苦しい時はデパート、か。

 履くのに手間を要するローマ人のサンダルを履いて俺は、街へ出る。行き先は決まっている。かつて照出と行った、あのデパート。デパートの、その地下。何故なら地下は、デパートの王様だから。大量の菓子を、洋の東西を問わずに大量の菓子を買い込んで、分け合って、食べる。そうすれば、くるしいは半分に、うれしいは、二倍になるから。

 会いたかった。あんな真似をしでかして、いまさらどんな顔で会えばいいのか。会って何を話すつもりなのか。何も決めてはいなかった。それでも会わなければならないと――いや、会いたいと、思った。照出に――レナに、会いたかった。

 レナに会いたかった。

 ローマ人のサンダルの微妙に重く歩きにくいそれを引きずって、地下の空間を練り歩く。右を見ても左を見ても、レナの奴が喜んでほうばりそうなものばかり並んでいる。片端から買っていく。ひとつひとつはそこまででも、重なると結構な重量となって引きこもりの軟な腕をいじめ始める。しかし今は、その痛みすら不快でなかった。

「……あれは」

 行列が、目についた。いつかも目にした行列。店によって、職人によって味も出来もまるで異なるというシュークリームの。『待ってる時間は、わくわくでいっぱいにする時間なんですから』。レナの言葉が思い起こされた。女性ばかりが並ぶその行列の最後尾に、俺はそっと滑り込む。すぐさま後ろについた女性の視線に多少の肩身の狭さを覚えながら、それでも俺はそのまま待った。ゆっくりと、ほんのわずかずつ消化されていく列に歩並みを合わせ、これからを思った。

「これからにわくわくしちゃう時間、か……」

 これからのこと、先のこと。俺は、わくわくしているのだろうか。よく判らない。そう言われればそのような気がするし、違うと言われれば違う気もする。不安は、あった。未知の未来、いついかなる形で今が崩れてしまうか知れない未来への恐れは、耐え難く俺の裡に巣食っている。経験を伴う、恐れが。

 レナはこのまま、叔父のために結婚するだろう。それはおそらく、変えようがない未来だ。照出麗奈という性質が、叔父を見捨てるという選択肢を許すはずがないのだから。それは、苦しいことだった。俺にとってこれ以上ないくらい苦しいことだと、俺はもう、自覚していた。

 だが。

 レナは、笑った。泣いた。怒った。そして、感じた。俺の本から様々に、感じ取ってくれた。そのよく動く顔を様々な表情に変じて、自らの血肉に取り入れてくれた。これからも、そうであって欲しいと思った。これからもずっと、ずっとずっと遠い未来でも、そうして感動していて欲しいと思った。

 未来を思うことは不安だった。しかし、それだけではなかった。なかったのだ。俺はやはり、わくわくしているのかもしれない。あいつのおかげで。レナのおかげで。俺はどうやら、レナに幸せで居て欲しいと願っているようだった。そうした未来を、望んでいた。

 そして、そうした未来を描けるならば。そうであれば俺も、今こそ、自分の人生を――。


 菓子が、手から、落ちた。


 天井に設置された、ディスプレイ。

 そこに流される、物々しい、報道。

 ああ――。

「暴力団同士の抗争が――」

 どうして――。

「複数の銃声が聞こえ――」

 また――。

「付近に居合わせた住民が――」

 太陽が――。

「照出麗奈さん二六歳会社員が――」

 俺から――。

「死亡――――――――」

 墜ちて――――――――。

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