第二話

 自らの脚で動けるようになった狼は、レクスに礼を告げるように唸ると、茂みへ飛び込んでいった。

 彼の者が此後も生きていけるのかは何者も知らぬが、いつかまた会えるような、そんな気がする。

 感傷じみた感情にため息を付きながら、彼は道を行く。時間は有り余るほどあるが、それに甘えてゆっくりとしていたら、また飢餓で倒れてしまうかもしれないから。



「………………」



 それからも、彼は歩き続ける。

 魔物らしき気配を感じたら身を隠し、偶に食べ物を見つけたら取っておく。

 何度も日が昇りその分だけ夜が来た。初めこそゴツゴツとした地面に慣れなかったが、何日かすると問題なく眠れるようにもなった。流石に起きた時身体の痛みは感じていたが。



 ――そして、旅を始めてから両手では数えられない日が経った、ある日。



「あれは……」 



 レクスは目を細めた。

 地の向こうに棚引いているあれは、煙だろうか。

 自然のものである山火事などでない限り、あれは人間がそこにいるという証拠だろう。よく見てみれば今まで歩いてきた道から小さなそれが伸び、雑木林の向こうへ伸びている。



 彼は故郷を出てから初めての大きな変化に胸を躍らせ、小さな道を行く。

 そこには人間が何度も通ったような跡が残っており、この先に人間がいるのは間違いないと思われた。



 数分ほど歩いていけば、広がっていたのは小さな農村。



「……おや、珍しいなぁ、ここに人が来るなんて」



 ぼう、と眺めていた彼に気が付き、声をかけてきたのは顔に皺を刻んだ老人だった。

 レクスは老人に頭を下げると、自身が旅のものであると名乗る。

 


「俺はあの山にある村から来ました」



「ほぉ、“あそこ”から。まさか住んでいる人間がいるとはなぁ」



「“あそこ”……? 失礼ですが、どういうことでしょう」



 青年が指さした方向にある山へ目を向けると、驚いたように目を見開く老人。

 その様子に違和感を抱いたレクスは、思わず疑問を呈していた。



「あの山は……まぁそこに住んでたんなら知っておろうが…………魔物がようおってな」



「あぁ……確かに」



「それでも儂らの村では、あそこには精霊様が住んでいると言われているのじゃよ」



「精霊」


 

 苦虫を噛んだような表情をする彼に怪訝な顔をしながら、老人は続ける。



「おぉ……それで、あの山は『精霊山』と呼ばれていてな……まさかそこに人が住んでおろうとは」



 長く生きてみるものじゃ、と彼は言った。

 その後レクスは村に滞在してもいいか、と聞いたところ、



「勿論。滅多に来ないお客さんじゃ、歓迎しよう」



 と顔をしわくちゃにして笑った。

 どうも彼はこの村で村長のような役割をしているらしく、他の建物よりも立派なそれにレクスを案内した。自分の住んでいた村と違い、村長も農作業をしているらしい。羨むような、微妙な気持ちが湧き出てくるが、流石に不審であろうと抑える。

 まぁ既に格好からして不審なので、時すでに遅しなのだが。



「…………? ………………! ちょっとおじいちゃん! 誰よそれ!」



 レクスが村長宅にお邪魔した時、そこには十代中頃だと思われる少女がいた。

 彼女は赤色の髪を振り回し、珍しいおもちゃでも見つけたかのように興奮している。



「あぁ、旅の人……ご紹介します。儂の娘のリンダです」



「リンダよ!」



「俺の名前はレクスです」



「そう、レクスね! レクスはいつまでここにいるの!?」



 興味津々、といった感じで顔を近づけてくる彼女に、彼は特に決まっていないと答えた。

 旅人として各地を回っているならばありえない回答だが、少女は疑問を抱かなかったようだ。また無期限の滞在者など歓迎するはずもない立場の村長であるが、娘の嬉しそうな様子にため息をつく。



「よく来たわね、この村に。ここは凄いものが沢山あるのよ! 旅の中でもとびっきりいい思い出を作ってあげる!」



「それは……ありがたいな」



 思い出が沢山あれば、彼女にも良いお土産が出来る――。

 笑顔の仮面に隠した寂寥感に、リンダは気が付かなかったようだ。



「一先ず“穴”に連れてってあげる。良いわよねおじいちゃん!」



「“穴”は……危ないんじゃないかのぉ」



「大丈夫よ! ねぇレクス?」



「その穴というのがどういうものか分からないが……多分大丈夫だろう」



 レクスは頬を掻く。不老不死と言えども埋められたりしたら辛いが、人を案内するくらいなのだから安全だろう。外に出ようとした彼に、リンダは待ったをかけた。



「まずは着替えなさいよレクス。それに身体拭いてる? ちょっと臭いわよ」



「ここらへんに井戸はあるか?」



 反射的に尋ねる。流石の彼でも悲しそうな目をしていた。

























 井戸から汲み取った水に布を浸し、しっかりと絞る。

 今の季節は緑が生い茂るほどだから、水温もそれほど低くない。これが雪のふる季節であったら凍えるほどの冷たさであるが、今は問題ない。年頃の少女に臭いなどと言われることほど精神的ショックを受けることもないので、かなり念入りに身体を拭いた。



 その後村長の家からリンダが出てきて、村長のものだと思われる衣服をレクスに渡す。



「申し訳ない」



「良いのよ。あんなにボロボロなのは着られないだろうし」



 眉を下げる彼に、少女は快活に笑った。



 いかにも農民らしい服を身に纏った後は、噂の“穴”とやらに案内してくれるようである。リンダはレクスを先導して、村の中心部にある村長の家から、村の入口――村長と出会った小さな道のこと――とは反対の方向へ足を進める。

 あまり発展していない農村のため、行き違う人の数は多くない。しかしその殆どから向けられる生暖かい目に、彼は少し気恥ずかしく思った。



「着いたわ。ここよ!」



 自信満々に紹介するのは、山の斜面に空いた洞窟のようなもの。

 傍から見たら完全に洞窟そのものであり、案内するほどのものとは思えないのだが……よく見てみると入口付近は人工的に手を加えた形跡がある。坑道か何かだろうか。



「……ここは?」



「私達の村で“穴”と呼ばれているもの。そして――魔物が生まれてくる場所よ」



「魔物が……?」



 思わず穴に注目し、眉を顰めてしまう。

 今までしっかりと対面してきた魔物はあの狼だけだが、彼の者でも十分な脅威であった。まもなく餓死寸前の死にかけですら、である。

 もしも彼女の言葉が本当で、魔物の故郷がこの牧歌的な村にあるとしたら――およそ印象通りではないし、何より危険なのでは。



 そんな疑問を込めた目を向けると、リンダは苦笑する。



「とは言っても、そんな強いものじゃないの。私でも十分倒せるような奴らだし、何より外に出てこない・・・・・・・から」



「出てこない……?」



 鸚鵡返しに返す。それしか出来ないほどに、非常識な発言であった。

 彼の住んでいた村では、魔物とは意思の疎通が出来ず、行動が予想できない化け物だと言われている。彼の狼は限定的に意思の疎通が叶っていたが、あれは本当に例外なのだ。本来ならばこちらの言葉など一切聞かずに、美味しく頂かれていだだろう。ドラゴンなどの上位種に通じる賢さを感じた。



 そして、魔物の行動は予想出来ない。

 何故なら奴らは普通の生物とは違い魔力を宿している。そのせいで本能的な行動が抑えられ、かと言って理性的な行動をする訳でもないので、およそ人間には思考パターンが理解出来ないのだ。



 しかしこの穴から湧いてきた魔物は外に出ないと言う。今までの常識と照らし合わせて信じられない情報に、レクスは瞠目した。



「えぇ。その様子だと、こんなのは旅をしてきたレクスでも初めてみたいね」



「あぁ…………とは言っても、旅を始めて最初の訪問地がこの村なんだが」



「あらそうなの? 光栄ね」



 リンダは仄かに口元に笑みを浮かべ、悪戯げに目を細めた。



「ねぇレクス……冒険しない?」

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