第五話
「あら?」
ある日、リンダが散歩をしていると変なものを見かけた。
それはモゾモゾと液体と固体の中間のような身体を揺らし、かなりゆったりとした動きで移動している。
身に染み付いた癖でそれを踏み潰すと、今更ながら疑問が湧いてきた。
「……なんで魔物が迷宮の外にいるのかしら?」
レクスが精霊の力を鍛えていた時、リンダがパタパタと走り寄ってきた。
「レクス、さっき変なことがあったの」
「変なこと?」
「迷宮によくいる魔物いるじゃない。あれがさっき外にいたのよ」
不思議そうに首を傾ける少女の表情に嘘の気配はない。しかし、その話は到底信じられるようなものではなく、思わず聞き返していた。
「……今まで魔物が外に出ることはなかったんだろ?」
「えぇ。初めて魔物と会った時、怖くて逃げ出したのよ。腰が抜けてたからとても遅かったんだけど、何とか逃げ切れたのね。その時は私が外に出た瞬間、まるで見えない壁があるみたいに
「それは……」
ますます迷宮の謎が深まる。
だが、今気にするべきなのは「何か」があるという穴の入口を、どうやって魔物が突破してきたのかだ。出てきたのが微力な魔物だから良かったものの、もっと強い存在が出てきたり、はたまた大勢が出てきた場合はかなりの脅威になってしまうだろう。
「――いや、本当に魔物はリンダが見たものだけだったのか?」
「え?」
「周りにそれ以外の魔物はいなかったのか」
「た、多分いなかったけど……でも大丈夫でしょ? だって魔物は踏み潰しちゃえば倒せるくらい弱いんだし……」
「それは俺達が入念な準備をした若者だからだ! 奇襲されたり、動きづらい老人が襲われたら命の危機だぞ!」
「っ!」
レクスの言葉に事態の重さが分かったのか、リンダはハッとした表情で目を見開いた。
彼女は途端に焦りを浮かべると、キョロキョロと辺りを見渡す。
「どうしよう、おじいちゃんがいない」
「村長さんが? 家にいるんじゃ……」
「私、さっき家に帰ったのよ。そしたらおじいちゃんいなくて……もしかしたら、私のこと探してるのかも」
「家を出る時なんて言ったんだ!?」
「さ、『散歩ついでに迷宮を見てくる』って……」
「今すぐ行くぞ!」
平時の冷静さを蹴飛ばし、彼はリンダの手を引いて走り出した。
流石の彼女もこの状況では浮かれることも出来ず、青ざめた顔で追走。
二人が迷宮に辿り着いた時、そこには魔物に襲われる村長の姿があった。
「――おじいちゃん!」
悲鳴じみた声を上げ、リンダは今にも押し倒そうとする魔物を弾き飛ばす。
レクスは彼女達を背中に庇い、ジリジリとした動きで距離を詰めてくるそいつと対面した。
(本当に……魔物が外にいる)
彼は驚愕を隠しきれない。精霊山に居たときは日常茶飯事であった魔物との対面であるが、この村に来てからは外でそれを見たことはない。
そのためにリンダの言う「魔物は迷宮の外に出られない」という常識を信じてしまっていたのだ。
目の前の敵を倒すのは簡単だった。いつもやっているように、蟻を潰すが如く容易に片がつく。
村長の元へ走り寄ると、地面に倒れ伏した彼にリンダが縋りついて泣いていた。
まさか、死んでしまったのか――。
「そ、村長さんの様子は?」
「……駄目よ」
「そんな…………っ」
「持病の腰がね。魔物を見た恐怖で転んだときに、完膚なきまでに叩きのめされてしまったの」
「…………それは良かった……いや、良かったか?」
命に別条はないと知ってホッと安堵のため息をついたレクスだったが、それを聞いて首を傾げる。
「今までも綱渡りのように農業に勤しんできたんだけどね……ついに、終わってしまったわ」
酷く悲しげに首をふる彼女。その動きがあまりにも激しく、抱き抱えられた村長は苦しそうに呻いた。
「こ、腰が……」
「なぁ、村長さん苦しそうだぞ」
「こんなことになるなんて……! 私が、迷宮に行くなんて言わなければ!」
「うっ!?」
「あ」
心の底より湧き上がってくる衝動に耐えきれなくなったか、リンダは村長を強く強く抱きしめる。その際に腰の付近に手があったものだから、彼は辛そうに顔を歪めた後、そっと意識を手放した。
「おじいちゃああああああああああああああああああああああん!?」
少女の慟哭が、虚しく空へ響いた――。
◇
「で、結局あの後どうなったんだ?」
「おじいちゃんもいい歳だから、『もうそろそろ引退しようと思っとった。良い機会じゃ』って」
「じゃあ村長さんの後はリンダが継ぐのか?」
「そうなるでしょうね」
村長腰破壊事件(止めを刺したのは娘)から早二日。彼らは村長の家で話していた。
再起不能かと思われた彼だったが、意外にも数時間後には復活し、セカンドライフを楽しむ意欲を見せている。
「それは良いな。おてんば娘も偉くなれば落ち着くだろう」
「一時的によ。私に村長が務まるとは思えないわ」
からかうように笑うレクスに、リンダは口を尖らせて答える。
魔物を発見してからはてんやわんやの大騒ぎだった。村人を総動員して、辺りに他のものが迷宮から出ていないかの大捜索。不幸中の幸いか村長を襲った個体以外には見つかることはなかったが、村人達の間には不安感が蔓延っていた。
「一応迷宮の入り口に柵は設置したけど……正直不安ね」
彼女は腕を組む。魔物――泥のような性質を持つことからスライムと名付けられた――が再び外に進出してこないようにするため、迷宮の周りに壁を作ることが計画された。流石に壁ともなるとすぐに完成するはずもないので、一時的に柵でもって代用しているが、スライム相手に効果はないだろう。
「今も交代制で見張りをつけているらしいな」
「えぇ。魔物――スライムって名前になったんだっけ? スライムだったら誰でも倒せるでしょうし、動きも遅いからそれほどの脅威じゃないわ」
問題は。
「やっぱり
迷宮の外には魔物は出ることが出来ない。それが破られた以上、今までの常識は信じるられない。これまでスライム以外の魔物を見かけたことはないが、更に奥、そこから新種の魔物が現れないとは考えられないのだ。
「……レクス」
「ん」
「私、本気で迷宮を攻略しようと思うわ」
リンダの目には強力な意志が宿っていた。村長のような被害を出す訳にはいかない、この事件は軽症で済んだものの、いつ誰が命を落とすか分からない――。
ならば、あの何処まで続いているか誰も知らない迷宮の正体を暴く。もしも叶うならば、破壊する。
そうすることが、おじいちゃんのような被害者を作らないための唯一の方法だから。
彼女は自身が加害者の一部というか過半数を締めている事実から目を逸らし、自分が生きている間に成し遂げられるか分からない目標を立てた。
「……良いんじゃないか? まぁ、二人だけじゃ難しいだろうが」
「それは考えがあるわ。他の人にも手伝ってもらうの」
「村の人達か? しかし……」
レクスは村の住民達の顔を思い浮かべる。そこに出てきたのは、大多数が深い皺を刻んだ者達だった。
「言いたいことは分かるわ。村の皆じゃ歳が心配っていうんでしょ?」
「そこまでは言ってないんだが」
「危険な魔物相手に、古ぼけた老人じゃ荷が重いだろうって、そう言いたいのね」
「そこまでは言ってないんだが?」
「そこでよ! この村の外から、迷宮を攻略するために人を呼び込むの!」
自信満々、我こそ稀代の計略家よ、とでも言い出しそうな表情で宣言するリンダ。
こいつ話聞いてねぇな、と確信したので憮然とした表情で拍手するレクス。全くの正反対であった。
「ここに宣言するわ! 迷宮に挑む人々――冒険者の拡大と、それらが所属する“冒険者ギルド”の設立を!」
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