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 夢を見ました。夢の中の私は、一人の男の子でした。夢の中の私は、小さく簡素な木組みの小舟に乗っていました。陽の光がきらきらと水面に反射する光景は心地の良いものでしたけれど、けれど夢の中の私はそこで、うれしさや楽しさよりも不安や緊張に身を竦めていました。

 船を漕いでいるのは、私ではありませんでした。舟を漕いでいるのは男の人でした。男の人は無言で舟を漕ぎ、だから私も、何も話せないでいました。聞きたいことはありました。ずっとずっと、ずっと昔から聞きたいと思っていたことが、私にはありました。

 けれど私は、やはりそれを口にすることはできませんでした。私はただただ自分の手を見つめ、指と指とをこすりあわせ、右の小指とそこに嵌められたものをさすっていました。それが、ずっと続きました。ずっとずっと、無言の時間が続きました。

「あ」と、私は声を上げました。水面から、魚が跳ね飛んだのを目にして。跳ね飛んだ魚が、水面ぎりぎりを飛ぶ鳥に捕まえられたのを目にして。時間にして一秒ほどもない、ほんの一瞬の出来事でした。ほんの一瞬の出来事に私は顔を上げて、飛び去る鳥を目で追いました。

「どこへ行きたい」

 舟の先端から、男の人が私の名前を呼びました。無表情に、淡々とした声色で。男の人が、私のことを見ています。舟は止まっていました。止まった舟のその先端で、男の人が私の答えを待っていました。

 行きたいところ。そう言われて私は再び目を伏せて、てのひらに視線を落としました。てのひらの、右の小指の、そこに嵌めた指環に視線を向けて。かさかさとした樹の感触を感じながら。けれど結局、私は何も答えられませんでした。口を閉じて私は、俯いたまま何も言いませんでした。

 舟が再び、動きました。

 私は何も言いませんでした。何も。その人が漕ぐ舟に身を任せて、ただただ身体を揺らしていました。果てなき川の果てに向かって、どこまでも、どこまでも、揺られていました。どこまでも、どこまでも、どこまでも――。

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