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やっちまった。オレってやつはどうしてこんなに、自制ってものができないのか。かーっと頭にきたらそれがもう全部になって、なにもかも許せなくなってしまう。自分でもどうかしていると思う。ここへ来る前のオレは、いったいどうして暮らしていたのか。怒って怒って、それでこうして自分の態度を振り返ってはああもうああもうと嫌になって。助けてやるって言ったのに。約束したばかりだったのに。ああもうちくしょうなんだかまるで、心が二つあるみたいだ。
だけど、そうだ、オレだけじゃない。あいつだって悪い。ふざけて遊んでばかりいるミカだって悪い。あんなに引っ張って、あんなに急かしたのに。ぜんぜんオレの言うことなんて聞かないで、好き勝手して、あげくあんな鯨の死骸を助けるだなんて言いだして。オレにだって叶えなきゃいけない願いがあるのに。あいつにはきっと、そんなものないんだ。ちょっとした冒険くらいのつもりなんだ。だからあんなに気ままなんだ。
ベルもベルだ。ミカの言葉にいいなりで、甘やかしっぱなしで。あいつがしっかりしないから、オレがこんなに大変なんだ。判ってるのか、七日も経てばおしまいだって。いやこんなペースじゃ、きっと七日も保たないって。燃えて……おっさんみたいに、燃えていなくなってしまうって。
ああじゃあやっぱり、オレが助けてやらなきゃじゃねーか。
ああでも、このままもどるのは……あーもー!!
ぐるぐると終わらない問答を繰り返しながらオレは、アドナに堰き止められた川の向こう側、ベルの言っていた源流へと向かっていた。こうなったらこの先の道を調べておいて、可能な限り無駄のないルートを探し出してやる。それで源流までの道筋を決めたならその時にはあいつらのところにもどって、それでまだうだうだやっているようならその時は――無理矢理にでも手を引っ張ってってやる。そんな心積もりで。そしてその目算は、さしたる時間も経たないうちに達せられることとなる。
「どういうことだよ、これ……」
道が、途切れていた。崖。崖の下から壁伝いに、水が遡って川を形作っている。崖の下には、海。どう見方を変えた所で、人が進むような道には思えない。オレはすぐさま踵を返した。
「おい、ベル!」
切り株の上に置かれたベルを見つけて駆け寄りつかみかかろうとして――どこをつかんでよいのか判らず持て余した両手で切り株を叩く。
「お前言ったよな、この先に道があるって!」
「ああ」
「ねーよ! そんなもん、どこにもなかった!」
「やはりか」
「ああ!?」
「リリよ、私の後方を見てもらえるか」
「ああ!?」
言われて、リリはベルの後ろを見る。後ろに広がる光景を。そこには川を堰き止め横たわる鯨の死骸と、鯨を押そうと腕を突き出している少年の姿が見えた。ばかげたミカのばかげた姿が。
「あいつ、まだあんなばかなこと……」
「それは違う。あれこそが答えなのだ」
鯨は当たり前に動かされることなどなく、その場に留まっている。川の水に足を取られたのか、ミカがその場で転んだ。
「答えは行いに生じる。なぜならここは西の果てのセフィロト、魂の在り方を反映する場所であるから」
「だから、意味わかんねーよ!」
「すべてに意味はある。我々の出会いにも必ず、なんらかの意味がある。ミカにとっても、私にとっても、そしてリリ、それはお前にとっても。だが、お前の焦りも判る。炎の壁は我らを燃やし焦がさんと、すぐそこにまで迫っているのだから」
ミカが立ち上がる。身体に付着した星屑を払い、再び鯨に手を付いて。
「無限の猶予など決してない。願いのために残された我々の時間は、余りに短い。ミカにとっても、お前にとっても、私にとっても。その上で私は、今一度お前に頼みたいと思う」
ばかみたいに、力を込めて。
「もうしばらく、ミカに付き合ってはくれないだろうか」
……ばかみたいに、一途に。
「……つったってあんなの、どうにかできるもんでもないだろ」
「そんなことはない。お前が手を貸してくれるのならば、私に考えがある」
「考え?」
「ああ。私の考えが確かなら、問題なくアドナを海へ還せるはずだ。いいか――」
必要なものは二〇〇と二二輪の水銀花に、車輪を一六。車輪は辺りに放置されている荷車から取ってくればいいだろう。それをこちら側と川向いに八つずつ配置する。それから集めた水銀花は川を横断する形で一列に配置。ただし花の色は青でも黒でもなく、橙色のものを使用する。これで準備は完了だ。後は時間を待つ。思うところはあるだろうが、身体を休めることも旅においては重要な仕事だ。時が訪れれば報せる。それまでは横になり、身体と心を落ち着かせるがよいだろう。
ベルの指示を受けたオレはベルの言う通りに準備を進め、ベルが言う通りに思うところもありつつ訪れるという時が来るのを、運良く車輪を探している時に見つけた小屋の中で待つことにした。
「リリ、もう寝ちゃった?」
同じ毛布にこもったオレの背中に、ミカが話しかけてくる。ねえ、ねえと、ミカが繰り返す。オレは寝息で返事をする。オレは寝ているのだから、話すことなどできない。できるわけがない。……起きていた所で、どんな顔して向き合えばいいのかよくわからない。オレとこいつは、ケンカ中なのだから。
「ボクの住んでたところではね、ケテルの使徒王さまっていうお話があったんだ。神様に選ばれて、いろんな不思議を冒険した王様の話」
寝息を立てるオレに向かって、ミカが語る。ケテルの使徒王という伝説上の人物を主役にした物語を。
「使徒王さまはね、神様からもらった王冠を被っていたんだよ。その王冠があるからみんな、使徒王さまを王様だって認めたんだよ」
使徒王。そういえばベルもそんなことを言っていたか。使徒王、使徒王……。この響きに覚えがあるような気がするのは、そのせいだろうか。それとも――。
「それでね、使徒王さまは最後の敵を倒して誓ったんだって。世の中をずっとずっと平和にしますって。大きな大きな、その樹に誓ったんだって」
いや、というか――。
「大きな大きな、とっても大きな――」
「いやいい加減諦めろよいつまで話しかけてくんだよ!」
「リリ、起きてた! 遊ぼ!」
「遊ばねーよ!」
怒声を上げて、額でミカの仮面を打つ。仮面の中の星のようにきらきら輝くミカの瞳はしかし、うれしそうに笑みの孤を描いていた。……なんだかばからしくなってきた。これじゃ完全に、オレの独り相撲じゃないか。もういい、観念した。
「……なあ」
「なに? なにして遊ぶ?」
「だから遊ばねーって。……おまえ、なんでここにいんの?」
「んーと……ベルに休めって言われたから?」
「ちげーよ、そうじゃなくて……そうだよ、お前は何を願ってここに来たんだ。ここは願いが叶う場所なんだろ?」
「うん! セフィロトは願いの叶う場所!」
「じゃあ、願いがあんだろ。教えろよ」
「果て先にはね、おかあさまがいるの」
「……おかあさま?」
想定とは異なる返答に、意表を突かれる。
「おかあさまはね、ボクが小さな頃に亡くなってしまったんだ。顔もよく覚えていないけれど、ボクにはおかあさまがいたの。でも、おかあさまはもういないの」
仮面の奥のミカは、何かを思い出すかのように目を閉じている。そのまぶたの裏に映るものが、オレには見えない。
「おかあさまは本当にはもういないの。でもここは、西の果てのセフィロト。どんな願いも叶う場所。だったらおかあさまも絶対に、絶対に絶対に待っててくれてるはず。そうだよね?」
「そう、なのかな」
「そうだよ!」
「それじゃ、その……おかあさまに会いたいってのが、お前の願いなのか?」
「ううん、違うよ」
「違う?」
「おとうさまがね、さびしがってるから」
……おとうさま?
「おとうさまがさびしがってるから、だからおかあさまを連れ帰るの。おかあさまを連れ帰って、おとうさまに会わせてあげるの。だって一人じゃ……あんまりさみしいでしょ?」
やわらかな声で語りながら、ミカがオレを見つめる。オレは……オレは、無言で身体をよじった。身体をよじって、再びミカに背中を向けた。
お母さんを連れ帰って、お父さんに会わせてあげる? てっきりオレは、こいつのことだから、最高においしい食べ物だとか、何より楽しい遊びだとか、そんなものを求めているのだとばかり思っていた。それが……なんだよ、おかあさま? おとうさま? なんだよ、人のためかよ。結局人のためかよ、ばか、ばか、ばか、こら。
「リリ、もしかして、泣いてるの?」
「な、泣くわけねーだろばか!」
「うん、ごめんね」
「だから、泣いてねーって――」
「さっきはごめんね」
「あ?」
「リリを一人にさせちゃった」
変な声が、のどの奥から溢れそうになった。太ももを、強くつねる。強く、強く。泣いてなんかいない。オレは、絶対に、泣かない。
「……願い、叶うといいな」
「うん!!」
話はこれで終わり。その後もミカは度々呼びかけてきたが、程なくして微かな寝息を立て始めた。その寝息につられるようにしてオレも、今度は本当に意識を手放し、眠りの世界へと落ちていった。
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