כז

 上下が、反転した。上に向かって落ちる。落ちるオレに、手が差し伸べられる。救う側の立場から、ミカがこちらへ手を差し伸べる。

「違う、オレだ! オレが助けるんだ!」

 再び上下が反転する。救う側に回ったオレが、ミカの手をつかむ。ミカはいやいやと頭を揺さぶり、更に上下がひっくり返る。

「リリ、リリ、ボクがね、ボクが助けてあげるからね!」

 仮面の奥のきらきら輝く星のようなその瞳をいつにも増して輝かせ、ミカがオレの手を握る。「助けなんて求めてない」と、オレは叫んだ。世界がぐるりと変わっていく。「それじゃぜんぜんあべこべなんだ」と、ミカが叫べば世界が回る。上下も左右も不確かなその空間で、オレとミカは上昇しているとも下降しているともつかないままに、狂った渦に呑まれ流れた。渦の渦中で揉まれながらも、オレたちは互いに譲らなかった。

 そこに、何かが、飛んできた。主導と共に互いの手を握ろうとするオレたちのその接点を目掛けるように、意思なきそれは高速で浮かび上がってきた。オレたちが、小さく、それぞれに、それぞれの、悲鳴を上げた。それは死体だった。首と胴が切り離され、身体中が穴だらけに破損させられている死体。その死体が、二人の接点を切り離すかのように飛来し、通過していった。

「ミカ!」

「リリ!」

 手が、離れた。離れてしまった。オレたちは互い互いに、手を取らんと手を伸ばす。しかしオレたちは荒れ狂う渦の流れに流れ流され、伸ばしたその手の長さ分だけ二人の間は離れていく。互いの名を呼び、「助ける」と叫ぶオレたちの、その声その想いの分だけ彼我の距離は離されていく。オレたちはもはや、自力で互いを捉えることなどできなくなっていた。それでもオレたちは、お互いのことを“助けよう”とした。

「二人とも、私につかまれ!」

 上空とも下層ともつかない地点から降りてきたそれが、叫んだ。それ、生首。ベル。オレが、ベルをつかんだ。ミカが、ベルをつかんだ。ベルを介し、オレとミカの手がつながった。抱き寄せるようにして己をベルに接近させ、ベルを中心に抱き合った。

 そうして一塊となった二人とひとつの生首は、荒れ狂う渦が収束するその地点までぐるぐるぐるぐる揉まれながら落ちてゆき――。


「ああ、ったく……いい加減うんざりしてくるね」

 だれに聞かせるでもなくそうつぶやいたサディンは、自嘲するように笑みをこぼした。傷のないところなど身体にはなく、どこもかしこも痛くて熱い。なにをこんなに躍起になっているのか、自分でも阿呆らしくなってくる。だがこれも仕方ない、こいつが俺の性分なのだ。サディンはそう、自嘲する。

 目の前に広がる屍の光景。一〇〇はやったか、あるいは二〇〇か。場合によれば五〇〇に届いていてもおかしくはない。斬るも斬ったり屍の山。だが、それでも足りない。こんなものではまるで足りない。“願い”を叶える、そのためには。

 飛びかかってきた戦士の首を、刎ねた。屍の山に、またひとつ。いとも容易く喪われる生命。だが、俺を取り囲むこいつらに動揺はない。親しき仲間が死のうとも、いずれ己が死のうとも、死のその瞬間まで戦うことを止めない者たち。そうした修羅の生き方を、魂にまで刻み込んだ戦士たち。例えその身を、兵士の分にやつしても。

 この愛すべき、大馬鹿野郎どもが。

 空間を、切り裂いた。

「お前たちの飼い主さまに伝えろ。こいつ<宝冠>を返して欲しくば、果てなき東まで追ってこい。次代の覇者が誰なのか、その身をもって教えてやると。そして――」

 裂けた空間に向かって、跳んだ。

「知れ、そして喧伝せよ。『バチカルの暁光』が悪徳を――!」

 サディンは跳んだ。極彩色のその向こう、終わりと始まりの、その地に向かって。

 空間が、閉じた。

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