願いだったはずだ。こいつを殺して、こいつの存在を抹消して、ガフくんに“私”と出会わない人生を生きてもらう。それが“私”の、“オレ”の願いだったはずだ。なのになんでだ。なんでこんなに嫌なんだ。なんでこんなに――怖いんだ。

 ごめんなさいと“私”がいう。そのごめんなさいは、何に対する謝罪なんだ。“オレ”に対してか。ガフくんに対してか。それともお前自身、誰に向ければいいのか判らないのか。肉が裂けていく。心臓の拍動が、とくんとくんが、刃の刃先から“オレ”の脳まで一直線にリンクする。もう数ミリ、髪の毛ほどもない距離を直進すれば、“私”は終わる。ガフくんが好きだと言ってくれた、“私”が。ごめんなさいと、“私”が言った。

 “オレ”は、叫んだ。

「……なん、だ?」

 絵が、浮かんでいた。暗闇の空間に、見知らぬ絵が。――いや、違う。見知らぬ絵だなんて、そんなのはうそだ。これは、この絵は――ガフくんの。空中の絵が切り替わっていく。始まりから始まって、終わりへと向かって。ガフくんの描いた、ガフくんと一緒に考えた絵が――ケテルの使徒王物語が暗闇に上演される。

 どの絵も、どの絵も、どの絵も知っていた。成長が、旅立ちが、冒険がそこには描かれていた。出会いが、別れが、戦いがそこには描かれていた。どの場面も、どの場面も、どの場面も“リリ”は知っていた。物語がどのように展開し、使徒王さまがどのような足跡を辿り、そして最後に何者と戦うのか、“リリ”は知っていた。その、最後の敵の名は――。

 な、に。

 切り替わった絵。最終決戦を描いたその絵へとスライドした瞬間、周囲の暗闇が激しく歪んだ。目の前の“私”も、“オレ”も、歪んでいく。自分を保つことができなくなる。その絵――『果てなき東のクリフォト』の絵を中心にすべてが、すべてが一変し、そして、“オレ”たちは――。

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