九匹
「おとうさんうるさい!」
「うるさーい!」
「え、え、え?」
「◯◯ちゃんが遊んでるの、邪魔しないで!」
「✕✕ちゃんと遊んでるの、邪魔しないで!」
「ねー!」
「ねー!」
「で、でも宝箱取り逃すともったいないし……あほら、そこそこ」
「だから、もうー!」
「うるさいのー!」
「え、えぇ? ごめん、なさい?」
「わかったらしーっなの!」
「しーっしなさい! しーっ!」
「うぅ、わかりました……じゃあせめてそこの隠し部屋だけ――」
「おとうさんー!」
「わるい子ー!」
「ひゃあー!」
◯◯ちゃんと✕✕ちゃん。四つ重ねた小さなお手々、それらに押されてすってんころりん、ソファの後ろへ転がった。二人の子どもはわあわあと、きらめく画面に視線を集めて、自分たちの分身を右へ左へ動かしている。そろっと近づく。威嚇された。ここに居場所はないようだった。とぼとぼとぼと、愛しい彼女の下へと逃れる。
「とほほ……追い出されちゃったお」
「当たり前よ、あんなに邪魔ばっかりして」
「でもなぁ……開発者としてはもどかしいんだもん」
「もう、そんなだから怒られるのよ。思い出して、私たちだってそうだったじゃない」
「ぼくたち?」
「ああでもない、こうでもない。そうして二人で手探りするのが楽しかった……そうじゃない?」
「……そうだったね」
「過保護なばかりじゃいまにうざいって言われちゃうわよ」
「うぅ、善処します……」
「……もう」
桃の香りに、包まれる。
「いつまでも子どもなんだから」
柔らかな彼女と彼女の発する香りに包まれ、子どものようにムキになって抱きしめ返した。愛しい人。幼い頃からずっと一緒で、この先もずっと一緒に生きていく人がいて。愛しい双子。ぼくと彼女の面影残す、ぼくら二人の双児の愛児は、ぼくの作ったゲームに夢中で。ああでもないともこうでもないとも言い合いながら、二人で手探り進んでる。勇者になって手探りに、彼らの旅を歩んでる。かつてぼくらが、そうしたように。
求めたすべてが、ここにはあった。
「ねえなーちゃん」
「なぁに?」
「子育て、楽しい?」
「楽しいわよ、大変だけどね」
「ねえなーちゃん」
「なによ」
「一緒になってくれて、ありがとうね」
「どういたしまして」
「ねえなーちゃん」
「……もう、なによ」
「好きだよ」
微細な変化。くっついているからこそ判る、胸打つとくとくの高速化。言語を通さず伝わってくる、不器用な彼女のほんとの心情。そのとくとくのリズムが早まっていくのと入れ替わるように、ぼくの心地は急速に落ち着いていった。むきになって抱きしめていた腕を、やわらかく包み込むようなそれへと緩める。そしてぼくは、もう一度繰り返した。「好きだよ」。「おしまい」とは、言われなかった。
「おとうさん!」
「おとうさーん!」
呼ばれる声に、頭を上げた。子どもたちがぼくを呼び、来て来て来てと催促していた。愛しい香りを惜しみつつ、「まだうざがられてなかったみたい」と彼女に告げる。鳴き続ける雛に向かってはいはい行くよと答えたぼくは――ぐいっと腕を引っ張られた。
「春日井」
唇に、香りの膜がはらりと触れた。
「私、幸せよ」
おとうさんと、声を揃えて子らが呼ぶ。
「行ってらっしゃい、“おとうさん”」
「ん!」
両手を重ねた子どもたちが、掲げるように握ったコントローラーを突きつけ、揃えた声で文句を重ねる。「止まっちゃったー」「動かないー」。小さなクレーマーはどうにかしてと口々訴え、開発者を困らせる。
コントローラーを受け取りぼくは、状況確認を試してみる。確かに彼らの言う通り、画面の中の勇者は動かなかった。移動のモーションだけは取るのだが、パントマイムの如くにいまいる一点から進まないのだ。ぐるりとマップを回転させても得られる結果は結局同じで、これは未発見のバグかなあ、いやだなあと今後の対応について気が滅入り、バグ取り地獄から目を逸らすように画面内での視点を動かし、四方八方を見回した。そこで、気が付いた。
なんだ、ここは。
知らない場所だった。いや、知ってはいる。ぼくという個人にとっては思い出深く、忘れようはずのない場所ではあるものの、ゲーム内には登場しない。そもそも開発もしていない。どういうことだ。なんでここが。日山のいたずらか。いやでも、こんな大掛かりな。だってこんな、こんな――“海辺の丘”、なんて。
「……え?」
画面の端に、黒い染みが浮かんでいた。なんだ、故障か。ゲームの、それともテレビの。きっとそうだ、ただの故障に違いない。そう思いながら、注視する。視線がそこから外せない。外せないその染みが、じわりじわりと広がっていく。レントゲンのように広がっていく。光の空が、青の海が、緑の大地が染められていく。呑まれていく。喰われていく。黒に、黒に――喰われていく。
虫に、喰われる。
コントローラーがこぼれ落ちた。こぼれ落としたぼくの手が、意思とは無関係に蠢いていた。指が、てのひらが、手首が前腕が腕の全部が、ぼこぼこと盛り上がる肉の蠕動に跳ね回っていた。そして、それで、肉がこそげて、皮膚が破れて――無数の虫が、飛び出した。
「おとうさん」
「おかあさん」
子どもたちが、ぼくたちの双子が、なーちゃんの愛児が、喰われていた。まとわりつかれて、抉られて、穴を開けられ、穴に入られ、喰われていた。腕を伸ばした。肉を喰われ、いまにも千切れそうなひらひらの皮となった腕を伸ばした。腕を伸ばして、伸ばして、伸ばして、ぼくらの子どもを必死に掻いた。掻いて、掻いて、掻いて、たかる虫どもを叩き落とした。掻いても、掻いても、掻いても掻いても、黒きそれらは二人を喰った。
「おかあさん、おとうさん」
「おとうさん、おかあさん」
顎の外れたのどの奥から、虫と一緒に吐き出された。子どもたちののどの奥から、声と化した虫が出た。次から次へと沸き出てきては、次から次へと出ていった。おとうさん、おかあさん、おかあさん、おとうさん。おかあさん、おとうさん、おとうさん、おかあさん。
双子<虫>が、謳う。
「ソウジ」
彼女がいた。画面の中に彼女がいた。黒色に汚染された約束のその場所に彼女がいた。ウインドウが開く。ウインドウが台詞を映す。ウインドウが彼女の言葉を書き表す。虫に囲まれた彼女の言葉が画面の中央に表示される。
やめてくれ。
花嫁姿の君が言う。桃の香りの君が言う。やめてくれ、やめてくれ。大人みたいに言わないでくれ。歯抜けの君のその顔で、そんな言葉を言わないでくれ。歯抜けた口のその奥の、潜んだそれを見せないでくれ。いやだ、頼む、頼むよどうかお願いだから――。
“諦めた”なんて、言わないで――――
幸せよ。
虫。口の中。蠢いている。滑るように。奥へ、奥へ。体内へ。噛んだ。液が飛んだ。粘ついていた。弾けた殻が口腔に刺さった。吐き出した。まだ動いていた。蠢いていた。
携帯が光っていた。メッセージだった。なごみからだった。高岡くんという、なごみが務める保育園の子どもが写っていた。高岡くんが、数年前にぼくが開発したゲームで遊んでいた。楽しそうに遊んでいた。「ゲーム作るの、がんばりなさいよね」。メッセージには、そう添えられていた。他にも書かれていたが、そこだけを読み返した。何度も読み返した。そこだけを。『がんばりなさいよね』。
「……たまるか」
しぶとく蠢く虫を、叩き潰した。まだ動いていた。さらに叩き潰した。ほとんど動かなくなった。さらに叩き潰した。動かなくなった。さらに叩き潰した。原型を留めなくなった。さらに叩き潰した。ばらばらに四散した。さらに叩き潰した。何もなくなった。さらに叩き潰した。つぶやいて、つぶやいて、叩き潰した。さらに叩き潰して、叩き潰した。
喰われてたまるか。喰われてたまるか。喰われてたまるか。喰われてたまるか。つぶやいて、叩き潰した。
もう二度と、喰われてたまるか。
もう二度と。もう二度と。
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