第2章23話 あとで決める

 シャナレアが教えてくれたニアの居場所は、隣国フェニマの国境沿いにあるハッカ山脈に近い森林だった。馬で丸一日はかかる距離で、近くに村もない。そんな僻地にニアは連れていかれたのだ。


 覚悟を決めていたテルは、すぐさま馬を借りた。最低限の食料を積み込んだ馬車は、安く借りたおんぼろで、まるで夜逃げをする前夜のようなみすぼらしさがあった。


 夜空に星はなく、いまだに家が焼けたときの煙が高いところで滞留しているようで、そんなことを考えていると頭の動きが鈍くなった。


「テル」


荷詰めを終え、地図で行程を確認していたとき、背後から声をかけられた。


「……やっぱり、気づかれるよな」


 テルは苦々しく自嘲して振り向くと、そこにはしかめっ面のセレスと、感情の読み取りにくい真顔のカインの二人が立っていた。


「何をしていたのか、教えてくれるかしら?」


 セレスがテルに詰め寄る。テルは良い言い訳が見当たらず、目を泳がせるばかりだ。家を燃やされたとき、暴走の直前で抑えられたっきり何も言わずにシャナレアの元を訪れ、今に至るので、怒るのも当然だろう。


「これ」


 カインはそういって取り出したのは手紙だった。手紙というにはあまりにも簡素で、封筒に一枚紙が入っているだけだが、手紙以外の呼び名も見当たらないそれには、差出人の名前が書かれている。

 綺麗とは言い難い文字は、まさしくニアからの手紙だった。


「『今までありがとう、さようなら』って書かれてた。テル、どこに行こうとしてたんだよ」

 

 黙りこくるテルに、セレスがしびれを切らしたように口を開く。


「答えにくいなら私が答えてあげる。ニアのいる場所、でしょ?」


 テルは首を縦にも横にも振らないが、今この場では沈黙はなによりも肯定だった。

 眦を決したセレスは何も答えようとしないテルの胸倉を掴む。鬼気迫るセレスの顔が近づけられた。


「どうして私たちに何も言わないのよ。部外者扱い?」


「……そうじゃない」


 低く発せられた声に鋭い眼光を向けられたテルに抵抗する素振りはない。言い訳もしない。

 そのことを問い詰められるだろうことを、テルはわかっていた。ニアの救出に行くなら、二人がいれば心強いのは間違いなかった。それをわかっていてなお、テルは一人を選んだ。


「落ち着けよ」


 カインがそう言ってセレスを引き離そうとする。しかし、


「邪魔しないでっ!」


セレスの一言がカインの手を止めた。より強く鋭い視線をテルから逸らさない。


「あのあと、ニアと会ったんでしょ?」


 どうしてそんなことまで、と口に出かけた。

 そのことを知っているのはヒルティスかシャナレアだけだったので、二人がテルと同じように色々と駆け回ったのだと、すぐに想像がついた。


「何を、話したの?」


「……」


 セレスの真っ直ぐな問いに、やはり、テルは目を逸らして口を噤む。


 ニアは魔人である、だなんてことは誰にも言うべきではない。

 ニアが帰ってきたとき、彼女の身に降りかかる辛苦を取り除くなら、すべてを一人でやり遂げなくてはいけない。それがテルの決断だった。


 カインとセレスを信用していない訳ではない。カインの律義さもセレスの優しさもテルは判っているつもりだった。しかし、それでも『魔人』という存在が、どれだけのものかもテルはその身をもって知っていた。

 味方だった人たちが敵になるなんてことは、決してあってはならない。そんな残酷な結末だけは絶対に回避しなくてはならないのだ。


「何が何でも口を開かないってわけね。別にいいわよ、本人に聞くから」


「……セレス」


 セレスが突き放すように掴んだ胸元を開放する。そして、後ずさったテルに真っすぐと指を差す。


「私の情の深さを侮るんじゃないわよ。誰に何を言われようが私は簡単にニアを嫌いになったりしない。テルを殴るかどうかはそのときに決めてあげる」


 ニアがなにかを抱えていたことを、誰もが薄々察していた。セレスはそのうえで簡単に嫌いにならないと断言する。

 テルの不安を打ち消したセレスが、その脇を通り過ぎていく。


「そういうことだ。何より、テル一人じゃ心細過ぎる。三人いたほうが確実だろ?」


 カインがテルの肩を叩いて、セレスの後を追う。


「二人とも……」


 思わず声を振るわせたテル。

 一人でしか抱えられないと思っていたものを、有無を言わせず三等分にしていった二人の背中を見ていると、目頭が熱くなった。


 セレスがテルへの怒りを保留にしたことも、カインがいかにニアを確実に助けるかを考えていることも、ニアを助けたいという気持ちを裏付けるようで、テルの心を重くしていた不安が、気づけば払われていた。


 安く借りたボロ馬車は、ついさっきまであんなに頼りなかったのに、今は不思議と大きく逞しく見えた。

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