第2章3話 共同依頼

 ゆっくりなペースで階段を上ってくる足音が聞こえる。

 パーシィに貰った専任依頼の書類を読んでいたテルは、その音に気付くと、もうこんな時間かと窓の外を見る。机のうえに広がる、散らかった書類はほとんど片付いた。


 廊下の床が軋む音が、ドアの前に差し掛かったところでテルは声を出した。


「今下に降りるよ」


 少しの沈黙のあとに、足音は遠のいていった。



 リベリオがいなくなってから、生活にそれほど大きな変化は訪れなかった。


 テルは朝早くに起きて魔獣を狩りにいって、夕方まで家を空ける。ニアは朝と昼の中間くらいに目をさますので、初めて顔を合わせるのはテルが帰ってきた夕方過ぎになる。


 その後二人きりで夕食を摂る。

 テルはその日起こった出来事を精一杯のユーモアを交えて話をするが、ニアは無表情で頷くばかりだ。


「ごちそうさま、おいしかったよ」


 テルはそういうと、自分の食器を洗い始め、遅れて食べ終わったニアの分の皿も請け負い、ニアが部屋に戻っていくのを見送る。


 時折、テーブルのうえに置かれたメモが置いてあり、そこには買い物の内容が記されているので、テルはそのおつかいを次の夕方に済ませる。


 この通り、コミュニケーションはほとんど皆無である。




――・――・――・――




「で、ニアさんとは仲良くやってる?」


「……わかってることを訊くなよ。意地が悪いな」


 カインの軽口は明らかに皮肉混じりだったので、テルはそう言ってため息をついた。


「別にあんまり気することないと思うけどね」


「そうなのかも、しれないけどさ」


 考えるだけ時間の浪費じゃん、と言いたげなカインに煮え切らない様子のテルは頬杖をついて道行く人の姿を眺めていた。


 


 テルが依頼の書類を提出したのは昨日のことだった。その時はシャナレアはもちろんパーシィの姿も見えなかったので、受付嬢に預けた。


「こちらの依頼なんですが、王都の騎士が一名合同で依頼に当たるそうです」


 書類を預かった受付嬢が書類を受け取ると、テルは初めて聞く情報を耳にした。

 パーシィからは何の話もされなかったが、あれ以降に決まったことなのだろうと納得し「わかりました」と返事をする。


「セレス・アメリッド上位騎士が明日セントコーレルに到着するということなので、明日もこちらにいらしてもらって顔合わせしていただくという事でよろしいでしょうか」


「はい、大丈夫です」


 上位騎士、セレス・アメリッド。テルとカインより格上の女騎士。


 文面だけでみると、規律を重んじるような生真面目さが伺えるが、悪く言えば堅苦しいような印象だ。

 そんな人と二人で共に魔獣狩りをすると考えると緊張感が込み上げる。


「大丈夫ですか?」


 そんなことを考えていたら、受付嬢がテルの顔を覗き込んでいる。不安が滲み出ていたのだろうか。そんな恥ずかしさを堪えながら、テルは受付嬢に一つ質問をした。


「あの、他に人を呼ぶことってできますか?」



「テルは意外と人見知りだったんだな」


「別に人見知りって訳じゃないけど、異能とか見られたらまずいし、知ってる人がいるほうが安心かなーって」


 退屈そうに頬杖をついたテルが言うと、「まあ、たしかに」と気のない声が返ってくる。

 騎士庁舎の脇に置いてあるベンチに座るテルとカインは、待ち人来ずの状態から二時間ほど時間が経過している。


「肝心のセレスさんは、一体いつ来るんだ?」


 苛立ちを押さえ切れなくなってきた様子のカインが、頬を引きつらせて言った。


 魔獣狩りの女性比率はかなり低い。おそらく全体の一割にも満たないくらいなので、騎士庁舎に用があってくる女性ならば、十中八九目的の人物だろうと、外で待機し始めた二人だったが、例の女騎士がやってくる気配は一向にない。


 あまりにも来ないのでこれはおかしいと思ってテルは三回ほど受付嬢に確認しに行ったが、間違いなく日時に間違いはなく、馬車の事故等の知らせも入っていない。


 待ちくたびれたカインが「こんなに待ってるんだから、一度帰って向こうさんにも朝まで待ってもらおう」と眉をヒクつかせたりしていた。


 そんな調子で待っていると、徐々に空が赤くなっていった。


 これほど待ったのに何の成果もないのが悔しくなってきた二人は、「今日は帰ろう」と相手から言われるのを待っていると、鼻歌混じりでテルとカインに近づく女性がいた。


 まさか遅刻した人間が鼻歌を歌える訳がないと無視していると、その声はテルとカインの前で立ち止まった。


「あ、もしかして合同依頼の人?」


 無気力な表情で顔をあげると、テルと同じくらいの歳の少女がこちらを見ている。

 長くて明るい茶髪を後ろで一本に束ねており、すらりとした長身と大きな瞳はテルの想像していた女騎士というより舞踏家を彷彿とさせた。


「そうだけど」


 そう答えると、子どもっぽい笑顔を浮かべる。


「やっぱり、そうだと思った! 私はセレス・アメリッド。ちょっと遅れちゃったけど、これから頑張ろう」


 セレスと名乗った遅刻魔は微塵も申し訳なさを感じさせない、溌剌とした声で手を差し伸べた。


「テルです。よ、よろしく」


 いたって自然な、時間には集合時間の十分前には到着していたかのような口ぶりのセレスに、テルは流されるまま、立ち上がり差し出された手を握る。


 握手をしてしまったせいで遅刻のことを咎めあぐねていると、隣で座ったままのカインが機嫌の悪そうに口を開いた。


「大遅刻しておいてなんの謝罪もないのかい? 弁明でもいいけど」


 カインの辛辣な態度には、決して容易く流されてなるものかという硬い意思が窺える。明らかな怒りを向けられてなお、セレスのご機嫌な表情は曇らない。


「なんで遅れたかってこと? 傭兵ギルドに行ってたからよ」


 テルとカインが同時に「傭兵?」と首を傾げた。テルは聞き馴染みのない言葉に対する疑問で、カインは理解できない行動に対する疑念だった。

 「傭兵ってなに?」と聞きたいところだったが初対面の人の前なので我慢していると、カインがセレスに重ねて詰め寄った。


「傭兵って、まさか重複依頼を……?」

 

「ええ、まあね」


「こいつ、まじか……」


 頬を痙攣させてドン引きしているカイン。

 

 傭兵。それは魔石を目的とする騎士とは違い、商団や個人の護衛、その他の理由から魔獣と相手取る職業で、いわば、民間の騎士である。

 騎士、魔石産業には及ばないが、他国からの品物の輸出入のさいは、傭兵の護衛団が必要不可欠であり、騎士よりも収入が安定するため、人気が高い職種だ。


「重複依頼ってなに?」


 テルが尋ねると、セレスは可愛らしい微笑みというより、企みがうまくいって思わず零れ落ちたような笑みを浮かべた。


「一回の仕事で二回分の報酬を貰っちゃおうって話よ」


 わざとらしく人差し指を口元に近づけて、小声で耳打ちをするセレス。

 つまりセレスは私利私欲のためにテルたち二人を何時間も待ちぼうけにした、ということだろう。


 それにカインの様子やセレスの素振りを見るにおそらくその重複依頼は賞賛されることではないのかもしれない。

 具体的なイメージはつかないが、請求額のかさ増しといったところだろうか。


 なかなか癖の強い人と巡り会ってしまった。


 テルは心の中でそう呟き、これからの依頼が簡単ではないことを予感したのだった。




「改めまして、上位魔獣討伐数二体、上位騎士セレス・アメリッド。よろしく!」


 騎士ってそういう感じで挨拶するものなのか、と感心しつつテルも同じように続いて自己紹介をする。


「上位魔獣討伐数三体、中位騎士テル。よろしく」


 特に深い考えなしにセレスに続くと、カインが非常に苦々しい顔をテルに向けている。


「え、なに」


「……討伐数一体、中位騎士カイン・スタイナー」


「ぷふっ、なんだか偉そうにしてたのに経歴は一番ぱっとしないのね」


「……どういう神経してたら遅刻した奴がその台詞を吐けるんだ」


 目を細め口に手を当てるセレスにカインは青筋を浮かべる。


「こんな人格破綻した金の亡者のために何時間も時間を無駄にしたのか……」


「ちょっと、人のこと金の亡者呼ばわりしないでくれる?」


「事実だろ」


「遅刻なんかでいつまでも怒っちゃって、器が小さいわよ」


 時間の浪費を本気で悔しがるカインにセレスはさらに油を注ぐ。声を荒げたりはしないものの、その内側で怒りを燃やしているのは誰から見ても明らかだ。


 テルは沈んでいく日をぼんやりと眺めながら、今日はもう話合いはできないだろうな、とため息をついた。

 

 人格破綻とセレスをそしるカインだが、カインも十分に性格が悪いことをテルは身に染みて知っている。


「金の亡者と性格の悪い奴に挟まれてしまった……」


 両者の言い争いの仲裁をする気にもなれず、一歩引いた場所で、殴り合いが始まったら止めに入ろう、と静観を決め込んだ。

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