後半

 悩んでいた。深刻に悩んでいた。『星の水母は月へと唄う』を出してから半年。あれから更にもう一作書き上げ、今また新たな作品に取り掛かっている現在。俺は今、すこぶる悩んでいた。それは新作の構想について――ではなく、もっと卑小で、身近で、個人的な私事。しかし俺にとっては、大きな意味を持つこと。

 照出の誕生日が、近づいていた。

 プレゼントとは、何を贈ればよいものか。

 思い返してみても、人に何か贈り物をしたという記憶がない。そのように親密な交歓を図ってこれた知人などただの一人もおらず、また打算やへつらいの絡まぬ私的な贈り物を寄越してもらえた覚えも、一度もなかった。ましてや、女になどと。絶対的に、経験が不足していた。困っていた。だがしかし、ならば何が良いかと第三者に相談するなど、かように恥さらしな真似ができる訳もなく。

 照出は、あのローマ人のサンダルをくれた。それは、適当な相槌だったとはいえ俺自身が下した評価を基準に判断した結果だ。然るに照出の日頃の言動を想起することによって候補となる物品を絞るのが王道の上策であると考えられる。られるのだが……事はそう、単純でもなかった。

 照出麗奈という女は実に喜怒哀楽のはっきりとした、自分の感情を表に出すことを躊躇わない女だ。好きなものには好きと、はっきり口にする。それは俺も知っている。それらの幾つかを覚えてもいる。だが――好き好き好きかわいいかわいい好き好きかわいい好きかわいいかわいいかわいいかわいい……俺は知る。何でもかんでも好き好きかわいいという輩にとって結局何が一番好まれるのか、外部から判断するのは至難の業であるということを。候補が、まるで絞れん。

 適当に何か見繕い、居丈高にそいつをくれてやればよい。そういう意見もあるだろう。が、この誕生を祝う行為については俺が手ずから企図したことなのだ。中途半端は、願い下げである。やるからには最高の準備を施し、最高の結果をもたらしたい。……あいつは、まあ、何をくれてやっても喜ぶだろうがそれはそれ、これは俺の尊厳の問題なのである。なにせこいつは、俺から照出を祝う初めての催事となるのだから。

 であるからして俺は、会話の中から聞き出すという古典的な策を用いて戦いに打って出ると決めた。抜けた所の多い照出からならば、俺の話術でもなんなく探り出すことができるはずだ。勝算は高い……はず。いや、仮に低くとも戦い、そして成し遂げる。そして、そう。成功した暁には、そして――。

 それにしても、遅かった。いつもであればとっくのとうに、様子を見に来たと顔を出していておかしくない時間だ。人を待たせて、何を道草食っているのか。またぞろ木から降りれなくなった子猫でも救出しているのか。それとも迷子を交番まで届けているのか。いずれにせよどうせ、弱者の救済にでも勤しんでいるのだろう。まったく、あいつの性向にも困ったものだ。待たされる者の身にもなってもらいたい。

 インターフォンが鳴った。ようやくか。俺は努めて冷静を装い、玄関へと向かった。シミュレートは充分に行った。いかなる会話パターンにも対応できるようルートを分析し、目的へ導くためのフローチャートも確実なものへと練磨した。そして辿り着いたひとつの解法。肝心なのは、初手だ。初手で流れをつかめば、後はどうとでもなる。逆説的に、初手を逃してはならない。扉を開き、最初に放つ一語。その言葉を脳内で反芻し、俺は扉を開く――。

 そこには、見知らぬ男が立っていた。

「お世話になっております先生。照出の代理で参りました、日ノ輪出版第三編集部の風呂田と申します」

 俺の目論見は、どうやら初手から躓いたようだった。

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