第二話
『ところで君はなんて名前なんだい?』
少年がしたことのない料理に苦戦していると、後ろから興味深そうに観察していた精霊が呟いた。
彼がこの大きな木――村の人間達の間では精霊樹と呼ばれている――に来てから二週間が経っている。それまで気にもしなかったというのだから、流石に人間とは感覚が違う。
「ないですね」
『ない』
「はい。生まれてこの方、『おい』とか『そこの』とかしか呼ばれた経験がありません」
『それは……その、人間って名前つけないのかな?』
「いや、俺以外の村の人間は個体名で呼び合ってました」
『わぁ…………』
事情を察したか、精霊はそっと目を閉じた。
振り返りもせずに返答していた少年は、彼女がそんな反応をしているのにも関わらず、全く意識を集中させていなかった。目の前の火に夢中なのだ。火を使った料理は初めてだから。
『うーん、でも名前がないと不便だよね』
「いや、そうでもないんじゃないですか? 今まで名前がなくてもコミュニケーション成立してましたし」
『確かに。でも一度気がついたら気になるものじゃないか。ほら、虫とかと同じで』
「ここ吹きさらしの森なので、もう虫とか気にならないですね」
『ものの例えだよ、例え』
人間に合わせた例え話をしてみた精霊だが、彼女と同じ生活を二週間続けている少年には通用しなかった。
そしてここまでの会話をしても彼は一度たりとも振り返っていない。乾燥していないとはいえ、木の上で火を扱うのは非常に怖いのだ。いつ失敗をして火事になるかわからない。
『……よし、じゃあ私がつけてあげよう!』
「あ、ミスった」
『え?』
「あー、火の粉と言うには大きすぎる火が落ちていく」
『ちょちょちょちょ!? 私、木の精霊だから割りと死活問題なんだが!?』
「すいません、慣れないもので」
『じゃあこれから慣れていこっか。二週間料理し続けて一度も成功してないよね?』
精霊はため息を付きながら指を鳴らすと、木皮から図太い枝が生えてきた。それは樹上から落下していた火の粉に巻き付くと、あっという間に消化してしまう。
そして見た目にそぐわない速度で木に収納されていった。
「ありがとうございます。これで火葬になったら死んでも死にきれないところでした」
『なんか君なら怨んで出てきそうだよね』
「そんな恩を仇で返すような真似は……」
『ホントかなぁ?』
一切信用がないようである。
少年は少し落ち込んだような雰囲気を出すと、しゅんとしながら大きな葉っぱに盛り付けた果実を差し出した。彼が精霊のもとに来てからの専らの食料だ。
『今日もこれか……一応、君を拾う条件に毎食料理を作るってのがなかったっけ?』
「作ってはいるんですけどね」
『確かに作って“は”いるんだけどね。不思議だね』
「えぇ」
ジト目で少年を睨みつける精霊。しかし彼はどこ吹く風であった。
視線は綺麗に盛り付けられた果実に絡め取られている。どうも何かが食べられると言うだけで嬉しいようだ。
『……まぁ、いいか。人間の間では「失敗は成功のもと」って言葉があるんだろ? いずれ出来るようになればいいさ』
「……すいません」
『良いんだよ』
照れたように笑いながら、『ほら、食べようぜ?』と果実を差し出す。
少年もつられて若干笑いながら、素直に受け取った。
もぐもぐと口を動かしながら、彼女は空を見上げる。
『君の名前は…………そうだな、レクスとかどうだろう』
「レクス、ですか?」
『うん。レクス』
「名前で呼ばれたことないので、すぐには反応できなさそうです」
『それも慣れていけばいいさ。時間はまだまだあるんだから』
赤い果実を齧り、ドヤ顔。
流れ的に良い感じのことを言えたのでご満悦のようだ。
少年は苦笑しながら、「レクスか……」と僅かに頬を赤くする。
それは、まるで、初めて『人間』として認められたようで……――。
『レクス。君がその名に相応しいニンゲンになるか。私は期待しているよ』
精霊が呟いたその声は、あまりも小さくて。
樹上に吹きすさんだ風が巻き取って、誰の耳にも入らなかった。
「ところで精霊様の名前は何ていうんですか?」
『私? 名前はないよ』
「ない」
『ない』
◇
「何が精霊だ……!」
ここは盆地よりわずかに山に近い位置にある村。
五分ほど歩けば端から端まで行けるほどの大きさだが、周辺に人間の住む場所がないために実質最大の集落だった。
そこの中心にある周りよりも大きな家。村長が住むために、そのまま「村長の家」と呼ばれているが現在は村長のみではなく数多くの人間が中にはいた。
「村長。やはり精霊を怒らせるわけには……」
「じゃあお前は、ずっとこうしてあの化け物に従っていろと言うのか!?」
「そういう訳ではないのですが……」
怒りによって顔を真赤にさせながら、冷静な意見を申し出てきた村人に怒鳴り返す。
すると彼は困ったように眉を下げながら、ちらりと横に目をやった。
「……村長。よくよく考えてみたら、精霊がいてもいなくても我々の生活には違いがないのではないでしょか」
肌のよく焼けた、いかにも農民といった風情の男だ。自身よりも遥かに権力を持つ人物に向かって具申することに緊張しつつ、唾を飲み込んでその言葉を吐いた。
村長はじっと目をつむり、腕を組む。
「確かに、今までの歴史で精霊が人間に何かをしたという記録はない」
「では……」
「だが奴は化け物だ。しかも最も豊かな土地である、この盆地の中心に居座っている。我々がさらなる繁栄をするためにも、奴が居ては邪魔なのだ。これまではあいつを怒らせないために、度々ニンゲンモドキを生贄として送ってきたが……流石はモドキか。必ず帰ってきよった。当然奴らに居場所などないから、精霊に殺されたということにして葬ってきたが」
ざわ。
村長の口から漏れ出た事実に村人たちは動揺する。
生贄として送り出した者共が、まさか逃げ帰ってきていたとは。しかもそれを殺していた?
「いくらニンゲンモドキといえども、奴らは労働力になります。ろくに食料も与えなくてもいいのですから、戻ってきたら死ぬまで働かせたほうが良いのでは?」
先程の農民然とした人物が声を発する。
それに同調するかのように、村長の家に集まっていた人間達が大きく頷いた。
「……私もそうしたいのだがな。何分、占いによる結果は変えてはならん。一体何が起こるかわかったものではないからな」
そう言ってため息をつく村長に、思わず彼の隣りにいる老婆に視線が移った。
不気味なほど白いボサボサの髪に、深い皺を刻んだ顔。ここらでは見ない種類の鳥の羽を衣服に縫い付け、首から魔物のものと思われる牙をぶら下げた姿は、正しく呪術師と言ったところだ。
あまりにも年を食っているせいで性別すら判別することが難しい。
「……真の意味で彼の者を怒らせれば、我々人間に未来はないでしょう」
「っ!!」
「しかし、…………たった一度。たった一度の不敬で……奴を仕留めることが出来れば。人間ごとき、と舐めきっているあやつを最初に殺すことが出来れば、それはさらなる繁栄をもたらします」
おぉ……!
信頼する呪術師の言葉に村人達は静かに、だが熱のこもった歓声を上げる。
村長はその様子に満足気に笑みをたたえ、組んでいた腕を外した。
「ここに宣言する。我々は人類発生以来の偉業を達成するのだ。未来の子供達のため……精霊殺しを成功させる」
皆は熱に浮かされたような顔をしているが、何処か不安そうだ。
おそらく強力無比な力を持つ精霊に逆らうことに恐怖しているのだろう。本当に勝てるのか、と……。
「安心しろ。我々には薄汚い精霊とは違い、『神』がついている。この戦い、もらったぞ」
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