כד

「……サディン、オレ」

「色々言いたいことはあるだろうが、まずはこいつだ」

 サディン。無精髭の、だらしない、胡散臭い、オレをこの場に引き戻してくれた大人。そのサディンが、オレを引き戻したその手に手斧を構え、それの前に相対していた。サディンの前にあるもの。それは、光。光の点として、オレたちが追い続けてきたもの。それがいまはもう、手の届く距離にあった。

「これは……冠?」

 太陽のように眩く、直視することの憚られる光を生み出していたそれは、どうやら冠の形をしているようだった。黄金に輝き完璧な対称を実現している、王様のための冠。眩しくてほとんど読み取れないものの、その冠には何か文字が刻まれていた。輪を描いて文字が、冠をぐるりと一周している。この世のものではない。そんな印象を、一目で受けた。

 それを、サディンが、砕いた。

 目を焼く光が消え失せる。世界の白が、硝子のように割れ散っていく。代わりに現れたのは漆黒の黒にほど近い、深い群青の夜闇の世界。太陽に隠されていた星々と共に、そこに存在していたものが明かされていく。台座、階段、柱、ここが建物の内部であったことを顕にしていく。

 そして、もうひとつの変化。サディンが、自分の手斧を見ていた。自分の手斧の、刃の部分を。そこには、文字が浮かんでいた。なんという文字かは読み取れない。けれどその形はどことなく、砕かれた冠に刻まれていたものと似ているように見えた。砕かれた冠に描かれた文字に似ているそれらの文字がサディンの手斧に浮かび――やがて、それも止まった。サディンが手斧を腰にしまった。

「これでおじさんの仕事はおしまいだ。協力してくれてありがとさんだ」

 言って、サディンが冠の置かれていた台座から離れようとする。そしてお前さんの友達はこっちだと、台座よりも更に奥へと進もうとした。しかしオレはサディンの後をついていくことはせず、その背中に視線を投げかける。オレが付いてこないことに気がついたのか、サディンが疑問を浮かべた顔で振り返った。

「あんた、本当はオレのことなんて必要なかったんじゃないか」

 開口一番、オレはサディンに問いかける。サディンはなんのことやらとでも言いたげなジェスチャーを取ったが、構わずオレは話を続けた。

「実際オレは、なにもしていない。どころかあんたの足を引っ張っただけだ。そうだろ」

「なにをなにを。話し相手になってくれただろ?」

「そんなこと」

 あの、白い世界。確かに一人でいたら、気が参ってしまうかもしれない。少なくともオレならそうだ。でも、サディンは? 想像できなかった。サディンはおそらく、オレなんかいなくても一人で踏破するくらい簡単にできたんじゃないか。オレとは違って。……翻って、オレがあそこを渡り切るには、サディンの存在が必要だった。答えはたぶん、そこにある。オレは、自分でも言い出しづらいことを、切り出した。

「なあサディン……あんたほんとは初めから、オレを助けてやるつもりで話を持ちかけたんじゃないか」

「言ったはずさ、おじさんにとって出会いは貴重なんだ。おじさんはそいつを大切にしたかった……それだけさ」

 あくまでもおどけた調子でサディンは言う。当然納得なんてできなかった。だからオレはサディンを睨みつけ、無言の圧で抗議を送る。約束は、相互に協力し合うものだったはずだ。一方的に助けられるばかりだなんて……そんなことは、耐えられない。そうした感情を、視線に乗せて。そうした視線を、サディンは受けていた。受けて、相対して、それで――困ったように、笑った。

「それに、ま、なんていうかな――お前さんがな、似てたのさ」

「似てた……?」

「ああ、似てた。どことなく、って程度の話に過ぎないが。お前さんを見てたら思い出しちまった」

 思い出しちまったんだ、あいつのこと。そう言ってサディンは、虚空を見上げる。目を細めて、そこに見える何かを見つめるように。

「弱っちい泣き虫のくせに頑固で意地っ張りで……一度言い出したら聞きゃあしなかった、あのバカを――」

 静かに、穏やかな口調でそう、サディンは語った。いつかのどこかを懐かしむような、そんな寂しさの混じった声で。オレは……オレも、見上げた。サディンが見上げた先を。オレにはそこに星しか見えなかったが、サディンがそこに何かを見ているのを否定する気はなかった。

「……遠回しに、オレのことバカにしてねーか」

「はっはっは!」

「『はっはっは!』じゃねーよ、ばか」

 ばかと言われて、サディンはさらに高く笑い声を上げた。その声につられてオレも、ついつい笑ってしまいそうになる。努めて自制し、唇を噛む。笑ってなんかやるもんか。納得したわけじゃないんだ。騙されたことにオレは腹を立てているんだ。……けれど、もう。意地を張る気は、失せていた。

 そうだ、こんなところで立ち止まっている場合じゃない。ミカが、ベルが、この先で待っているのだから。だからオレはこいつに付いていくんだ。決して認めたわけじゃない。認めたわけじゃないんだからな、このばか、こら。

 それでオレは、どこへ行けばいい。オレは、そう言おうとした。言えなかった。サディンが、手斧を構えていた――構えていると思ったその次の瞬間には、それが振られていた。悲鳴を上げる間もなかった。手斧はオレの頭に――オレの頭に触れるか触れないかというすれすれの場所を、通り過ぎていった。

 生暖かなものが、後頭部に降り掛かってきた。背後を見た。巨大な斧を振りかぶった男が、顔面を両断されていた。サディンがそれを突いた。顔面の両断された男が、倒れた。

「サディーン!!」

 怒声が、響き渡った。気づけば周りを、大勢の大人の男達に取り囲まれていた。彼らはそれぞれが物騒な獲物を持ち、身を兜と鎧に包み、そしてなによりも、強烈な敵意を宿した瞳でこちらを睨みつけている。中には興奮しすぎているためか、ふぅふぅと荒い息を吐きながら口の端に泡を立てているものまでいた。

 男たちが、威嚇をするように怒声を上げている。明らかに剣呑な空気だった。こいつらはいったいなんなのか、なぜこんなにも敵意を剥き出しにしているのか。なにも判らず、どうすればいいかも判らずオレは、後頭部に付着したものに触れ、手に付着したそれを見つめた。赤く染まったその手が、細かに震えていた。足が、すくんだ。

「こいつらは俺の影だ、お前さんにゃあ関係ない」

 身体が、宙に浮いた。持ち上げられ、放り投げられていた。サディンに。サディンから、遠のいていく。遠のくごとに、視界の端が歪んでいく。極彩色に、囲まれていく。「サディン!」オレは叫んだ。サディンは振り返ることなく手を振った。そして迫る男たちの方を向いたまま、あの飄々とした声で、届くことを期していない声量で、つぶやいた。十にも迫る男たちが、サディン目掛けて一斉に襲いかかった。

「会うんだろ、友達に」

 空間が、閉じた。跳ねた血が、顔にあたった。

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