第三話
「冒険、ね」
しましょーよー、しましょーよー、と言って青年の周りをぐるぐる回るリンダを無視しながら、レクスは考えに耽った。
普通に考えるなら、これは断るべきだ。魔物が出ると分かっている所に行くなど正気ではないし、何より彼女が危ない。自分だけなら何とかなるかもしれないが、リンダには大事にしてくれる人がいるのだ。
が、これも村長が“穴”へ行っても良いという許可を出していることから、あまり心配しなくてもいいのかもしれない。そもそも自身の愛娘に危険な場所へ行く許可を出すだろうか? 出さないだろう。ということは、この“穴”にそれほどの危険性を見出していないと考えることが出来る。
そうなると押しの強いリンダの言葉を断る理由は少なくなるし、レクス自身も気になっていた。
「魔物の生まれる“穴”……」
彼の山では、魔物は自然繁殖する。
魔物とは「魔力を持った生物」であり、それには元となった生き物がいる――とは言っても、魔力という特異な性質を持つために常識では考えられない進化を遂げ、まるで液体のような身体を手に入れたり、金属のような身体を持つものもいるが。
そのため、地面から茸のように魔物が生えてくる訳ではない。それなのにこの“穴”からは魔物が生まれると言う。実を言うと、かなり気になる。
「大丈夫よ、心配なら武器を持ってくるわ!」
「武器」
「えぇ、どんなに硬い地面だろうと耕せる優れものよ」
「それは農具と言うんじゃないか?」
「それで魔物の頭を耕してやるわ!」
「育つのは血の花だな」
やけに自信満々な彼女の姿に、レクスはため息をついた。
「はぁ……良いよ、行こう。でも本当に危ないときは戻るぞ」
「当たり前よ。流石に私も死にたくないわ」
リンダはそう言って笑うと、レクスの手を取って穴へと誘う。
穴の大きさは成人男性一人と半分程度の縦幅を誇り、横幅は三人が優に寝転べるほどだ。日光が遮られるために奥へ行けば行くほど暗くなるはずだが、どういう訳か視界は明るい。
「……不思議な光景だな」
「そうでしょ? だから見せたかったの」
あたりの壁は土。入り口の方こそ人間が加工したような跡があったが、入って数歩もするとその様子もなくなった。そもそもこのような横穴を掘る技術など存在していないため、それこそ天然物の洞窟にしかありえないものである。
しかし洞窟にあるまじき現象である謎の光。光が発せられているというよりも、穴の外と同等の視界が得られていると言ったほうが良いだろうか。土故にぼこぼことした地面や壁が続くが、影一つないのが違和感を感じさせる。
「あれは?」
しばらく歩いていると、壁にへばりついた粘体のようなものが蠢いていた。
「魔物よ」
「魔物……あれが」
よく観察してみると、半透明のその身体には、所々赤い石のようなものが浮かんでいる。
「名前は特にないんだけど、あの石を砕けば死んじゃうわ」
「だが、結構な数があるだろう」
「大きさを見て。踏んづければおしまいよ」
見せてあげる、と言って彼女は粘体に近づく。
そいつは寄ってくる人間を認識すると、身体を震わせて飛び出した。
「えい」
だがその速度はあまりにも遅く、リンダの足が突き刺さるには十分だった。
彼女は情け容赦なく粘体を踏み砕くと、泡が弾けるような音とともに消失する。
「これが、魔物?」
レクスの疑問に満ちた声。
精霊山で見てきた魔物や、あの狼はこの程度では間違いなく死に至らない。むしろ煽られたと感じて更に力を発揮することも考えられる。
なのに、あの粘体はいとも容易く死んでみせた。およそ、今までの常識では考えられない。
「だから安全だって言ったでしょ? 私、魔物ってここの奴らしか見たことないから、おじいちゃんが言うような『強い魔物』って存在が信じられないのよね」
リンダは腕を組んで鼻を鳴らす。その様はまるで退屈だ、とでも言うようで、レクスの胸に一片の不安が過ぎった。
「慢心は危険だ」
「私、この村のことは大好きだけど、ちょっと刺激が足りないのよね。だから冒険をするの。危険を冒すから冒険でしょ?」
その言葉を聞いて、レクスはため息をついた。
「村長さんは悲しむぞ」
「それは困るわ。おじいちゃんのこと好きだもの」
「だったら危ないことは――」
「でも、退屈は私を殺すわ」
ずずい、と近づいて少女は青年の胸を押す。
予想していなかった行動にレクスはたたらを踏み、彼女の顔を見つめてしまう。
「旅人さん、あなたは私を生かしてくれる?」
「…………俺は、もしかして女運が悪いのか?」
「あら酷い。私、これでも村一番の美少女って呼ばれてるのに」
クスクスと妖しく笑うリンダは、これまで抱いていた彼女についてのイメージを一変させた。
「刺激が欲しいの。もしも“穴”が危ないと言うなら、レクスが刺激になってくれるのかしら」
「それは……俺が村長さんに殺されるだろ」
「それもまた一興ね」
「犠牲になるのが俺じゃなかったらな」
流石にあの優しそうな村長の怒髪衝天を見ようとは思わない。それに目の前の少女に手を出してしまったら、何処ぞの精霊が怒り狂ってしまいそうだ。
「さっきも言ったが、本当に危ないときは戻るからな」
「えぇ、勿論。私も死にたくないわ」
彼の心を占めるのは諦念。彼女の表情は喜色満面。対照的な両者ではあるが、二人は決して離れないように穴の中を進んで行った。
「――楽しかったわ!」
“穴”から出た頃には、斜陽が村を照らしていた。
レクスの表情は完全に死んでおり、その身体には疲労が蓄積しているであろうことが見て取れる。対してリンダの口元には大輪の花が咲いていて、さぞや楽しき時を過ごしたのであろうと予想できた。
「……それは良かったよ、お姫様」
皮肉げな口ぶり。
それを聞いた彼女は若干眉を寄せながら、“穴”のことを振り返る。
「でもずっと一本道ってのはつまらなかったわね……何本にも分かれてたら、迷路みたいで楽しかったのに」
「良いだろ、
「迷宮? 良いわねそれ、格好良くて。“穴”よりかはだいぶマシだわ」
今からあそこの名前は“迷宮”よ! と、リンダは手を上げて笑みを浮かべた。
それを見て「どうしてあんなに元気が残っているんだ……」と彼は頭を押さえる。
「あぁレクス。あなたがこの村に来てよかった。まだ一日目だけど、最近で一番楽しい時間だったわ!」
「………………それなら、良かったよ」
先程とは違う、本当に言葉通りの顔。
斜陽に照らされたそれを見たリンダは、夕日に当たった頬をそれ以上に朱く染めた。
「………………そ、そうね! 本当に良かったわ!」
「……?」
「何でもない! それよりも早く家に行きましょう! 多分おじいちゃんが美味しいものを用意してくれているわ!」
「おいおい、俺は疲れてるからもうちょっとゆっくり行ってくれ……」
「聞きませーん!」
あははははははははは!
声を上げて走り回る少女と、彼女に腕を掴まれて引きずられる青年。彼らは人口の少ない村では酷く新鮮に映り、農作業から戻ってきた村人達から生暖かい目線を向けられる。ついに、リンダ嬢にも春がきたか……。
しかし、お相手である見知らぬ青年の目が、まるで娘でも見るようなものであるのは一体どういう訳だろうか。少女は自分達の娘のようなものでもある。贔屓目も入っているかもしれないが、リンダはかなり顔立ちが整っているはずなのだが。
村人達の疑問に答える声は、勿論存在せず。
楽しげな声が響き渡る小さな村は、幸福に包まれていた。
ちなみに。
「旅の人。リンダに手を出したら分かっていましょうな?」
そんな感じで村長宅に戻ったらそこには鬼が居た。
しばらくレクスは魘されたらしい。
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