第2章26話 怪物ドール①

 遺跡の広間が霧で満たされる直前、カインは自分とセレスの体の周囲の風の膜で覆った。

 少しでも霧に触れてしまえば、幻覚や感覚の喪失などの異常状態に陥る。セレスはカインのサポートに、僅かな目くばせで礼を伝えた。


 霧が現れた廊下の先に、二人が視線を向けていると、隠すこともなく足音が反響してくる。


 こつこつと踵の高い靴の反響音。そして姿を現したのはシルミアだ。

 シルミアは気怠そうに、カインとセレスを順番に見る。こちらが異能への対策を立てているのはきっとバレているだろう。しかし、こちらに何かを仕掛けてくる様子はない。


 風の膜は魔力消費が激しく長時間、しかも二人分を維持するのは現実的ではない。そうそうに結界を破壊したいところだが、破壊力のある魔法を放って遺跡が崩れては自分たちも無事ではいられまい。


 カインは策を考えていたが、背筋を駆け抜ける悪寒に思考が乱された。シルミアの背後から怪物ドールが現れたのだ。


「一筋縄じゃいかなさそうね」


「ああ」


 セレスが隣で唾を飲み込んだのがわかった。


「二人カ。私ガ出ルマデモナイナ」


 ドールが奇妙な声を出すが、シルミアは深いため息をついて首を振った。


「私の協力はこれで終わりよ」


「何ダト。貴様、主ノ命ニ背クツモリカ?」


 ドールのまとう敵意がぐっと濃くなる。そしてそれはすぐ隣にいるシルミアに向けられている。


「何か勘違いをしているようね。ノーラントは私の主ではないのよ?」


「……フン、好キニシロ」


 ドールが吐き捨てると、シルミアは何も言わずに結界の外に姿を消した。


 仲間割れかどうかはわからないが、敵の数が減るならそれほど嬉しいことはない。


 ドールはこちらに向き直ると、持っていた鎌を振るう。霧のうねりが渦のように巻き起こり、どれほどの威力なのかを見せつけられる。


「痛イ目ニ遭イタクナケレバ、大人シクシロ」


「やられっぱなしじゃ、女が廃るってものよ!」


「俺の作戦を何だと思ってたんだ……」


 奮い立つセレスは剣を構える。まるで初めからリベンジを果たしに来たかのような口ぶりにカインは頭を抱えた。

 セレスには、きっと戦うことになるだろうという漠然として直感があったが、カインへの説得材料になるとは初めから思っていない。


「どうするつもりなんだ、ほとんど剣が通用しなかったんだろ」


「そこも戦いながら考えるわ。カインもいるし何とかなるでしょ」


 根拠不明の自信はカインに対する信頼よりも、今度こそ目にもの見せるという剥き出しの闘争心がそう言わせているのだろう。


「いまさら、断れないじゃないか」


 嘆息しながら、カインはちらりと、横をみやるとセレスの瞳孔が猫のようにするどくなっている。


「とりあえず、防御任せてもいい?」


「前衛のお前をどう守れっていうんだ―――って、おい!」


 返事を待つまでもなく、ドールに駈け出したセレス。カインは舌打ちをしながら、魔力と意識をドールに向ける。


 カインは剣を抜かず、魔法での援護に専念するために、後衛に陣取った。

 瞬く間に距離を縮め切ったセレスに、ドールが鉈のような凶器を振り上げたところで、大きな破裂音が炸裂した。


「『破裂バースト』」


 鉈を握る怪物の手元で発動した、初歩的な風魔法。しかし、その爆発的突風はドールの振り下ろす鉈の勢いを完全に殺してしまった。

 セレスは威力も速度もない攻撃を余裕で避けると、剣閃を放つ。


 剣の軌道が光帯として視界に写るほどの洗練された斬撃に、カインはつい見入ってしまう。テルから話は聞いていたものの、その剣技はカインの技術さえ比肩するべくもない。


 上位騎士。そのなかでも更に上位の、一流の剣だった。


 しかし、それほどの一太刀であってもドールの体に届くことはなかった。


「黒泥ッ!」


 切り裂く音も弾かれる音もなく、威力だけが抜き取られたようにして、剣が泥に停止する。 

 ドールの何も持たない腕がセレスを握り潰さんと迫るが、またしても『破裂バースト』によって行動を妨げられた。


 セレスは奥歯を噛み締めた様子で、カインの隣に引き下がった。


「無駄ダ。ドレダケ足掻コウト、私ヲ傷ツケラレナイ」


 黒泥の鎧。セレスはその脅威を身をもって知っていた。

 ドールは『破裂』が直撃した手をぶんぶんと振るが、その身を纏う泥が振り落とされることはない。


 一度目の黒泥は剣が通じない訳ではなかったが、手ごたえがなく、触れた剣が瞬く間に朽ちてしまった。二度目はドールが黒泥を纏っていたときで、あのときは剣が黒泥を貫通することはなかったが、剣に何かしら影響が出ることもなかった。


 それらを考えると、一度目と二度目の黒泥は別物であり、ドールは前回から特筆すべき変化は見受けられない。

 そういえば、踵落としは有効だったので、衝撃自体は無効化できないのかもしれない。有効なのは点より面の攻撃だろうか。


 セレスは様々な可能性を頭の中で考えるが、どれも確信に迫るものではなく、最後には「ああ、もう!」と辛抱堪らないとばかりに頭を掻きむしる。


「何なのよ、あんた。その気味の悪い声も見た目も!」


 攻撃が通用しない鬱憤を、それ以外を貶すことで発散しようとするセレスに、カインはぎょっとする。しかし、罵詈雑言はドールには届いていないようで、余裕ありげに鼻をならした。


「フッ、会話デノ時間稼ギカ。健気ナコトダ」


「そんなんじゃないわよ!」


 逆に自分の優位を確信しているようなドールは、「ククク」と愉快そうな声を漏らしながら、「冥途ノ土産ニ、教エテヤロウ」ともったいぶった言い方をした。



「私ハ魔人デモ魔獣デモナイ。我ガ主、ノーラント様ノヨッテ生ミ出サレタ新シイ人間ダ!」

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