第十二話

 もうこいつのことは諦めよう。

 レクスは双眸を濁らせてため息を吐いた。まるでだらしない犬のように彼の周りを跳び回って、「師匠師匠」と呟いているクロエから目をそらす。

 ずっと相手をしていると気が抜けそうだ。魔物が出現する地で気を抜くことがどれだけ命に関わるか、おそらく世界で最も魔物と戦ってきたレクスは理解している。



 まとわりついてくるクロエの手を弾き、彼は歩き続けた。



「……師匠、やっぱり私思うんですよね」

「そうか、その通りだと思うぞ」

「まだ何も言ってないんですけど!?」



 目をやることもなく肯定する。

 クロエは不満気に口を開くが、レクスが反応することはなかった。

 この僅かな間で彼との距離感を掴んだのか、それでも俯くことなく、



「まぁいいです。さて、私は思うのです」

「……………………」

「やっぱり年長者って年下に甘くするべきなんじゃないかなって」



 嫌な予感する、と言わんばかりにレクスが顔を歪めた。

 胸に手を当て腰を反っているクロエは気付かない。



「だから師匠は私を甘やかすべきなんです! ついてはこれから出てくるであろう魔物を、ちょっとばかし相手してもらっていいですかね」

「……ちなみにどれくらいだ」

「大体九くらいでいいですよ」



 ふん、と鼻をふくらませる彼女。

 レクスは頭が痛くなったのか額を押さえた。



「全体で百くらいか?」

「いや、十ですけど」

「話にならん」



 ばっさりと切り捨てた。

 心なしか歩く速度が速くなり、歩幅の小さいクロエは小走りになる。



「ちょっと、こういうところで配慮できないのは乙女的にポイント低いですよ」

「君みたいな子が乙女だというなら、いくらでも下げてくれ」

「あっモテなそうな発言!」



 まったく、私じゃなかったら許されないですよ〜。などとのたまうクロエに何度目かわからないため息を付きつつ、レクスは顔を上げた。

 獣の香りが乗った風が鼻腔を揺らし、戦闘の気配が近づく。

 クロエは何も感じていないのか、ぼーっと間の抜けた表情を晒していた。



 ゴロゴロとした石が多くなってきている。

 たまに腐った卵のような匂いの水蒸気が地表から吹き出し、地下に温泉でもあるのかとレクスは考えた。



「ところで師匠、さっきから迷わず歩いてますけど、どこに向かってるんですか?」



 よっ、と子供ほどの石を跳び越えるクロエ。

 白い髪がたなびいた。



「ドラゴンの住処」

「うーん、ちょっと耳がおかしくなったみたいです。高いところに登ってきたからですかね? もう一回言ってもらっていいですか?」

「ドラゴンの住処」

「むりですぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅ!!!」



 瞬間、彼女は跳び越えた石に抱きついた。一歩たりともここから動きません、という強い意思を感じる。実に情けない姿だった。

 レクスはそうなると思っていたから黙っていたが、聞かれたので答えた。

 案の定こうなってしまったが。



「言ってなかったか、最近街を騒がせているのはドラゴンだって」

「聞いてないですよ! だったら私ついてきてませんって!」



 過去を思い返すように首を傾げるレクスに、クロエは大粒の涙を流す。

 そもそも魔物を討伐するために来たんだろう、と尋ねると「まさかドラゴンが相手とは思いませんよぉ!」と吠えた。



「じゃあここでお別れだな」

「え」

「俺は先に進むし、クロエ一人で帰ってくれ」

「……いや、そうですね、ちょうどドラゴンスレイヤーの称号欲しいなって思ってたんですよ」



 ぷるぷる震える脚でなんとか立ち上がる。

 意外に根性があるな、とレクスは眉を上げた。

 立ち上がった理由が一人でここから帰るのが怖いから、でなかったら立派だったろう。



「というか師匠はいいんですか、私を一人で帰したら絶対に死にますよ。ワイバーンが普通にいる場所で生き残れる自分の姿が見えません。美少女を見殺しにして食べるご飯はさぞかし不味いことでしょうねぇ!」

「倫理とか履修してないのか?」



 ついには自分を人質にして脅してきた。さり気ない美少女発言はスルー。レクスは情けないことを堂々と宣言する彼女に、もはや尊敬の念すら覚え始めている。

 もちろん反面教師的な意味合いでだが。



 どうして冒険者になろうと思ったのか本格的に気になってきた。びくびくとついてくる姿は、到底冒険者に向いているとは思えない。金銭が得たいのであったら他に手段がいくらでもあるはずだ。

 まぁそれを知るほどの関係でもないか、とレクスはため息を吐いて、段々と姿を表す頂上を睨みつけた。



「……なんだか身体が震えてきました。風邪ですかね?」

「少なくとも病気にはなってるんじゃないか。頭とか」

「かっちーん! 仏の顔も三度まで、私の顔も三度までです。もう許しませんよ!」

「あ、ドラゴン」

「ふっふっふ、いかな私でも何度も騙されません。そうやっていたいけな美少女を虐めるのが楽しいんでしょう。でもその手は通じません!」



 自慢気に胸を張る彼女の肩をつついて、後ろを見るように手で指し示す。不思議そうに首を傾げて「だから無駄ですって。私は成長するタイプなので――」と途中で口をつぐんだ。

 自分の目を疑うように擦るともう一度振り返る。視界に入った存在が幻覚の類でないと悟ったか、クロエは安らかな表情を浮かべて言い放った。



「お願いしますレクスさん何とかしてください」

「はぁ……」



 ギャアアアアアアアアアアアアアア!!!!!

 赤い鱗を纏った巨大な蛇のような見た目。しかし蛇とは到底思えない圧倒的な存在感と、身体よりも大きな羽が、その生物が根本から異なる存在だと知らしめる。

 正真正銘、魔物の王――ドラゴンがそこにいた。

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