第五話
「……………………ん」
パチリと目を覚ますと、そこは燦々と太陽が照らす樹の上だった。
体を起こし周囲を見渡す。何の変哲もない、
あぁ、空を見るに、もう昼食の時間か。
こうしていると彼女に怒られてしまうかもしれない。十年前は何も食べないのが当たり前だったから、料理をしなくても何も言わなかったのに、最近では少し遅れただけでむくれるようになってしまったのだ。
それでも彼女が楽しそうにしているから、文句はないのだが。
「ごめん、セイ。今作るから……」
怒っているであろうお姫様に向かって、声を上げる。
拗ねているのか顔も見せてくれないが、流石にこう言えば出てくるだろう。
そう思ってしばらく待っていたが、一向に彼女は姿を見せようとしない。
「……? おかしいな……」
ナニカがおかしい。
何だ、この胸のざわつきは。
何かを忘れている。
何か。
何だ? 何を忘れた?
急に腹に喪失感を感じて、反射的に手を添える。
「……ッ!」
それはおかしい。
だって、自分の身体は確かに槍に貫かれたはずで……。
「――セイ!」
思い出した。
村人達の攻撃。あの後どうなった? 確実に致命傷を負っていた俺が、どうして今も生きているのか? 姿を見せないセイは一体どうなった?
焦りを表情に出して、彼女が居そうな場所を巡る。
段々と可能性が潰されていく中、最後に辿り着いた場所で、彼は見つけた。
「せ、セイ……」
『あぁ…………おはよう、レクス……。いや、今はこんにちはかな?』
精霊樹の樹洞の中、陽の光が入ってこない暗いそこで。
「な、何して……」
半透明な状態で、そっと凭れ掛かる彼女の姿を。
◇
『私はね、ぼんやりとだけど未来が見えたんだ』
力のない表情で、虚空を見つめる彼女。
『そうして視たんだ……“私の死”という未来を』
何処か無機質な、薄い笑みを浮かべる。
『今まで、視てきた未来を変えることは出来なかった。だから理解したんだ。これは、回避不可能な“運命”を見る力だ、ってね』
そして彼女は、少し困ったように眉を下げた。
『最初の方は悲しんだよ。「どうして私がー」って。でも、何百年も生きてね……もう、良いかって』
再びぼんやりと虚空を見つめる。
『満足したんだ。私は木の精霊だから、この場所から離れられないけど。ずっと生きて、何度も生命の終わりを見て。本来生き物ってのは「最期」があるものだ。だけどそれに反して、私には終わりがない』
自嘲するような、彼女には似合わない笑み。
『“精霊の女王”……私が生まれながらにして持つ特性であり、無条件で他の精霊を従える力。自然から発生する精霊達を従えるという性質から、私は不老不死だった』
でも、と明るく笑った。
『運命はね、約束してくれたんだ。こんな私の“最期”を。死にたくても死ねない、こんな私に終わりを約束してくれた』
「……………………」
『それが、こんな形になるとは思ってなかったけどね……』
「……………………」
『そうして生きてたらさ、レクス、君が現れたんだ』
無言で俯く彼に、セイは指を向けた。
『楽しかったよ……君みたいな人間は初めてだったからね。精霊達も私には従順なばかりで、ろくに話も出来ない。でも、君は違った』
「………………」
『幸せだったんだ。いっそ、「このまま終わりが来なければいいのに」って思うほど』
「………………!」
『でも、やっぱり駄目だったよ。あの瞬間、私は私の終わりを確信した』
せめて、レクスだけは助ける――そう思ってたんだけどね。
彼女は悲しそうに微笑んだ。
『全部私のせいだ。私が身に余る幸せを願ったから、君が死んでしまった』
「ち、違…………」
『だからね、最期に我儘を一つだけしてみたんだ。どうか、私は死んでもいいから――』
――レクスだけは助けてください、って。
『誰に祈るんだって話だよね。でも、我儘は叶った』
「もう良いから……」
『私の精霊の力を君に譲渡し、君は生き返った』
「もう良いよ……」
『ごめんね、不老不死にさせちゃった。一生怨んでくれて良い。むしろ怨んで欲しい』
「そんなことしないから……」
『それでも、私は君に生きて欲しかった』
セイは視線をレクスに向けると、鮮やかに鮮烈に微笑んだ。
その表情に、ついに彼は耐えられなくなり、顔をクシャクシャにして駆け寄る。
「お、俺は……! 自分なんてどうだって良いから、セイに生きて欲しかった……!」
『そうなんだ……これは、両想いってやつで良いのかな』
「あぁ……!」
『ふふ…………嬉しいなぁ……ほんと、身に余る幸せだよ……』
二人は抱き合う。
セイは肩を震わせると、自分よりも高い位置にあるレクスの顔を見て、そして胸に鼻筋を埋めた。
『君の名前……レクスだけどね、「王」って意味なんだ』
「王……?」
『私が女王だからさ……並び立って、共に生きて欲しい……そういう願いを込めた。重いかな……?』
「いや…………俺も、そう思ってるよ」
レクスは力一杯彼女を抱きしめた。
それは刻一刻と薄くなっていく彼女をこの世に留めようとしたからかもしれない。痛いほどに抱きしめられたセイは、涙を堪えるように微笑んだ。
『あぁ……幸せだなぁ……』
一つ、呟き。
「…………」
彼女は、緑色の光となって、溶けて消えた。
「……………………セイ」
声を発しても、虚しく樹洞に響くだけ。
あの明るい笑みはもう見られないのだ。
しばらくそのまま蹲っていたが、固まった頭が現実を理解すると、滂沱のように涙が溢れ出てくる。
「あ、あ、あぁあぁぁぁぁぁぁああぁぁぁぁぁぁあぁぁ…………」
泣くな、泣くな、泣くな。
彼女との最期の時間を、こんな悲しみで閉じるな。
上を向いて、満面の笑みを浮かべて。
セイと出会えてよかった。一緒に生きられてよかった。幸せな明るい記憶で別れを終わらせろ。
「………………」
レクスは乱暴に袖で目を拭うと、震える脚を叱咤して立ち上がった。
瞬間、足元が大きく揺れる。
彼は一体何が起こったのかと思考を巡らせるが、新しく芽生えた「精霊の感覚」が答えをもたらした。
精霊樹はセイの依代だ。そして精霊樹とセイはイコールであり、片方が消えれば片方も消える。
つまりは彼女の消失に伴って、精霊樹もまた終わりを告げようとしているのだ。
十年間過ごして来た相手も、場所も。
跡形も残さずにどちらも消えてしまうのか。
音を立てて崩落していく精霊樹。
彼は脱出しようとする気概すら見せずに、そのまま飲み込まれていった。
◇
「……………………」
どれほどの時間が経ったか。
真っ暗な地面の中では、時間感覚が全く機能しなかった。
少しずつ掘り進めて行って、やっと見えた一筋の光。
この期間、ずっと呼吸もせず食事もしなかったのに、一向に死の気配は見えない。本当に不老不死になってしまったのだと、否が応でも理解させられた。
ぼこり。
硬い地面の下から出てくる腕。
それを見るものが居れば、まるでゾンビの登場かと思うような光景だが、幸いにも目撃者はいなかった。
「眩し……」
久しぶりに目に入ってきた光に、反射的に目を細める。
キョロキョロとあたりを見渡せば、何処となく彼女との生活の残滓が見えた。
最も重要な、あの精霊樹はもう失くなっていたけれど。
――さぁ、何をしようか。
彼女は『生きて』と言った。
今まで「ニンゲンモドキ」と「精霊の生贄」としてしか生きてきたことがない。いきなり自由を与えられても、一体何をすれば良いのか。
困った彼が頭を抱えると、ふと、地面に小さな小さな葉が見えた。
ここは、精霊樹があった所で――。
「…………………………あぁ、そうか」
彼女は、こうして生きている。
風が一陣吹いてきて、レクスの髪と葉を揺らした。
しばらく考え込んでいた彼が顔をあげると、そこには先程までの淀んだ暗さではなく、地上を照らすような明る光が宿っている。
「――俺は…………世界を見て回るよ。セイが生きて欲しいと言ったこの世界で、一体何が起こるのか見てくる。そしたら……偶に戻ってきて、動けない君に伝えよう」
君が見たくても見られなかった、外の世界を。
彼は眩しい空を見上げると、精霊樹の子供を背後に歩き出した。
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