第四話

「なんだ……!?」



 レクスが料理の仕込みをしようと準備をしていると、突如鬨の声が聞こえてきた。

 樹の下を除きんで見ると、そこに居たのは数多くの武装した人間達。

 しかも火でも放たれたのか、轟々と燃え盛っている。セイが何かしているのか、この樹上には煙すら侵入していないようだが……そのせいで気がつくのが遅れた。



「セイ! 何が起こってる!」



『…………』



「セイ!」



『……運命だよ。避けることの出来ない、ね』



 彼女は何処か諦めたような笑みを浮かべる。

 あまりの儚いそれに、レクスはセイが消えてしまうのではないかと思った。



「何が運命だ! 一体何をしようとしているのか分からないが、止めてくる」



『駄目。レクスは行っちゃいけない』



「じゃあ!」



『私は木の精霊。ここから離れることは出来ないんだ』



「だったらなおさら止めなくちゃ!」



 普段の感情の乏しさは何処へやったか、彼は焦ったようにまくしたてる。

 それを受けるセイは、しかし違和感をおぼえるほどに穏やかだ。



『私が生まれて、数百年経った』



「こんな時に何を……!」



『もう、良いんだよ。十分に生きたし、この身には不釣り合いなほどの幸福も手に入れた』



「それなら、その“幸福”とやらと一緒に生き――」



『君だよ。レクス』



 額から汗を流すレクスに、セイは微笑む。

 その指摘に彼は動揺し、思わず一歩後ずさってしまった。



『精霊として生まれ、人間に疎まれ。それでも私は、君と共に生きることが出来た』



 彼女はこの状況だというのに、歌うように、高らかに、軽やかに言い上げる。



『埒外の幸せだったのさ。私には過ぎたものだ』



「そんなことない……!」



『いや、そうなのさ』



 見ていてね、と小さく呟く。

 自身よりも小さな体から発せられた圧に、レクスは唾を飲み込んだ。



『これは……神ってやつの力かな? 確かに凄い力を感じるね』



 セイがゆったりと空を見上げる。つられて彼も天を睨みつけると、果たして、そこには万を超える光の槍が浮かんでいた。

 己の目を疑う光景。今ではまだ名前のつけられていない奇跡であるが……後の世では、これらの力は『魔法』と呼ばれるようになる。



『でも、まだまだ若いな。生まれたてなのか』



 その声に反応したかのように、槍は驚くべき速度で飛翔してくる。



『見せてあげよう、“精霊の女王”の力の一端』



 彼女がそっと手を掲げると、樹上を守るかのように大きな水の盾が生まれた。

 水は光を反射させ、四方八方に散らばっていく。しかし地上にいる人間達の元へは飛んでいくことなく、それすらもコントロールしていることがわかった。

 ただ稀に盾を突破してくるものもある。それらはセイの腕の一振りで生じた炎によって呑まれていくが。



「…………」



 絶句。

 十年間一緒に居たレクスだが、彼女が木以外の力を使っているところを始めて見た。

 それに“精霊の女王”? 駄目だ、頭が追いつかない。



「登ったぞ! 悲願は目の前だ!」



 彼が呆然としていると、戦意に塗れた声が聞こえてくる。

 ハッとして振り向けば、そこに居たのは数多くの武装した人間。



「見つけた! 我々は奴を殺し、未来を創る!」



 見覚えがある。



 ああして最前線で指揮を取っているのは、にちゃにちゃとした厭らしい笑みと共に蔑みと暴力を振ってきた村長。それに応じて槍を持って突撃してくるのは、いつも石を投げてきて、吐瀉物のような餌を与えてきた農民。



 あぁ、間違いなくあの村のニンゲン達じゃないか。



「待て!」



 それを理解したレクスは、セイを庇うように両手を広げて進路を塞ぐ。

 初めて存在を認識した、とでも言うのか、彼らは目を見開いて動きを止めた。

 


 いける、俺が何とか頑張れば、この戦いを止めることが出来る――!



「お前……ニンゲンモドキ、か……?」



「そうだ! 一体どうして精霊様に危害を加える!」



 村での彼の呼び名。

「ニンゲンモドキ」と野卑の家の者は呼ばれていたが、小さかったレクスには意味が分からなかった。

 セイに『知らなくてもいいよ』と言われていたから、未だに理解していない。

 それでも名前らしきものがあるということは、多少は情があるということではないか――。



「何故生きている? 人類の裏切り者が」



 瞬間、表情を消した農民が、持っていた槍を突き刺した。



「あ、ぇ……?」



 ごぽり。



 腹に深々と刺さった槍が引き抜かれると、彼の口から塊のような血が吐き出された。

 思わず膝をつく。今まで感じたことのないような痛みが、熱として認識される。



「ああああああああああああああああああああああああ!?」



 絶叫。

 遅れてやってきた痛みが、喉を張り裂かんばかりの声を上げさせる。

 それに反応してセイが振り向くと、そこに蹲っていたのは血まみれのレクスだった。



『え……?』



「さぁ行くぞ! 裏切り者は始末した、あとは我々の天敵だけだ!」



「おおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!!!!!!!!」



 力が、抜ける。



 ぺたん、と座り込んでしまった彼女は、近寄ってくるニンゲン達に対応することが出来ない。

 頭が真っ白になっている。

 どうして。

 どうして彼が。

 誰が彼をあんな目に合わせた?

 目の前のニンゲン共か?

 殺してやろうか。

 今、ここで。



『あ、あぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁあぁ、アアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!!!!!!!』


 

 蹲り、頭を抱えた彼女の身体から、恐ろしい速度で夥しい数の根が生えてくる。

 それらは軽々とニンゲン達の首を刈り取り、見るも無惨な死体を作り出していった。

 数秒後、既にそこにニンゲンはいない。

 凄惨な光景が広がる中、セイは立つことも出来ないのか、地面を這ってレクスのもとまで向かう。



『れ、レクス……』



「……………………」



 かひゅー、かひゅーと、どう考えてもまともではない呼吸音がする。

 間違いなく致命傷。彼の魂は、彼の身体から旅立とうとしている。



『待って……こんな、はずじゃ…………レクスは、ちゃんと生きていた……はずで…………』



「……………………」



『私の、せい……? 私なんかが生まれたから、こんな事になったの……?』



「……………………」



『あ、あぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ………………!』



 レクスの身体に縋り付くセイ。

 美しい顔が血に汚れることも厭わず、彼女が双眸から涙を零した。

 ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい。

 幸せになろうとしてごめんなさい。今まで生きてきてごめんなさい。彼を拾ってしまってごめんなさい。



 自分がレクスを拾わなければ、もしかしたら山を越えて、他の人間達の住むところまで辿り着けて。

 いや、私が力を貸せば、簡単にそうなっていただろう。

 そうならなかったのは、全部、私が彼と話すのが楽しくなってしまったから。誰かと一緒にいるのに幸せを感じてしまったから。



 だから、これは罰なのか?



 目の前に横たわる死にかけの身体。

 こうしている間にも、血はどんどんと流れ出ていく。

 せめてもの抵抗に両手で傷口を押さえてみるが、彼女の小さな手では意味を成さない。



『ごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさい』



「……………………」



 壊れたように、謝罪の言葉が口から漏れ出す。



『ごめんなさい…………私の我儘を、許して……』



 そう呟くと、セイは彼の身体にそっと手を添える。

 すると血溜まりを作っていた原因である出血が止まり、代わりに緑色の光が溢れ出てきた。



『レクス……生きて…………』

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