六匹

 電話を切り、デスクにもどって支度を始める。まずやらなければならないのは、スケジュールの見直しだ。花香さんにはああ言ったものの、おそらく社長はGOサインを出すだろう。愚かとは言わないが賢い人とも言い切れない、冒険心に満ち溢れたあの人の性格を鑑みれば、そうなる公算は非常に高い。

 それに……嫌な話だが、『イコデミア』は国外にも名を轟かす大企業だ。対してうち<『セッラ』>は、まだまだ弱小。その力関係は決して対等とは言えない。向こうからしてもこちらからしても、そうした不均衡は計算の基盤に働く。要求を呑むことを前提に、準備を進めておくに越したことはないだろう。

 本音を言えば、開発期間が短くなるのは好ましくない。メンバーの負担が増すのは間違いないし、バグ対策も後手後手になる。ベータ版とは言え、完成度の低いものを出したくはない。なにしろこの仕事は、“特別”なのだから。

 けれど同時に、決められた条件の中で最善を尽くすのもプロの仕事だと理解している。交渉はするが、文句は言わない。ぼくが成すべきは、ゲームをより面白く、より素晴らしいものとするための一切の努力だ。そのためにぼく<ディレクター>は、ここにいる。

 デスクに並べたジッポライターのショーウィンドウ。そこに追加した最新の、そしてそのどれよりもお気に入りとなった『ブレクエ』の、思い出のゲームの象徴が刻印された愛する彼女からのプレゼントを眺め、歯抜けたいつかの笑顔を思う。

 なーちゃん。

 造ろう。大切なのは、それだけだ。それだけが唯一、大切なことにつながる道だ。だから、余計な些事を気にしている時間も余力も、ぼくにはない。考えるべきを考える。いますべきは、それしかない。

 だというのに。

 頭から、離れなかった。花香さんから聞き出したそれ。他所のクリエイターの残した断末魔の叫びが、なぜだか頭から離れなくて仕方がなかった。

 虫に、喰われる。


 予想通り、社長の答えは「GO!」だった。

『ブレイブクエスト8』ベータ版の開発期限まで、残り一ヶ月<三〇日>。

 地獄の一ヶ月が、始まった。

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