第十話
クロエと名乗る少女に見覚えはない。一応冒険者ギルドの二番手として運営に携わっている関係上、有名所の冒険者の顔は一通り覚えているのだが。もし彼女が自分の実力に自身があり、レーンスヘルの街を困らせている魔物を討伐しようと鉱山を訪れたのなら、まさかクロエはまだ見ぬ実力者なのだろうか。
きっと違うだろうな、と涙目になって臀部を擦っている彼女を見て、レクスはため息をついた。
「それで、その冒険者様のクロエはどうしてここに?」
「あっ、そうです!
「……討伐?」
情けなく逃げ惑っていたではないか。
とは、流石に言えなかったが。
大きな街に害を与えて、それでも討伐がなされていないなら、その魔物は強力であるということは容易く想像できる。にも関わらず意気揚々と倒そうとしたならば、それは大馬鹿者か……それとも英雄の器か。
レクスとしては前者の方が正しいと思ったが、それを本人に尋ねるのも憚られる。一先ずは落ち着いた場所に行って、話を聞くのが良いだろう。
「ここで話すのも怖いから、関所に行くか」
この鉱山は関所としても使われており、今は利用者こそ少ないものの、一応機能はしているはずである。建物に行けば、まさか追い返されることはないだろう。
そのようなことを考えての発言であったが、それを聞いたクロエは段々と頬を赤くし、何故か貧相な身体を抱いて叫ぶ。
「貴方はあれですね!? 送り狼ってやつですね!?」
「…………違うが」
「嘘です! 親切を装って女の子を何処かに連れて行こうとする輩は、皆すべからく狼なのよ〜、ってお母さんが言ってました!」
随分と偏った教育だな。この世界の紳士の存在を全否定しているぞ?
レクスはもう面倒くさいから放っておこうかな、と身構えているクロエに視線を向けた。しかしここで放置して、次会った時に冷たくなっていたら目覚めが悪い。というかそんなことしたらリンダに殺されるだろう。進むも地獄、戻るも地獄。一体どうしたら良いのだろうか、と悩む彼の背中は煤けていた。
白い髪をブンブンと揺らし、クロエは思い切り頭を下げていた。
「ご、ごめんなさい! まさか冒険者ギルドの人とは……! 私に出来ることなら何でもしますので、どうか除名だけは勘弁してください……!」
事情を知らない者が聞いたら勘違いされそうな言い分である。そしてこの関所には事情を知らない者がたくさんいるので、彼らは滅茶苦茶勘違いしていた。
クズを見るような目を向けられて、鈍感・唐変木・朴念仁と散々リンダに言われてきたレクスですら、周囲の冷たい空気に気づいていた。嫌な汗がたらりと垂れて、彼はクロエに手を向ける。
「いや、怒ってないから。とりあえず頭を上げてくれ」
「本当ですか……?」
「本当だ」
「ここで油断したら速攻でギルドに行って、超絶怒涛の早業で除名処分を下した挙げ句、『グェッヘッヘッヘ。これでお前の稼ぎの種はなくなったなぁ? 今まで通り幸せな暮らしを送りたいなら、俺の言うことを聞くんだなぁ。グェーッヘッヘッヘッヘッヘッヘ!!!!』とか言いません?」
「君は俺のことを何だと思ってるんだ?」
突如繰り広げられた早口の罵倒に、思わずレクスは真顔になってしまう。クロエも酷く心配そうに眉を下げていたものだから、周囲にも「あいつそんなことするのかよ……本物のクズだな……」という空気が流れていた。哀れである。
送り狼などという不名誉な断定をされ、正直帰りたくなっていたレクスであったが、見捨てる訳にもいかず関所まで彼女を連れて行った。
道中会話は一つもなく、冷たい視線に晒されながらの登山は、とてもではないが再び体験したいものではなかった。そうして見えてきた建物に到着すると、そう言えば冒険者ギルドの代表代理として持ってきた指輪があったな、と思い至る。
未だに不審者を見るような目を向けていた彼女にそれを見せると、電光石火、眼を見張るような速度で手の平を返した。非常に鋭い回転で、おそらく攻撃に用いればなかなかの威力を発揮するだろう。
魔物と戦うためであろう重装備をした者達に囲まれながら、泣きそうな少女に頭を下げられるという地獄のような状態は、二十分ほどして終了した。クズを見るような目は継続されているが。
もはや涅槃に至ったような表情のレクスは、涼しい顔をしてそれを無視する。唇の端がひくついているのはご愛嬌だ。それよりも目の前の少女に尋問……もとい質問をしなければいけないだろう。
「こう言っては何だが……君にワイバーンを倒せるほどの実力があるとは思えない。それなのに確実に強い魔物に挑んだのには、何か理由があるのか?」
「………………」
少女は目を瞑って、軽く俯いた。これであの魔物に親が殺されて、その復讐心からですとでも答えられたら、褒めこそしないが止めもしなかっただろう。確かに復讐は何も産まないが、復讐しなければ被害者はいつまでも出来事に引きずられるのだ。
多少の緊張感が漂い、何処かからかゴクリという音が響いて。
「――お金が、欲しかったんです」
誰かがコケる音がした。
レクスも目を瞑った。納得によるものだろうか、クロエが期待に満ちた視線を向けると、彼のこめかみはピクピクと揺れている。はて、一体何故そのような状態に……? 彼女は本当に何も分かっていないようだった。
「君はあれか、所謂馬鹿というやつなのか」
「ば、馬鹿!? なんて失礼な……! 法廷で会いましょう!」
「……法廷とは?」
「何なんでしょうね。するりと口からまろび出てきました。慣用句ということでよろしいですか?」
軽く首を傾げる彼女に、レクスは彼女を育てた親に合掌した。おそらく多大なる苦労をされたのだろう……お労しや。そんなことを思われているとはつゆ知らず、クロエは続ける。
「実は私、金欠なんですよね。いや、ほんと後先考えずお金を使ってるって訳じゃないんですけどね。いやほんとに。不思議と報酬をもらった次の日には財布が空になってるんです。不思議ですよね。多分新種の魔物の仕業です」
「何でもかんでも自分の仕業にされる魔物に同情の気持ちが抑えきれないよ」
彼は大きな大きなため息をついた。この娘、放っておくといずれ凄惨な最期を迎えるだろう。冒険者の最期など大概碌なものではないが、彼女の場合更に酷くなりそうだ。
「そこで私思ったんです。お金がすぐ失くなるなら、すぐに失くならないほどのお金を稼げば良いんだって!」
既に頭の悪さが滲み出ていそうな発言だが、一応レクスは最後まで聞いてみることにした。やはり物事を触りだけで判断するのは良くないだろう。最後まで目を通して初めて名作となる作品など五万とあるのだ。彼女の計画が最後まで聞いたら素晴らしいものである可能性だって、砂漠で砂金を一粒見つける程度はあるかもしれない。
「でもリンクスの街では魔物の核が基本的に売買されてるじゃないですか。大きな核だったら上等な物と交換できるし、戦うときに砕いちゃったら意味がない。それで、私何故か魔物と戦うと核を砕いちゃうんですよね。不思議です。やっぱりこれも魔物の仕業だと思うんです」
「……なるほど、で?」
「そこで! 迷宮は無限に魔物が湧いてくるという特性上、『これこれの魔物を討伐してくれ』という依頼はありません。しかし、他の街なら有限である魔物を倒すことには、金銭が発生する余地があるはずだと思い至ったのです!」
変なところには頭が回るらしい。自慢気に鼻を大きくさせているクロエを見て、レクスは頭痛を抑えられなかった。
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