第1章20話 三つ首の魔獣②

「痛っえ……」


 テルが銀鱗の弾が直撃した左腕を抑える。泣きたくなるほど痛いが、この痛みが人生で一番の物ではないのが、なお悲しい。


「左手はもう使えないか」


 ちらりと視線を寄越したカインが落ち着いた声で言う。


「ああ、そうだよ。俺はもう役立たず―――」


 イラつきを隠さずにテルは答えた。優しさの欠片もないカインに文句でもいってやろうとしたが、言葉が詰まった。


 カインの左足から凄まじい量の血が出ており、地面が赤黒く染まっている。直前の風魔法を躱したかに見えたが、そうではなかったのだ。


「俺のほうが役に立たないだろ」


 カインは表情も変えずにそう口にした。


「お前、その傷……」


「ヤバくなったら一人で逃げていいぞ」


「なにを言って……」


 カインの投げやりな言葉に、テルは怒りが込み上げた。しかし、命が掛かった場に身を置くのなら、考えが甘いのはテルのほうだと気づく。


「死ぬのが怖くないのかよ」


「はあ? 怖いし嫌に決まってるだろ。だから一人で逃げるなら、あと一回足掻いてからにしてくれ」


「・・・・・・なんで、平気な顔できるんだよ」


「策がある」


「策?」


 カインは一度も魔獣から目を逸らさないで、はっきりは言い切った。


「少しだけ時間を稼いでくれないか。足がこれだから動けない」


「時間稼ぎって、本当にいけるのかよ。その策ってやつで」


 このとき初めてカインはテルの方を向いて、不敵な笑い方をした。


「はあ、わかったよ。何秒稼げばいい」


「俺が間合いに入れるまで」


 自信満々のカインの目に、これ以上確証だとか確実だとかを追及する気が失せてしまい、腹を括るしかないと悟った。


「逃げていいったって、敵に近いのは俺じゃん。先にやられるの俺じゃん」


「生きてたら逃げていいよ」


「ほんと性格悪い」


 呆れたテルと面白がるカイン。二人は互いの拳をぶつけ、魔獣に向き直った。

 テルは剣を手にして、魔獣に駆け寄る。まず気を付けるべきは、不可視の風魔法だ。カインはどういうわけかノーモーションの魔法も躱して見せたが、テルにそんな芸当はできる気がしなかった。


 テルは手に魔力を込めて、粉上のものを周囲にまき散らした。僅かに視界が悪くなるほどに飛び交う粒は、唐辛子粉でも特別なものでもなく、ただの乾いた砂だ。


 魔獣のもとに駆け寄るテルと動かないテルのあいだで、砂が異常な動きを見せる。横向きに竜巻を作り出したようなそれは、風魔法だ。


 テルは見えるようになった風の刃を飛び越えると、魔獣に向かって持っていた長剣を投げつけた。魔獣はぎょっとするが、当然易々と防がれてしまい、その直後に鱗弾が射出された。

 テルは剣を投げた直後に作っていた鉄製の円形の盾で防ぐと、それをフリスビーのように投げつける。


 まさか、盾を投げるとは思わなかったのか、ヤギの頭に直撃。そのまま、テルは飛び上がり、大斧を作り出した。

 テル一人では持ち上げることが出来ないほどの巨大な斧。それを飛び上がった勢いのまま鱗の腕もろとも質量で押しつぶしてしまおうという目論みだ。


 ずどんという落下音。巨大な斧を白刃取りで受け止め、その質量に三つ首の踏ん張る足が地面に埋もれていく。

 僅かに期待が高まったが、ヤギが歯茎を剥き出しにしながらも斧を受けきった。


「くそっ」


 地面に落ちた斧はテルの腕力ではもう持ちあがらないため、消し去り、距離を取った。

 さて、次はどうしたものか。テルが考えを巡らせていると、三つ首は、自分で鱗を毟り始めた。


「なにをしているんだ……?」


 訝しげな目をしてテルがこぼす。魔獣は拳に収まらないほどの鱗を毟り終えると、それをそのまま空中に撒いた。ひらひらと時間をかけて、花びらのように鱗が落ちていく。


 目くらましだろうか、意味不明な魔獣の動きに目を凝らすと、ヤギの口が小さく震えた。


 まずい。


 テルは急いで鉄の盾、それもさっきより大きいものを作ろうとすると「メェ」とまた声がした。


 瞬間、舞っていた鱗たちが、恐ろしい速度で広範囲に降りかかる。厳密には違うのだろうが、銀の鱗と風魔法を使った散弾銃を思わせるその攻撃に、テルは盾の生成が間に合わない。


「があっ!」


 頭や胸は守れたが足を鱗に貫かれ短く悲鳴を上げるテルに、魔獣は容赦なく追撃する。

 テルは懸命に大盾を構えるが、負傷した足と腕では踏ん張りも効かず、三つ首のドロップキックでなすすべもなく、吹き飛ばされる。


 スマートに着地した三つ首が、テルの方に顔を向けると、砕けた大盾の背後から、カインが三つ首に向けて大きく跳躍していた。



 いまさら捨て身の攻撃か、と三つ首は噴き出すように笑う。


 学習を重ねながら戦う三つ首には、その程度の剣、その程度の技術では、鱗を突破することは叶わないのは明白だった。

 そんな嘲笑を見せつけるように、防御態勢をとった。しかし、違和感に気づく。


 どうやって跳んだのか?

 

「『エアブレイド』」

 

 カインがそう口にして剣を横に振るった。


 微かにみえる空気の刃。三つ首は即座に魔法と見切った。同系統の風魔法。目に見えるのは未熟な訳ではなく、それだけ切れ味があるということも予想できる。しかし、防御の姿勢を崩すことはしない。


 三つ首は、これが敵の渾身の攻撃であると判断し、そのプライドをぶち壊すべく、渾身の防御で受け答える。


 戦いの中で絶えず情報を取得し、応用し、成長する。それを可能にする積極的な知性が三つ首の魔獣に与えられた力であり、今両腕に纏う鱗の鎧も、その知性に寄って編み出された、二重の鱗の鎧だ。


 三つ首は迫りくる風の剣に両腕で迎え撃つ。そのはずだった。


「……!?」


 自分の意思と反して降ろされる両腕。自慢の腕が地面に落下したのを見やり、やっと腕が根元から切り落とされていることに気がついて、三つ首は愕然とした。


 嘆きたいのも束の間、またコイ頭が危険を知らせるために口を忙しく開閉する。


「ぎめええぇっ!」


 腕を切られた憤りを、コイ頭に怒鳴り散らす。


「イィィイイイイイ!」


 聞いたことがないような異音が鳴り響き、それがコイ頭の断末魔と気が付いたときにはもう遅かった。


 迫っていた風の刃がすでにコイの頭を完全に切り落としたどころか、ヤギ頭の首に差し掛かっている。


 必至に首を逸らして、逃れようとする。しかし、食い込んだ風刃は既に真ん中ほどまで抉っている。


「ぐべええええええええええ!」


 耳障りな音をまき散らし、必至で風の刃から逃れたときにはすでにヤギの頭は地面に落ちており、三つ首ではなくなった魔獣は、そのまま地面に崩れ落ちた。

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