第1章26話 災禍の壁際で

 防壁にたどり着くと衛兵はすんなりと門を通してくれて、そのあと診療所に駆け込んだ。


 医者のような姿をした男は、少年をベッドに寝かせたが、運び込まれる怪我人が多く、処置にありつけるまで時間がかかるようだった。


 テルはそれ以上そこにいるのがいたたまれなくなり、その場を後にした。

 多くの人が集まっている広場のような場所に着いたテルは、自分の空腹に気づくと、木に寄りかかってそのままへたり込んだ。


 耳鳴りはすでに収まって、人々が混乱している様子が嫌でも聞こえてくる。


 この広場には怪我なく非難できた人達が集まっているようで、老若男女様々な人が集まっていた。比較的、老人や女子供の数が多く、大人の男は少ないように見える。


 なんとなしに見た防壁の向こうは黒煙が無数に上がっている。


 急に物をこすりつけたような、不快感を湧きたたせる音が騒がしくなった。ついに耳がおかしくなったのかと思ったが、他の人にも聞こえているようで、誰もが煙で少し汚れたような空を見上げた。


「カルニ騎士庁舎からのご報告です」


 ざらざらとノイズ混じりに響き渡ったのは、男の低く野太い声だ。


「先刻、ペタ区にて魔獣に襲撃を受けました。同時刻、シクハ平原の北西に、魔獣の大群を確認。以上をもって一連の事件を魔獣の異常発生と見なします。住民の方々は極力屋外への外出を避け、騎士の方々はペタ区に発生した魔獣の討伐と―――」


 言うべきことを言い終えた放送は、しばらく同じことを繰り返し言い続けた。どうやってこの放送をしているのかはわからないが、テルは酷く気分が落ちて、その場から動く気にならなかった。


 広場にいた人たちは、膨らんだ不安が破裂したかのように、思ったことをそのまま垂れ流しにしたようだった。



「このまま魔獣に殺されるのか?」


「民間に被害がここまで出たのは何年ぶりだろう」


「騎士どもは何をやってるんだ」


「お父さんは無事なの?」


「騎士が足りてない上に、こんなに急に起こるなんて」


「王都までの馬車はしばらく出ないらしい」


「無能な騎士庁の連中に妻は殺されたんだ」



 絶え間なく流れ込んでくる、不安や恐怖を煮詰めたような会話は、テルに関係する話題も少なくなかった。


 頭の中で、悲鳴が木霊し、脳裏に喉元を食いちぎられた女性が倒れていく映像が再現された。


 初めて人が死ぬ場面に出くわした。


 あんなに成す術もなく、呆気なく死んでしまうのだ。

 きっと、今のテルがどんなに気張ろうとあの人を助けることはできなかったと思う。例え助けられても、そのあとに二人か担いでここまで逃げ切ることなんて不可能だった。それに、もし二人助けることが出来てもあの場所にはあとどれだけの生存者がいただろう。



 考えて、塞ぎこんでも時間の無駄なのに、テルはその場に縫いつけられたように動けなかった。


「これ食べる?」


 急に目の前に、サンドイッチが差し出された。


 テルが顔を上げるとそこには、熟れた果物のような赤錆色の髪をした少女が立っていた。いや、もしかしたら童顔の女性かもしれない。そう思ったのはその人の声が酷く落ち着きのある喋り方をしていたからだ。


「さっき吐いてたでしょ。これ食べなよ」


 そういって赤錆色の髪の女性はテルに無理矢理サンドイッチを持たせた。


「いや、食料なら……」


 そういいかけて、色々なものが詰め込まれたリュックを放置して逃げてきたのを思い出す。


「ほら水もあるよ」


 女性は落ち着いた物言いで、あつかましさを感じさせない。女性は髪と同じ色の目を細めて微笑む。


「どうも」


 あまり食欲はなかったが、サンドイッチを一口食べ、水で胃まで押し流した。


「私はクォーツ」


「テルです。さっきの見てたんですね」


 女性はテルが飲み込んだのを見ると安心したような顔をした、隣に座り頷いた。


「さっきの男の子は大丈夫?」


「多分大丈夫です。足は酷い怪我だったけど」


 テルが無気力に答えるとまた一口頬張る。


「知ってる子なの?」


「いえ、直前に入った店で働いてた子です。お姉ちゃんと一緒に」


「そっか」


 何が起こったか察したのだろう、クォーツと名乗る女は弱々しい相槌を打った。


「様子見に行ったり、慰めてあげたりしないんだね」


「これ以上できることはないですから」


 最初にリベリオに言われた言葉を思い出す。人助けをするにも責任が生まれる。その通りだと思う。これ以上少年に干渉して、期待させて裏切るのが一番残酷だ。 


「意外とリアリストなんだね。その一方無力な自分がもどかしいと思うような、割り切れてない青さもある」


「あなた、なんなんですか?」


 覗き込んで無遠慮な物言いをするクォーツに、テルは苛立ちを隠さずに言う。自分のなかに焦りのような引っかかった部分が、衝動的な行動に走らせた。

 顔を上げるとクォーツと目が合い、テルは肩を震わせる。


「私はただの一般市民だよ」


 悟ったような力の抜けた目は、じっとテルに向けられている。引っかかった部分の正体を理解したテルが、瞳を震わせる。


 どの時点からテルが戦う様を見ていたかわからない。しかし、不自然な干渉はその考えに至らせるには、十分だった。


 異能を見られた。

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