一四匹
「……ああそうだよ。俺が継いで、完成させた」
普通じゃないとは一目で気付いた。痛々しく顔中に残る火傷の痕。それのせいで表情が読みづらい――とか、そういうことじゃない。まとっている雰囲気というか、佇まいというか、とにかく空気がおかしかった。有り体に言えば、危険だと感じた。俺たちが知っているいつもにこやかなあいつと眼の前のこれが同じ存在であるという事実が、どうにもちぐはぐで結びつかない。それくらい、異常を感じた。
春日井ソウジ。同僚で、友人で、この粋でいなせなコイちゃん様をこき使いやがる頼もしいディレクター――だった、男。変わり果てた、男。
「そりゃ、できれば待ってやりたかったさ。お前がどんだけ熱量込めて仕事に当たってたか、知らねえやつはいねえよ。でも判るだろ、俺たちゲーム屋がゲームを作り続けなきゃ、ちっちゃなちっちゃなうちの会社はすぐに潰れちまうんだ。そしたら飯も食えねえし、お前だって帰る場所がなくなる。俺たちはクリエイターであってアーティストじゃない。優先すべきは納期と信用。そんなこと、お前だって判るだろ」
それでも俺は、迎え入れた。俺の家に。話があるというあいつのメールに嫌な予感が走って、俺の家で会おうと約束した。会社で再び問題を起こせば、さしもの社長も見限りかねないと考えて。顔付き合って話し合えば、わだかまりも溶けると思って。
「お前に言うべきかどうかだって迷ったんだよ。刺激するべきじゃないって意見も、ちゃんと教えてやるべきだって声もあった。俺は……言わないほうが、いいと思った。どっちが正しいかなんてわかんねーけど……でも、そうだな。フタのやつなら、言うよな。あいつ、いやがるもんな。仲間外れとか、あいつが一番いやがることだもんな」
携帯を見る。土家からの連絡はない。ソウジと話すと教えたら、すぐに行くと返事があった。あれから既に三〇分。来ない。俺が話すことは尽きた。尽きたというか、考えていたことがまるきり飛んだ。なんにも思い浮かばねえ。ソウジも何も話さない。重い時間が、過ぎずに留まる。なんだってんだよ、勘弁してくれ。
「そうそう、俺の部屋、ずいぶん綺麗だと思わねぇ?」
苦手なんだよ、こういう空気。
「ありゃ、お前が倒れるちょっと前くらいだったかな。あいつちょくちょくうちに来るようになってさ、やれ散らかってるだのやれ汚いだのって、頼んでもないのに掃除しやがってよ。お前は俺のかーちゃんかってんだよな、んははは!」
わざとらしく笑って見せて、一人の声は虚しく枯れて。頼むぜなあおい笑ってくれよ。いつもみたいにバカにしてくれ。バカなやつだと笑ってもらえりゃ、俺はそれで安心なんだ。
「一言もなかったのは……悪かったよ。ちゃんと話すべきだったかもしれねぇ。けどよ、お前の功績がなくなったって訳じゃねーんだ。俺がやったのは最後の最後の詰めくらいなもんで、あれはお前の作品だよ。それによ、お互いこれからだろ? 『ブレクエ』作る機会なんざ、これから何度も巡ってくるって!」
だってそうすりゃ少なくともよ、重苦しさは失せるだろ。どうしていいかわからねんだよ、こういう時に。真面目でいるのは、怖えじゃねえか。大人らしさが、怖えんだ。
ふざけてないと、耐えられねえんだ。
一人用の冷蔵庫を、『じゃじゃーん!」と見せびらかすように開け広げる。そこには同じ飲料が、タピオカミルクティーがずらりと並ぶ。「それしかないんかい」と、ツっこんでくれていいんだぜ? ……そうか、これじゃ笑ってくれねえか。
わっせわっせと、盆に載せていくつも運ぶ。差したストローを、三本一気に吸い上げる。飲み干したら、また次を飲む。「一人で飲むんかい」って、言いたくなったろ? ……ダメかよ。
「言ったろ、やみつきになってるって。もうコイちゃんこれ飲んでないと……あひあひあひあひ、頭おかしくなっちゃう~☆ おら、ソウジも一緒におかしくなれい!」
ストローの先端を押し付ける。おらおらおらと、レイピアのように。ソウジはまるで避けなかった。ストローの先が、頬をかすめる。火傷の痕のかさぶたが、ぽろりと剥がれた。じゅくじゅくと液状化された真皮が露出した。「あ、ごめ……」。それでもソウジは動かなかった。動きもせず、何も言わなかった。
助けてフタっち、早く来て。
「結婚するんだ」
……おう?
「……わんもあぷりーず?」
「結婚するんだ」
「マジか」
マジか。え、なに。話って、『ブレクエ』の話じゃなかったの? 結婚報告? 用事って、それ? マジで?
「……ぉぉおおマジか! マジでマジでか! ついにか決めたかめでてえなおい!」
なんだよなんだよ、それならそうと早く言ってくれりゃいいものを。コイちゃんいらん気を回してため息ふぅだぜまったくよお!
「いつ決めたんだよ話せよほれほれ。式はいつですか? 奥様とはどこで知り合ったんですか? プロポーズはどちらからされたんですか? コイちゃんはかわいいですか? 子どもは何人ご希望ですか? ご祝儀は新渡戸を一枚くらいでいいですか?」
マイクを握ったインタビュアーの如く、肩をぶつけて質問攻めする。ああ楽しくなってきた。気分が乗ってきた。
「おうフタ酒もってこい酒酒……あ、そういやまだ来てないんだった。まあいいや、今日は宴会じゃ宴会! 朝になるまでうざ絡みしちゃるから覚悟せえよんはははは!」
「でも、だめなんだ」
地獄みたいに暗い声でつぶやく春日井に、ちょっぴり一瞬ひるみかける。いやだなおいおい幸せ野郎、なんて声を出しやがる。めでたい時にはもっとこう、めでたくバカに踊らにゃ損だぜ。
「おやおや~? 春日井くんは早くもマリッジブルーかなー? よしよし、そういうことならこの恋愛の達人コイフミ様がたっぷりとっくりご教授してしんぜよう! ……彼女の一人もいたことねーけど!」
んはははは。笑う。俺だけ。それも途切れる。
両の肩をつかまれた。押された。倒された。
「待て待て待て待て春日井さん? い、いくらコイちゃんがかわいいからって、婚約記者会見でこいつはさすがに背徳的すぎ――」
「子どもが必要だった」
つかまれた肩が、万力のような力にへこむ。
「こ、子ども、子ども子ども、ベイビーちゃんね。わかる、わかるよー、赤ちゃんかわいいよねー、いいよねー。俺近づくとすぐ泣かれっけど」
「子どもがいなきゃ結婚できない。子どもがいなきゃ幸せにできない。だめなんだ。幸せにしてあげたいのに、幸せにしてあげられないんだ」
身を捩って逃げようとしても、まるで身体が動かない。笑いが出る。笑いが漏れる。おかしいな。おかしくないのにおかしいわ。はは、はは、わはははは。
「おーけーおーけー落ち着けボーイ。話は聞くからいったん離れよーぜ? フタが来たら勘違いしちゃうよ? そっちの扉開かせちゃうよ? ……あのさ、そんな気ねえんだろうけど……ははは、こ、怖えんだよ、ちょっとだけよ。だからさ、だからいったん落ち着いて――」
「“あれ”はぼくらの子どもだった!!」
悲鳴が漏れた。
「『ブレクエ』が、ぼくらの子どもだったんだ。彼女を幸せにできる“特別”だったんだ。なのにそれを奪われた、ぼくはどうすればいい……なあ、返せよ、返してくれよ。なごみとぼくの子どもを、ぼくたちの子ども<幸せ>を返してくれよ、なあ!」
「お、落ち――」
「あ」
ソウジが、離れた。
「そっか」
ソウジが、つかんだ。
「虫かぁ」
ソウジが、掲げた。
勇者の剣が、掲げられた。
闇の魔物を、葬るそれが。
そういえば、フタ。
なんであいつ、俺のマフラーなんざ巻いてたんかなぁ――。
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