五匹
「うふふ、春日井さんありがとうございます。春日井さんのおかげです」
「は、はぁ……それは、どうも?」
花香さんに電話をかけて、開口一番のこの会話。唐突なお礼に混乱しながら花香さんの話を聞いてみると、どうやらうちの社長は『イコデミア』にも訪問して、うちと同じようにぼんぼこタピオカ入りのダンボールを置いていったらしい。「社長さんったら、あんなに大きなトラックでいらっしゃるんですもの。私、とってもびっくりしてしまいました」と、花香さんが朗らかに笑う。本当に、何をやってるんだあの人は。
「春日井さんがディレクターを引き受けてくださったから、こうしておいしいタピオカミルクティーに預かれたのです。ですからありがとうございます、なんですね。縁ってとっても素敵です。うふふ」
「ははは……」
この人もこの人で、大概のんびりされてるよな。『イコデミア』なんて大手パブリッシャーのプロデューサーを、どうしてこの性格で務めきれているのか。いつも不思議に思う。
「あの、まさか用件ってこのこと……?」
「いえいえそんな! いくら私でもこれだけのことでお時間頂きませんよ。メールに留めます」
メールは送るんだ……。
「それで、どういったお話でしょうか。土家がいくらかは答えたと聞いていますが」
「はい、だいたいのことは土家さんから。土家さん、ずい春日井と明るくなられましたね。お話も弾んで、とても楽しかったです」
「ああ。いまあいつ、がんばってるんですよ。仲の良い同期に触発されて、チームワークを身に着けようって」
「まあ!」
花香さんの声色が一層華やぐ。いけない。電話越しだというのに、花香さんの空気がうきうきした春のピンク色に変わっていくのが目に見える。現に受話器からは、うっとりしたように素敵素敵とつぶやく声が聞こえてくる。花香さんのペースに呑み込まれる前に、話を進める。
「ええと、それで用件の方は」
「あ、そうでした」
受話器から、両手を重ねる小気味の良い音が響いた。よかった、引き止められたようだ。
「そうですね……とても言いづらいことなのですが」
花香さんの声が、仕事モードに切り替わる。
「ベータの完成、どうにかして早めることはできませんか?」
「……どれくらいですか?」
「可能であれば、一ヶ月ほど。つまり、一ヶ月後にお受け取りさせて頂きたいなと」
「二ヶ月後の納期を一ヶ月後に、ですか……」
『イコデミア』。名作シリーズ『ブレクエ』を始め、名を聞けば誰もが「ああ知ってる知ってる」と答えるゲームを多数“販売”してきた、超巨大パブリッシャー。純粋だった子供時代は、この『イコデミア』という会社が『ブレクエ』を作っているのだと無邪気に信じていた。事実は異なると知ったのは大学に上がって、そうした業界の絡繰を真面目に学び始めてからのことだ。
パブリッシャーを専門としている企業は、ゲームを作る訳ではない。ゲームを販売するためにディベロッパー――つまりゲーム開発を専門とする企業に開発を委託し、その完成品を宣伝、物流網を通じて全国に配っていくのだ。これまで販売されてきた『ブレクエ』の1から7までも、そうした耳慣れない企業が開発した外部委託の製品だという事実を知った時は、がんを患ったと告げられた時の、その次くらいのショックを受けたものだ。
けれどそうした業界の絡繰があったからこそぼくはいま、あの思い出の『ブレクエ』開発に携われている。うちの社長が「一度腰を下ろしたら寝ることも惜しむくらいに没頭してしまう、そんなゲームを作ったる」という信念を込めて名付けた『ムルキベル・セッラ』――うちの会社は、バチバチのディベロッパーだ。まだまだ知名度は低いもののその開発力は、大手ゲームメーカーと比べてもそうそう劣ることはないと自負している。
社長は変わり者だが、拾ってもらった恩もある。愛着もある。できるなら、社の役に立つような仕事をしたい。その為には、『イコデミア』のようなパブリッシャーとは良好な関係を築きたい。そう思う。そうは思うけれど、しかし――。
「……すぐにはお答えできかねます。ぼくの一存で決められる範疇を超えていますし、チームの士気にも関わる問題ですから。申し訳ありませんが」
「いえそんな、検討して頂けるだけでも助かりますから」
会議に掛ける所までは約束させてもらいますが、その先はと言葉を濁したぼくに、それでも花香さんは再三感謝を述べてくる。
「今度、埋め合わせさせてくださいね。できる限りのことはさせてもらいますから」
この期限の変更も、花香さんの独断では当然ないだろう。プロデューサーとしてこの人は、下を絞るような真似は決してしない。これまでの付き合いだけでもそれくらいは、間違いないと断言できる。おそらくは社内政治に巻き込まれた形で、望まぬ役目を押し付けられているのだろう。そうした意にそぐわぬ仕事をさせられている花香さんには同情の念を抱かざるをえないし、それを明かすことなく自分の責任として交渉に赴くその態度には、一社会人として好感も持てた。だからぼくは、こう答えた。「今後もうちを、ご贔屓に。ぼくが望むのはそれだけです」と。
「ふふ、春日井さんは欲のない方ですね」
「そんなこと。表に出していないだけですよ」
言いながらぼくは、真新しい光沢が憎いジッポライターを指先で転がす。デスクに設えたぼく専用のショーウィンドウ。そこに並べたジッポライターの列に、新たに飾った珠玉の逸品。『ブレクエ』の象徴が刻印された、愛しい彼女のプレゼント。彼女のことを見つめるように、その光沢のボディに熱視を送る。
――と、その時だ。かり、と、影が、わずかに動いた。
思わず、指が離れる。墓石のように突き立てたジッポの連なり。その縦横の間隙に生じた隙間の影。そこの一部が動いた――ように、見えた。脳裏に浮かぶは、あの姿。まさかと否定しつつも再三の遭遇に疑念は止まず、首を伸ばして身体も伸ばし、天の位置から恐る恐ると俯瞰する。……何もいない。何も。少なくとも、今は、何も。
「春日井さん? どうされました、春日井さん?」
はっとして、電話の方に意識をもどす。
「あ、いえすみません、ちょっと虫が――」
いたような気がしただけで――そう言いかけて、自分がずい春日井過敏になっていると気付かされる。土家の言う通り子どもじゃないんだから、虫だ何だで大事な商談相手との会話を蔑ろにするなどみっともないにも程がある。慌てて取り繕おうとして――。
「虫……」
それよりも先に、花香さんの方がつぶやいていた。受話器の向こうからもう一度、「虫」という言葉が重々しく響き渡る。
「春日井さん……あの、無理な注文をしておきながら厚かましいとは存じますが、それでもせめて、お身体にはお気をつけてくださいね」
ずい春日井と深刻そうな様子で、花香さんはいう。いつもほんわかとしたこの人らしからぬ雰囲気に適当な言葉を返せないでいると、花香さんは更に言葉を続けた。
「実は先日、私共とお付き合いのあったクリエイターの方がその……心の方を、病まれてしまって」
「あぁ」
心や身体を壊してのリタイア。ハードワークが常態化しているこの業界では、時々耳にする話だ。ぼくにとっても、決して他人事ではない。しかし、言ってしまえばそれだけの“よくある”話。そこまで深刻に構えることでもないと思うけども。そうしたぼくの考えを、けれど花香さんは否定する。
「その、それが実は……三人も立て続けに、なんです」
「それは」と、声が漏れる。それは確かに、異様かもしれない。異様であるし、同業者として心苦しくも思う。けれど、ありえないとも、言い切れない。だからぼくはいう。「それは確かに、悲しいことです。でも大丈夫ですよ。ぼくも充分に気をつけますから」と。電話の向こうで、花香さんが首を振ったのを感じた。
「違うんです。私が気になるのは、本当に気にしているのはここからで」
「ここから?」
「……実は病まれてしまった方々にはある共通点があって。おそらくはただの、ただの偶然の一致だとは思うのですが……」
偶然の一致。その言葉に、妙な胸騒ぎがした。
「みなさん、同じ事を口にされていたそうなんです。会社も専門も異なる方々が、一様に同じ事を。おんなじ、言葉を……」
おんなじ言葉。その響きが、耳の奥を揺さぶった。
「……ごめんなさい、変なことを言ってしまいました。ダメですね。私もちょっと、ナーバスになっているのかも」
視界の端の、動きのない影の動きが気にかかった。
「とにかく、お気をつけくださいね。春日井さんが倒れられたら私、困ってしまいますから」
「あの」
影の中に。
「差支えがなければお聞きしたいのですが」
見えないものが、見える気がした。
「その三人は」
暗闇に同化したその扁平が。
「なんて」
二本の、触覚が――。
「言い残して――――」
見え――。
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