第2章28話 幻影の霧
戦いは振出しに戻った。
怪物ドールの分裂体を倒し、霧の結界の中にはカインとセレス、そしてドールが向かい合っている。
火で燃える。生物であるなら例外のないその弱点が露見したドールは、かつてない程の迫力をその身に宿している。
振出しに戻ったと言ったものの、カインとセレスは確実に勝利のピースを揃えつつある。しかし、壁として立ちはだかるのは、ドールの
「どうするつもりなんだ」
「私は手数で押す。カインは別のアプローチで突破口を探して」
そう口にするセレスは、まるで楽しむかのような口調で、緊張感が緩んでしまう。
「オーケー、駆除の時間だ」
その返事を合図に、セレスが凄まじい爆発力で走りだす。
膝の脱力から生まれる初速と、速度の緩急は、一つ二つと場所を経由した瞬間移動のようにも思える。
そして、ドールを間合いに入れたセレスの剣が煌めく。
すぅ、と深く息を吸いこんだ瞬間、同時に放たれた剣閃。様子見にしては過剰なほどの絶技だったが、それをドールは両手のナイフと黒泥の鎧で受けきった。
「やっぱダメか」
不貞腐れるように吐き出したセレスに、ドールがナイフで切りかかるが、不可視の風刃がドールの首元を切りつけた。
「グヌッ」
やはり黒泥の鎧は突破できない。しかし、セレスはその隙にナイフの射程を離脱した。
カインは魔力を練り、風刃で畳みかける。
先ほどのセレスの三連斬を、ドールは両手のナイフで一太刀ずつ防ぎ、のこり一太刀を鎧で受けた。
流動的な鎧ゆえに、攻撃に対して受ける部分に黒泥を寄せることで、効率の良い防御を実現しているのだろう。
つまり、平常時あるいは防御状態の、鎧の薄い別方向からの攻撃を続けていれば、いずれ穴が生まれるはず。
そうしてカインが編み出したのは、網状の風刃だ。
僅かでも鎧の穴が生まれれば、そこにセレスの持っている『ファイアフライ』の魔石を使ってドールを仕留めることができるはず。
ドールは広範囲の攻撃に対して守りの姿勢を見せることはなかった。
自分の肉体の体積を用いて大槌を作り出すと、ドールは幾分小さくなっているのがわかった。しかし、その
鳴り響く衝突音と暴風の風切り音。
カインは攻撃が自分に直撃するまえ、起こした風魔法で僅かに軌道を逸らし、最小限の動きで大槌を躱すと、そのままドールの周囲に魔力を集める。
「『
怪物の周囲で生まれる四連撃の大気の爆発。まともな相手なら四肢が残っているかも怪しい衝撃をもろに食らい、ドールは下手な踊りを舞うようだ。だというのに、
「膝を地面に着けることもできないのか」
全ての『破裂』が直撃したというのに、それでもまだ有効打にも、魔石をねじ込む好きさえも生まれないドールに、カインは唾を吐いた。
勘弁してくれよと笑みを浮かべるのは、自分の心が折れないようにするためにふり絞ったものだろう。
カインは視界の端で火花がとんでいることに気づくと、顔を流れる汗を拭いた。
「ソロソロ限界デアロウ」
ドールに淡々と告げられる。本当ならなんの話かわからない、と白を切るべきだったが、今はそれに気力を裂こうと思えない。
常時発動している、霧を防ぐための『風の膜』。そして鎧を突破するために連発した大技。
どちらの魔法も燃費が悪く、際限なくカインの残存した魔力を消費していく。
ドールは後端に縄のついた槍を自分の体から作ると、それをカインに向けて放った。すぐさま割って入ったセレスが、それを弾いたが、弾かれた槍は空中で形を変えて、先ほどのクモのような小ドールに姿を変えた。
「つぅっ……!」
不意打ちでセレスの肩を切り裂いた小ドール。狙いは初めからカインだったのか、怯むセレスに目もくれず、そのまま飛び掛かる。
カインが目を擦って迎撃の構えを取るが、対して威力のないはずの小ドールの一撃にさえ、受け流しきれず、後方にバランスを崩した。
「させる、かっ!」
再度カインに襲い掛かる小ドールに、セレスがファイアフライの魔石を素手で打ち込む。しかし、
「っ!?」
ふわりと、小ドールが不自然に浮き上がり、セレスの魔石は無意味に火花を散らした。
小ドールに繋いでいた縄を引っ張って、窮地を離脱させたのだ。
「ちっ」
セレスが舌打ちをし、ドールのほうを振り返った。
浮き上がった小ドールは自然落下のスピードでドールのほうに戻っていく。
それより早く辿り着ける。
即座にそう判断したセレスは、地面を駆った。
小ドールを仕留めつつドールの反撃を対処できる距離を見切り、大きく跳躍すると、ドールと小ドールを繋いだ縄を切断した。
小ドールに手を伸ばしかけたその時、カインの小さい悲鳴が聞こえた。
「うっ……」
どこから現れたのか、ドールの一部が鎌のような刃物になり、カインの脇腹を貫いている。
セレスとカインの周囲のから、風魔法の気配が揺らぐ。
ドールが攻撃を仕掛けた気配はなく、小ドールは確実に防いでいた。いつカインに攻撃をさせる隙があったのか。セレスが思考を巡らせると、その答えは目の前にあった。
小ドールの腕が一本、千切れている。
ドールに引き寄せられて瞬間、小ドールは自分から更に分裂体を生み出し、カインの後方に投げ放った。
セレスが小ドールの隙が大きいことにまんまと釣られ、分裂体はカインを背中から襲い掛かったのだ。
「……っ、しくった」
小ドールを捨て置き、胸の中央に爪を迫らせる分裂体に、鋭い蹴りを放つ。分裂体はボールのように跳ねて、結界の端まで転がっていく。
セレスはすぐさまカインの状態を確認しようとしたところで、異変が起こった。
ぐわん、と視界が揺れて立っていられなくなる。
「すまない、セレス」
地面に手をついて、なんとか体が倒れないようにと必死のセレスにカインが苦々しい声で言った。
幻覚の霧を防いでいた『風の膜』が完全に消滅したのだ。
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