第六話

 石造りの壁が四方を覆う地下で、僅かな光源を頼りに藻掻く者達が居た。

 彼らは限りなく必死に近い状況で、それでも生を諦めない。



「……やめて!」



 迷宮に潜っていたのは男女合わせて五名のパーティー。しかし今では三人にまで減っている。その上剣を担いだ男は腹に深い傷を負っており、これまた血だらけの女が背中に庇っていた。

 そんな彼らが対面するのは、血に飢えた黒い狼。地震のような唸り声を上げながら、死にかけの人間を決して逃さないように目を離さない。



「いや、この状況を何とか出来るのは私だけでしょ」



 悲鳴じみた女の声に冷めた反応を返すと、未だ無傷の少女は短剣一つ持って歩き出す。冒険を初めた直後は片手では数えられないほどの武器を持っていたが、注意を引くために使ったり、また魔物の攻撃で失われてしまったせいで、今では一個しか残っていなかった。



「グルルルルルル……」



「はぁ、やっぱり冒険者なんて向いてなかったなぁ……」



 ため息を付きながら、くるくると短剣を回す少女。

 その瞳は何処か諦観を宿していて、守ろうとしている男と女とは真逆である。



「私達と違ってあなたは傷を負ってない! あなたが生き延びるべきよ!」



「……私、誰かを見捨てるのって嫌いなの」



 仲間の声を聞いても、彼女は決して後ろを振り向かない。後ろを見てしまえば怖くなってしまうだろうから。命を捨てて、魔物と戦うなんていう現実に追いつかれてしまえば、動けなくなるだろう。



「――行くぞ!」



「グルルルルルルルルルルルアアアアアア!!!!!!!!!!」



 僅かな光源によって出来た影のように黒い狼は、これまでの攻撃など前座であると言わんばかりに激しく責め立てる。少女はそれを短剣で反らしながら、二人が逃げる時間を稼いでいた。

 


「でも、これ無理かなぁ!」



 鋭い牙が突き刺さりそうなところ、慌てて短剣を滑り込ませて回避する。

 お陰で腕は平気だったものの、唯一の武器が破壊されてしまい、勝ちの目がなくなった。



 せめてもの抵抗で狼を蹴りつけ、仲間のところまで飛ぶ。



「…………ごめんねぇ、守れなかった」



「良いの、良いのよ! 最初から無茶だったの。私達が冒険者になるなんて……」



「ハァ……ぐっ、ハァ…………わりぃな、俺が誘わなければ……」



 腹に大きな傷を作った男が、脂汗を垂れ流しながら言った。



「喋らないで! 文句なら生き延びた後に言うわ!」



 何とか出血を抑えようと手で圧迫を図っていた彼女は、苦しそうに顔を歪める。

 そんな光景を見て、狼は嗜虐的な笑みを浮かべるように口角を上げた。



 さぁ、今、お前らの喉笛を噛みちぎってやろう――。



「――てええええええええええええええい!!!!!」



「グギャアッ!?」



 その瞬間、暗がりから出てきた少女が剣を振るう。

 赤い髪を大きく揺らす彼女は、これまで彼らが苦戦していた狼を一刀両断し、そっと息を吐くと冒険者達に振り返った。



「……あなた達、大丈夫? って、大丈夫な訳ないわよね」



 呆然とする彼らに反応することなく、少女――いや、既に妙齢の女性と言える年齢となったリンダは、腰にくくりつけた袋から液体の入った瓶を取り出す。



「はい、ポーション。完全に治すのは無理だけど、応急処置にはなるわ」



「……えっ、あっ、ありがとうございます」



「良いの。冒険者は助け合いってね」



 リンダから受け取ったポーションを男に振りかけると、たちまち傷が塞がっていく。

 その効果を見た冒険者達は目を見開き、顔を青くさせた。



「こ、これ滅茶苦茶高いポーションなんじゃ……」



「うーん、大丈夫よ」



「そ、そんな訳には……いくら時間がかかっても、絶対に返しきります!」



 ガクガクと震えながら抱き合う冒険者を見て、彼女は苦笑した。



「そう……じゃあ、あなた達が有名な冒険者になったら、返して頂戴」



 リンダは冒険者達を起き上がらせると、ゆったりと歩き出す。



「俺を置いてくのはやめてくれないか? リンダの速度で全力を出されると、追いつけなくなる」



 そんな彼女を咎めるように、暗がりからローブを被った男が出てきた。

 彼は深くそれを被っており、全く顔が見えない。話に聞くような魔法使いのような格好でもあり、赤髪の女剣士と魔法使いという組み合わせに聞き覚えのある冒険者達は、ごくりと唾を飲み込んだ。



「ま、まさかリンダ様!?」



 今までは殆ど暗闇と言っていい場所だったからろくに顔が見えなかったが、流石にここまで近づいたらしっかりと視認できる。

 始まりの冒険者とも呼ばれ、最強と名高いパーティーに助けられたのか。



「だってレクス遅いじゃない。本気出せば私よりも速く動けるのに、なんでいつもやらないの?」



「……あれは外付けの力だからな。こうして素の力を鍛えないと、いつか痛い目を見る」



「ふーん、そんなものなのね」



 ローブの方は顔すら知られていないが、リンダの方は冒険者をしていれば誰でも知っているほどに有名だ。十年ほど前に迷宮を攻略するために冒険者ギルドを作り、現在でもギルド長と現役冒険者を兼任している。

 彼女を女性だからという理由で甘く見るものは誰も居ない。誰よりも速く、鋭く、美しい剣戟を見てしまえば。



「ばたんきゅー……」



 あまりの緊張に冒険者達は意識を失った。



 ◇



「まさかここまで成功するとはな」



 迷宮に潜っていたら傷だらけの冒険者を見つけたので、その帰還を手伝ったレクスは、盛況なギルドを見て呟いた。



「やっぱり私ってば天才ね!」



「……いい加減、落ち着きを覚えてくれないかお姫様」



 ふふん、と鼻息荒く自己主張するリンダの頭を抑えながら、彼はため息をつく。



 迷宮よりスライムが逃げ出した事件から既に十年が経過していた。今では入り口に立派な壁……というよりも建物が建っており、ドラゴン級の魔物が出てこない限り破壊されることはないだろう。

 冒険者ギルドを作ることを決意したリンダは、偶に村を訪れる商人達に喧伝した。この村には迷宮という魔物が湧いてくる穴があり、そこには無限の財宝が眠っている。迷宮を探索し、武功を上げ、成り上がらんとする者は、冒険者になるために村に来い――と。



 意外と命知らずは多かったようで、リンダ達が想定していた以上の人間が訪れた。初めこそ荒くれ者共が暴れたり、冒険者の品性が問題となっていたが、レクスの尽力により多少は改善されている。

 そのため小さかった村は急速な勢いで発展し、今では有数な規模の街となっていた。



「しかし、リンクスの街ねぇ……どうしてこんな名前にしたんだ?」



 そこまで発展してしまえば、名前がないのは非常に不便である。そのためリンダは臨時村長――今では臨時的な代表であるが、その権限を使って名前をつけた。



 だがその時、レクスに一切の相談をすることなく街の名前が決定したのだ。名前が決まった日の五日前後はリンダが部屋から出ることすらせず、ずっと引きこもっていたというのだから、かなり考えたものだろう。

 


「――な、何度も言ってるでしょ。別に意味なんてないわ!」



「その反応を見るとそんなことなさそうなんだが……」



「そんなことあるの!」



 疑うように首を傾げるレクスに、リンダは髪と同じように頬を真っ赤にして叫んだ。最も有名な冒険者とは思えない姿であるが、二人共ギルド長の部屋にいるため目撃者は居ない。

 


 ――言える訳ないじゃない! 『リン・・ダ』と『レクス・・』で『リンクス・・・・の街』だなんて!



 歳を重ね、冒険者としても力をつけ、多くの人間から尊敬を受ける彼女であるが、未だ色恋沙汰には弱いようだ。レクスはそんな彼女の姿を見て、不思議そうに首を傾げた。

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