一一匹
深夜。誰もいない社内。パソコンに向かう。一人。
残っているかもしれない。断片。サルベージすれば。できるかもしれない。復元。全部じゃなくとも。一部だけでも。一部だけでも取り戻せれば、間に合うかもしれない。本当に? 判らない。じゃあ間に合わない? 判らない。それなら同じ。やればいい。やるしかないのだから。やればいい。
でもあれなんで、どうして間に合わせなければいけないんだっけ。そもそも何に間に合わせるんだっけ。思い出せない。そもそも何で作ってたんだっけ。思い出せない。そもそも何を作ってたんだっけ。思い出せない。そもそも何がしたかったんだっけ。思い出せない。
思い出せない。思い出せない――。
『家族で世界を救うんでしょ?』
あ、そうだ。そうだった。
『そんなことも忘れちゃったの?』
違うよ、覚えてるよ。
『ほんとに?』
ほんとだよ。ほんとに、ほんとに。
『そーくんのうそつき!』
うそじゃないよ。嫌わないでちょうだいよう。
『ふんだ、どうしてやろうかしら』
やだよう、なーちゃんに嫌われたら生きてけないよう。
『……ふふふ、冗談よ。そーくんを嫌うなんてそんなこと、あるわけないじゃない!』
ほんと? ほんとに?
『ほんとのほんと、ほんとによ』
ぜったいぜったい? 生命賭けれる?
『生命だって賭けれるわ。だからそーくんも、離れちゃやーよ!』
離れないお。ぜったい離れないお。
『ふふふ。ずっといっしょ。ずっとずっと、ずぅっといっしょ!』
ずっといっしょ、ずぅっといっしょ。うふ、うふふ。
なーちゃん。なーちゃんがいる。だからがんばれる。だから乗り越えられる。魔王を倒す旅が平坦なそれでなくとも、立ちふさがるモンスターが凶暴になろうとも、課された試練に悩まされようと、二人でいるから乗り越えられる。ああだこうだと言いながら、二人で試練を乗り越えられる。
ああそうだ、そうなのだ。これがぼくの原初体験。光差す楽園の、その永遠の顕現。この寸刻の連鎖的永続こそが、この果てしなき地平への饗応こそが、知性未然に授けられた根源的幸いの福音なのだ。これこそが神性。我が身へと舞い降りし、唯一にして比するものなき奇跡の中の奇跡。即ち――愛なのだ。
なーちゃんこそが、愛なのだ。
愛しています。知ってるわ。
愛しています。当然よ。
愛しています。だからなに。
愛しています。そうかしら。
愛しています。調子がいいのね。
愛しています。怒るわよ。
愛しています。笑っちゃう。
愛しています。他にないの?
愛しています。恥ずかしいわ。
愛しています。うそばっかり。
愛しています。そうでしょうね。
愛しています。もういいでしょ。
愛しています。仕方ないわね。
愛しています。私もそうよ。
愛しています。……私もよ。
愛しています。…………私もよ。
愛しています。………………私もよ。
愛しています。…………………………。
愛しています。
愛してる。
うれしい。
パソコンが落ちた。電気が落ちた。夜闇に落ちた。魔界に落ちた。
音がなる。かりかりと音が鳴る。パソコン本体の筐体が、かりかりと何かに掻かれている。内側から何かに掻かれている。恐れはなかった。敵の正体は判っていたから。やつらは勇者を抹殺し、光の巫女を奪わんと目論んでいる。光を嫌い、愛を喰らう、闇に潜みし黒虫<魔物>ども。ぼくたちの――“世界”の敵。
筐体が外れた。足元で、それが溢れた。がこんがこんと、音が続いた。潜んでいたのはぼくのパソコンにだけではなかった。フロア中のパソコンから、次から次へとやつらが出てきた。“闇の魔物”が、ぼくらを狙って現れた。負けるわけにはいかなかった。だってぼくは、“勇者”なのだから。
なーちゃん、力を貸して。いっしょに闇の魔物を退治しよう。
闇を払う光の力。世界の希望となる力。それはもう、光の巫女から預かっていた。光沢のボディに『ブレクエ』の象徴が刻印された、『聖なる種火<ジッポライター>』。蓋を開けて、火を灯す。魔物は怯み、光に焼かれてのたうち回る。
けれどやつらも闇のもの。一筋縄でいくはずもなく、やつらはぼく<勇者>の足を噛む。肉を貪り管を食み、内から外から這い登っては、ぼく<勇者>の生命をまっすぐ狙う。ぼろぼろ剥げゆく皮膚の上で、無数の魔物が這い回る。もはやぼく<勇者>にはぼく<勇者>が見えず、全身あまねく闇に覆われ、希望と共に世界の明日も閉ざされかける――が、しかし。
『がんばりなさいよね』
判っているよ。
種火の力を増幅する、精霊から授かった光の神器。ぼくの手には、それがある――殺虫剤という名の、それがある。ぼく<勇者>はそれを、噴射する。ぼく<勇者>に向けて、虫<魔物>に向けて、そして輝く種火に向けて――噴射する。
指先に力を込めた。
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