第三話
「セイ。朝食」
黒髪を首の後ろで止めた、背の高い男が声を上げた。
青年と大人の狭間あたりの歳である彼――レクスは、もうもうと煙を上げる料理を更に載せ、木でできた机にそっと置く。
彼の言葉に反応してやってきたのは……緑髪の少女。レクスと彼女の年齢差を傍から見ると少々危ない気もするが、実際は見た目とは真逆の差がある。
『おぉう…………やっぱ、上手くなったね』
少女は何処か眠そうに目をこすりながら、美味しそうに輝く料理に口角を上げた。
レクスが精霊に拾われてから十年。
毎日料理をし続けていた彼は、現在では見事な変貌を遂げている。
「そりゃずっとやってるからな。それより冷めるから早く食べろ」
『うーん……小さい頃は「精霊様!」って可愛かったのに。どうしてこんな乱暴になっちゃったの?』
「威厳のない姿を何年も見せられたらこうなる」
『酷い!』
「セイがもっとちゃんとするようになったら、また謙ってやるさ」
――セイ、か……。
精霊の少女は心のなかでわずかに微笑む。
彼を拾って、名前をつけて。その際に精霊に名前がないことに不満を覚えたレクスの機嫌を取るため、彼女自身が自分につけた名前だ。
まぁとは言っても、「セイレイ」だから「セイ」という至極単純なものだが……。
流石は人間と違う感覚の持ち主である。
『そういうとこ。最初の頃は「セイ様」って呼んでたじゃないか。どうして呼び捨てになってるのさ』
「……。………………。…………どうだって良いだろ」
『良くないよ!?』
人間の青年が静かに語り、精霊の少女が煩く喋る。
十年間続いてきた日常は、酷く穏やかで幸せそうなものだった。
◇
「皆。よくぞ耐えてきた」
村一番の建物、その中で。
獣の皮や魔物の牙などから作った武器、それらを装備した人間達が詰めている。
総勢五十人ほどであろうか。人口二百人程度の村の、働き盛りの男連中の殆どがここに集合していた。彼らは緊張に汗を垂らし、しかし口元には笑みを浮かべている。
「十年間。十年間だ。『精霊殺し』をすると誓ってから、我々は十年間耐えてきた」
「………………」
「奴を殺すための武器を用意した。理不尽な攻撃から身を守るための装備を用意した。精霊を殺すために日々訓練を重ね、今ここにいるのは精強な戦士達だ」
「………………」
「不幸にも、呪術師は昨年逝った。だが、我々の意志はくじけない。人間のために、未来の子供達のために、命をかけて奴を殺す!」
「…………っ!」
「行くぞ! 悲願の成就のために!!!!」
「おおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおッッッ!!!!!!」
待っていろ、化け物。貴様の命日は今日だ。
『…………っ!』
「どうした?」
穏やかな時間が流れている。
レクスは精霊樹に止まりにきた小鳥と戯れていたが、昼寝をしていたセイが飛び起きたものだから小鳥は驚いて飛んでいってしまった。いつもは泰然自若として動揺などしない彼女がそんな姿を見せたため、彼は心配そうに眉をひそめる。
こういった感情の発露も、この十年の成長だろう。
『……いや、何でもないよ』
「なんでもないって感じじゃないだろうに」
『ちょっと夢見が悪かっただけさ』
ごまかすようにひらひらと手を振る。当然そんな言葉は信じてはいないが、レクスはこうなった状態の彼女は面倒くさいことを理解していたのでそのまま飲み込んだ。
まぁ、俺に言わないってことは、言う必要のないことなんだろう。
彼はため息を付きながら、小鳥の飛んでいった空を見上げた。
どうも、一雨降りそうだ。
十年前のあの日。
呪術師が何処からか圧倒的な存在感を持つジンブツを連れてきた。
彼の者は見た目は人間のようだが……確実に
今まで自身よりも権力を持った人間になど出会ったことのなかった村長だが、思わず頭を垂れて敬意を表してしまった。
『良い。頭をあげよ』
耳朶を震わせる、鈴を転がしたような声。しかし次の瞬間には深い谷のような渋みを持った印象を持ち、あるいは鳥の断末魔のように嗄れている。
およそ人間ではない。
村長は背中に滂沱のように汗を垂れ流した。一体、呪術師はナニモノを連れきたのだ……?
恐る恐る顔をあげる。するとそこに居たのは、まるで何処にもでもいるような純真そうな子供。
「違う……」
一見、そうだ。
確かに人間の子供のようであるが、その実内包する圧は人間のそれを遥かに凌駕する。
そこにいるだけで膝を屈してしまいそうになる尊さ。村長は先程のやり取りのお陰でわずかに抵抗できているが、初見の人間にはとてもではないが抵抗できないだろう。
「村長……このお方は、“神”です」
「“神”……?」
「人間の心より生まれ、人間のために存在する。憎き精霊のような力を持ちますが、人間のためにそれらを振る……まさに、我々のための存在」
「それが、“神”……」
ほう……と村長は熱の籠もったため息をつく。
なるほど、そう言われてみれば精霊のような気配を感じる。だが、これは自然の産んだ精霊ではなく、人間の産んだ存在。神だ。
「このお方は我々の繁栄のためにお力を貸してくださるそうです」
「おぉ……! なんとありがたい……!」
『人の子が繁栄すれば私の力も強くなる。協力、というやつだ』
神はあどけない笑みを浮かべ、指を一本立てて見せる。
たったそれだけの動作なのに、圧倒的な神威を発した。
『人の繁栄のため、まずは“精霊殺し”などはどうだ? 人の子よ』
「……あの日から、我々は強くなった」
村長は手に滲んだ汗を握って、見えてきた大きな樹を睨みつけた。
戦士達を連れて、村から歩いている。精霊の力なのか、ここまで魔物と一体も出会っていない。
宿敵である精霊はあの精霊樹に住んでいるという。神の話によると奴は木々から力を得るそうだから、戦いが始まったらそこらじゅうの木に火を放つ予定だ。
彼は手のひらを乱暴に服で拭うと、号令をかけた。
「総員、止まれ」
「…………っ」
「見えるな? あの最も大きな木、あそこに敵はいる」
村長は目立つように指を一本立てると、緩慢な動作で木を指差す。
「なるほど、精霊は強いだろう。彼の者共は自然より生まれ、自然の力を操る」
「…………」
「では我々は勝てないのか? それは違う。自然を制圧し、乗り越えてきた人間から生まれた神が。我々に力を与えてくれるからだ!」
「おおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!!!!!!!!」
「未来への第一歩だ! 弓兵、火矢を放てぇッ!!!!」
大きな弓を持った戦士が、轟々と燃え盛る鏃の矢を放つ。
この日のために訓練をしてきた成果か、それは風にブレることもなく精霊樹へと飛んでいった。
「…………」
固唾をのんで見守る弓兵。
頼む、この攻撃は今後の士気に関わる大事なものなんだ。成功してくれ……!
その願いは天に届いたか、それとも神が見届けたか。
火矢は確実に精霊樹に突き刺さり、木々に火が燃え移っていく。
「成功だ! 戦士達よ、突撃ィィィィィィィィ!!!!!!」
「オオオオオオオオオオオオオオオオッッッ!!!!!!」
気炎を上げて走り出す戦士達。
攻撃に気がついた精霊からのものか、辺りから根が生えだし、彼らの脚を取ろうとするが無意味だ。
「これぞ神の御加護よ! 薄汚い精霊の力など効くわけ無いわぁ!」
千々に砕け散る根を踏み越え、未来へ向かう勇敢な戦士達を祝福するように雲が割れ、隙間から陽の光が差し込んだ。いや、それは確かに祝福だったのだろう。彼らの走る速度が途端に速くなる。
「終わりだ、化け物!!!」
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