第四話
精霊とは自然から生まれた存在であり、自然を操る。
例えば水の精霊であれば水を操り、火の精霊であれば火を操る。勿論木の精霊であれば木を操るが、さて“精霊の王”は一体何を操るのだろう。
――答えは“精霊を操る”だ。
「おぉ……火だ……」
レクスは目の前で顕現した奇跡に驚きつつ、心の中の「男の子」を必死に宥めていた。
“迷宮”に挑んだ日から早くも七日ほどが経過し、初めは多少の不信感を抱かれていた彼だが、今では農作業を手伝うほど村に馴染んでいる。
そんなある日、レクスは不老不死以外に精霊としての力を使っていないことに気が付き、何が出来るのか検証することにしたのだ。
そして先程行ったのが「火の出現」。
精霊の女王が自身の特性である木以外にも水などを操っていたので、自分にも出来るのではないかと思ってやってみたのだ。まぁ特性以外に操れないとしたら、元々人間である彼には何も操れないのだが。
自然の力とは、それ即ち精霊の力と言える。自然現象は精霊によって起こり、精霊は自然から生まれる。その殆どは自意識を獲得していないため、人間からでも観測できるほど力を持っていないのだ。
レクスの力はその意識を持たない弱い精霊を操る力である。女王のように強い力を持った存在にもなると、今の彼ではまだ操ることは出来ない。勿論相手側が受け入れた場合は違うが。
弱い火の精霊を操って、指の先から小さな火を上げる。
まるで攻撃には使えないほどの大きさだが、長年憧れ続けてきたレクスにとっては十分だった。
「レクス! “迷宮”に行くわよ!」
そうして検証を終えた彼が農作業でも手伝うか、と思っていたところ、リンダが現れる。
「……またか?」
「えぇ! 冒険をするの!」
「昨日も行っただろ」
「だからこそよ。昨日よりも今日。今日よりも明日! 奥へ奥へと進み、迷宮を攻略するの!」
呆れた、とでも言いたそうな顔で彼女を見るレクスに、毅然として胸を張る。
「…………分かったよ、お姫様」
「さっすが。皆はレクスのこと私の騎士様って呼んでるみたいよ」
「騎士? 勘弁してくれ。こんなおてんば娘が相手じゃ、気が休まる暇もない」
「あらやだ。私はお淑やかな乙女って専らの噂なのに」
一体誰がそんなこと言ってるんだ、と聞いても誤魔化されるだろう。
レクスはため息を飲み込むと、尻尾があったら大いに振り回していそうな少女についていく。
彼女は一度村長宅に入ると、中から新品も同然の鍬を取り出してきた。
「はい、レクスの分」
「……こいつも、まさか自分が土じゃなくて魔物を耕すことになるとは思ってなかっただろうな」
「出世じゃない? ほら、もしかしたら聖鍬みたいな感じで語り継がれるかも」
思ってもいないであろうことを、笑顔で嘯くリンダ。
レクスは鍬を可哀想に思って、そっと撫でる。お前は普通の世界で生きていけたはずなのになぁ。
「さぁ、私達は冒険をする者! 人呼んで『冒険者』!」
「多分誰もそんなこと言ってないだろ」
「やぁね。こういうのはノリよノリ。堂々と名乗ってればいずれ誰かが呼んでくれるわ」
肩をすくめて言う彼女に、彼はそんなものか? と訝しんだ。
未だ底の見えない迷宮に、今日も彼らは挑んでいく。
「本当に不思議なんだけど、迷宮ってどうやって出来たのかしらね」
土の壁を見ながら、リンダは疑問を呈する。
彼女の睨む先はひたすらに続き、曲がり角があって最奥には辿り着いていない。
「それを言ったら、どうしてこの土から魔物が生まれてくるのかもだな」
「ほら、やっぱり作物みたいな感じなんじゃないの? きっと魔物も土から生えてくるのよ」
「だから鍬を用いるのは適してるって?」
「えぇ!」
自信満々に鍬を掲げる。
こころなしか、その輝きは何処か鈍っていた。
迷宮の探索を初めてから七日が経ったわけだが、曲がりくねるものの分かれ道は出現していない。
魔物も先の粘体のみしか現れず、最初の方はあった緊張感も消失している。流石のレクスも数秒で終わる戦いがずっと続けば緊張の糸も解け、慢心していそうなリンダに注意する頻度が少なくなっていた。
「……あら?」
そうして歩いていた一行だが、道の脇に木製の箱がおいてあるのが見える。
「何かしらこれ」
「罠じゃないか? おそらくここまで来たのは俺達が最初だろうし、誰かの忘れ物ってわけでもないだろ」
「分からないわよ。もしかしたら迷宮を作った存在のものかも」
ワクワクとした様子を隠しもせず、彼女は木箱に手をかける。
それを止める暇もないまま、リンダは思い切り箱を開けた。
「……………………」
「……………………」
「…………何かしら、これ」
「剣…………じゃ、ないか? 多分」
二人の間に困惑の空気が漂う。その箱の中に入っていたのは、随分と錆びついた……言ってしまえば、およそ剣としては使用できないであろう物であった。
「何に使うの?」
「何って……物を斬ったり」
「これで?」
「これで」
「……宝箱って奴なのかしら。それにしてはちょっとアレだけど」
その剣モドキを持ち上げて、ジロジロと関するリンダ。
あからさまに置いてあった箱の中に宝物……いやそう言って良いのか分からないが、とにかく物が入っていたから、お話で聞くような宝箱だと思うことにした。
「そうなると、余計に迷宮が何なのか分からなくなったわ」
「魔物が生まれ、宝箱……宝箱? まぁ宝箱がある……存在理由が分からん」
「でもこれも浪漫ってやつね」
使い道はなさそうだが一応持っていこう、と少女は剣モドキを袋にしまう。あまりにも錆が酷すぎるので、抜身でも布製の袋を切り裂くことはないだろう。
「レクス、気になるでしょ? この迷宮の奥底に何があるのか……」
フフフフフ……と何故か怪しい笑みを浮かべるリンダに、レクスは苦笑した。
「あぁ、初めは無理矢理だったが、最近は自分の意志で挑んでいるような所がある」
「やっと素直になったわね。それでこそ冒険者よ!」
「俺は冒険者なのか?」
「そう! 私が冒険者第一号で、レクスは二号!」
眉を上げて訪ねた彼に、少女は珍妙な称号を授ける。
こうして、先の未来で『冒険者の祖リンダ』と呼ばれる少女と、『冒険者の杖』と呼ばれるレクスは、名実共に冒険者となったのであった。今はまだ自称であるが。
◇
幸福は、突然の悪意に飲み込まれて掻き消える。
それは幸福が大きれば大きいほどに膨大な悪意に飲み込まれ、失意の底に落とされるであろう。
魔物が生まれるという迷宮にも、やはりその悪意というものは宿っていたようで。
『…………………………■■■■■■■■■■■■■■■』
『■■■■■■■■■■■■■■』
『■■■■■■■■』
『■■■■■■■■■■■■■■■■■』
『■■■■■■■■■』
この世界が生まれてから、誰も辿り着いていない穴の奥底で。
何者にも観測されない悪意が、初めて表舞台に立とうとしていた。
◇
「今日も楽しかったわ」
リンダは赤髪を振り回しながら、藁の詰まったベッドに飛び込んだ。
彼が来るまでは変化のない生活に、満足こそしていたが僅かな退屈を感じていた。しかし今では毎日が色鮮やかに見える。それもこれも、レクスのおかげ……。
「……………………っっっ!!!!!!!」
バタバタバタバタバタ。
枕に髪色と同じように真っ赤になった顔を押し付け、足をバタつかせる少女。小さい村であり、同年代の少ない彼女にとって、一先ず見た目だけは同い年程度のレクスとの日々は刺激的に過ぎるようだ。
彼は自分の行動に、文句を言いつつも付き合ってくれる……。
「べ、別に好きって訳じゃないけどね!」
何処に言い訳をしているのか分からないが、とにかくリンダは叫んだ。ちなみに、もしもこの発言が村長の耳に入れば、今頃レクスは血の海になっている。可哀想な被害者である。
「――こんな毎日が……ずっと続けば良いなぁ」
枕を抱きしめて呟かれた願いは、夜闇の影に吸い込まれて消えた。
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