第2話「崩れた歯車」

2「崩れた歯車」



2014年頃、想司(そうし)の家庭は子供にも恵まれ、奥さんも頑張り屋で美人。

更にこの時、想司は小さな町のサービス業に勤め、職場で店長に任命された。

まだ実績も無い為、給料は高くなく、普通の賃貸のアパートで暮らし、貧乏にはならない程度で、貯金に回せるお金は月に一万から二万程度で日々生活をしていた。

それでも少なからずこの時は幸せと言う物を感じていたと思う。

想司は忙しい中でもちゃんと子供との時間を大切にし、家事育児も積極的に協力する旦那をし、僕から見てもとても幸せでお似合いの家族にも見えていた。

想司からも、惚気(のろけ)の話や、子供の可愛さ、どこにでもいるバカ旦那の会話を良く聞き、僕はそんな想司が幸せそうに話すのが好きで、想司が楽しい時は僕も楽しかった。


しかし、その3年後の2017年の事。


幸せと思えた期間はほんの3年程度だった。

息子が3歳になった頃、突如として想司の奥さんの育児放棄が始まった。

この時は僕も良く覚えている。

想司の奥さんは急に仕事を辞め、更には「もう何もしたくない」と言うようになった。

今思い返せば想司の職務が安定せず、奥さんに負担をかけていたのが原因かもしれないが、それでも想司はできる限りの事はしていたのは確かだった。

それは当たり前なのかも知れない。

しかし、少なからず僕にはその当たり前を不器用にも努力しようとしているように伺えた。

想司は店長としての仕事もある中、なんとか家庭を支えようと毎日息子の朝食から夕食、更にはお弁当まで欠かさず作り、保育園への手続きも全てやり、それと同時に奥さんへの改心を試みていた。

だが、奥さんは仕事も探そうとはせず、ずっと家にいる始末。

息子にもどこか冷たい態度をずっと取り続けているようにも見えた。

奥さんがどんな心境で、どんな不満があり、どうしてこうなってしまったのかはわからない。

想司にも、僕にも最低限の息子が死なない程度には面倒を見てくれていた様子だった。

だから母親として、保育園以外は想司も仕方なく任せていた。


僕は想司からは良く相談を受け、インターネットで色々と一緒に調べたり、助言をしたり、力を貸した事を思い出す。

想司はこの半年間もの間ずっと奥さんに優しく接して問いかけたり、または感情的に怒って心に響いてくれるように振舞ったり、想司は毎日できる限りのことをしていた。

何が正しいかはわからない。

どうしたらいいかさえわからない。

少なからず想司がどれだけ頑張っていたか、どれだけ大変だったか、どれだけの優しさで溢れていたか、それは見てて尊敬に値した。


しかし、想司の思いも、努力も、全てが虚しく裏切られる日々は始まってしまった。


ある日、想司が仕事から帰ると最大限におめかしをした奥さんが家で待っていた。


「私、出かけてくるから。 あとよろしくね」


そう言って奥さんは出かけていく。

想司からすれば子供の面倒を見るのは容易だった。

ここ数年、想司はずっと迎えに行くこと以外全て出来るようになっていたからだ。

僕は奥さんはもう明らかな浮気をしているとそう思ってしまった。

それはこのような事が日々当たり前に起こるようになってしまっていたから。

しかし、想司は僕に言う。


「きっと友達と目一杯遊びたいんだよ。 ずっと子育てで遊べてなかったから」


僕はそれを聞いて奥さんは浮気してるとは言えなかった。

想司は奥さんを信じたかったのだろう。

いや、もしかしたら日々の疲労と精神の崩壊を恐れ、その現実と向き合う事から逃げていただけなのか。

どちらにしろ僕から想司に言う事は出来なかった。

今、想司が壊れれば息子が1番の被害者になってしまう。

そう思った。

想司はきっとこの時は数日すればまたちゃんと母親をやってくれるだろうと、また三年前と同じように一緒に頑張ってくれるだろうと、そう思っていた。

しかし。

奥さんは毎日のように夜に出かけ、朝方も姿はなく、いつ帰ってきているかも分からない日々は続いた。

最低限の母親としての保育園のお迎だけをして想司に子供を預けては出かける日々。


「想司? 最近大丈夫か?」


心配になった僕は想司にそう尋ねる。


「うん……ま、まだ大丈夫」


この時、想司の心は父親としてのプライドが精神を繋ぎ止めているようにも見えた。

しかし、状況は良くならず、奥さんの周りには綺麗な洋服が増え、バッグが増え、靴が増え働いてもないのにどんどんと増えていく。


「働いてないのにお金よくあるね……」


もう想司も優しくなど聞けなくなっていた。


「アプリで稼いでる」


奥さんはそう返してきた。

たまに家に居る深夜帯で多数の男と話してる声は聞こえていたらしく、その中でたまにイメージプレイのようなものをしてるようにも聞こえたそうだ。

しかし、それだけならまだ良かったのかもしれない。

想司が気づいた時にはもう遅かった。


「智理……」


「どうしたの想司?」


「やられてた……」


そこで見たのは銀行の通帳だった。

想司の稼ぎは高くない、切り崩して子供の為に貯めていた貯金が気づけば空になっていた。

下ろされた時間は全て深夜帯で、手数料が取られることが嫌な想司は断固としてするはずがない。

急に増えた数々のブランド品などのお金は想司の口座から出てたものだったと確信する。

そして、想司ももう我慢の限界が来た。



「ふざけんなよ!! 子供の為に貯めてた金で何やってんだよ!!」



さすがの想司も怒鳴り声をあげた。

しかし、奥さんからの返答に驚いた。


「はぁ? 私じゃないから」


どう足掻いても、その答えには無理があった。


「お前以外に誰がいるんだよ! ふざけんな!」


「だから! 私じゃないって言ってるでしょ!? もう話しかけないで!」



会話が成立さえせず、本当に人間と話しているのかと疑う程に想司は呆気に取られた。

すぐにキャッシュカード、クレジットカード、現金を簡易金庫へと入れ、鍵は首に常に下げるようになった。

しかし、無くなったお金は戻らない。

クレジットカードでキャッシュし、お金を借り、なんとかやりくりをする毎日が始まった。

そんな日々を繰り返し、想司はそれでも頑張って息子と向き合う日々が1年続き、想司は毎晩の息子の寝かしつけ時に、その小さな手を、今にも壊れてしまいそうな手を握り締め思う。


「この子だけは……俺が守らないと……」


決意とは裏腹に悲しさと辛さが込み上げ、枕を濡らした。


想司にも奥さんとの交際期間は好きという感情は確かにあった。

当時は愛さえ感じていた。

だから、信じてた。

信じていたかった。

いや、想司は信じてないと壊れてしまいそうだったのかもしれない。



しかし、太宰治の作品、「人間失格」にこんな言葉を思い出す。


「信頼は罪なりや?」


しかし、想司の絶望はまだ始まったばかりだった。

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