第15話

   ミ☆


「隊長。爆破の準備、整いました」

「……ああ」

 部下の言葉に返事をし、タケナカは額に穴の空いた甥っ子の頭を撫でました。臆病で、泣き虫で、けれどほんとは勇敢な、たった一人の私の甥っ子。自分を慕い、憧れの視線を投げかけ、帰ると言えば悲しんで、会うと言えばぴょんぴょこ飛び跳ね喜んでくれた男の子。かわいいかわいい、私のミッチ。だれが好き好んで、撃つことなどできましょう。それでも撃たねばなりませんでした。妨害しようというのなら、感染疑いがあるのなら、誰であろうと区別なく、適切に処理しなければなりません。そこに私心は、挟みません。

 もはや二度と目を覚ますことのない甥っ子に向かい、タケナカはつぶやきます。判ってくれとは言わないよ。けれどお前が友だちを守ろうとしたように、おじさんも人類を守りたいんだ。だから――おじさんは最後まで、ミッチの尊敬してくれたおじさんで居続けるよ。

「隊長、そろそろ」

「……わかっている」

 促され、タケナカは爆薬の起爆を指示します。目標は当然、“ミマミマ”。宇宙から飛来した、厄災の星。これ一つを駆除するために、少なくない犠牲を支払わされました。五十島はもう、人の住む島としては機能しないでしょう。大勢の建物が、そして人が、自分たちの放った火炎によって焼却されていきました。それは間違いなく痛ましい、虐殺と呼んで差し支えのない唾棄すべき行いです。それでも、まだこれで済んでよかった。以前の規模を考えれば、十分に被害を抑えられたと言うことができました。現場が絶海の孤島であったことも、運がよかったといえました。

 そう、運が良かった。そう思わなければ、とてもでないがやりきれないと、タケナカは思いました。けれど同時に、こうも考えてしまいます。もしも、もしもミッチがこの生き物を、見つけたその時に教えてくれていたならば。そうでなくともせめて、せめて異常に気づいたその時にでも教えてくれていたならば。そうすれば結果はもっと、違っていたかも知れない――。

 ……いや、よそう。もしもをいくら考えようと、喪われたものはもどってこない。人は、生命は、悲しいほどに不可逆なものなのだから。今はただ、これを食い止められたという事実だけを受け止めよう。そうだ、これを破壊することで悪夢にも一先ずの終止符を打つことができるのだ。だから――見届けよう。

 そして、設置された爆薬がミマミマの卵を吹き飛ばしました。それはこの地球上から、跡形もなく消え去ります。……終わった。ガスマスクの内側で、深く息を吐き出します。部下の間にも、弛緩した空気が漂いました。彼らにとっても、気の進む任務ではなかったでしょう。存分に労ってやらねばならない。この島から離れたら、たっぷりと――。

「待ってください……これは、そんな!」

 部下の一人が、何かに驚いていました。どうした。周りが声をかけます。驚いた様子の部下は、“ミマミマ”のあった場所をしきりに指差し、叫びました。

「こいつ、中になにも――」

 とつぜん、地面が大きく揺れました。立っていることすら困難な、大きな地震。なんだいったい、こんな時に。姿勢を低くして、タケナカは地震が治まるのを待ちます。しかし地震は治まることなく、どころか一層激しさを増し、そして――“それ”が、飛び出しました。

「隊長!!」

 何かが――巨大すぎて全貌を把握できない何かが、地面を突き破って飛び出しました。大地が裂け、何人かの部下が呑み込まれ落下します。ミッチの遺体が落下します。タケナカは思わず手を伸ばし、けれどその手は届きませんでした。ミッチの遺体は暗い暗い、見通すことも適わぬ地の底へと真っ逆さまに落ちていってしまいました。

 なにが、いったい何が起こっているんだ。とにかく被害を抑えるため、タケナカは部下に呼びかけようと辺りを見回し――そこで、見てしまいました。島中を埋め尽くすように暴れまわる、無数の触手の塊を。

 バカな……まさか、すでにここまで。

「……隊長」

 部下の一人が、静かに呼びかけてきました。タケナカが振り向きます。その部下は破れたマスクを自ら外し、隠されたその表を晒します。部下の顔からは、大小様々な触手が伸びかけていました。

「隊長。自分はこれまでのようです」

 懐から取り出した拳銃を口に咥え、引き金を引きます。部下は倒れ、触手の成長も止まります。その間も地面からは極大のそれ――“ミマミマ”の触手が地を割りその数を更に増やし、呑まれ、跳ねられ、突き飛ばされ、次々と部下が犠牲になっていきます。行き場を失った部下が、タケナカの側に寄って叫びます。隊長、隊長、隊長。

 決断の時が、迫っていました。この“ミマミマ”は、もはや通常兵器で太刀打ちできる相手ではありません。そしてこのまま放置すれば、その被害規模はどこまで膨れ上がることか。いまここで、決定的な手を打たねばなりませんでした。決定的な手を、タケナカはその手に有していました。しかし、それを行うということは――。

 部下の一人が、背中をぶつけてきました。

「隊長、覚悟はできてます」

 別の部下が、銃で触手を牽制します。

「人類の礎になれるんです。本望ですよ」

 生き残った部下が、触手の群れと戦っています。誰一人、唯の一人も逃げ出さず。自らを犠牲とすることも厭わずに。彼らはまだ、諦めてはいませんでした。人類の、その存続を。

 そうです、タケナカは既に、決意していたのです。ミッチを殺したこの手で、何が何でも人類を守ると。そう決意していたはずです。その為ならば、何を犠牲にしても構わないと。

「……核の発射を要請する」

 部下のすべてが、了解の意を示しました。タケナカは携帯型送信デバイスを取り出し、キーの解除に取り掛かります。網膜認証――OK。音声認証――OK。指紋認証――OK。残すはパスコードの入力。一六桁の、不作為に決定されたランダムな文字列。当然頭に入っています。躊躇うことなくタケナカは次々、該当する文字や数字を入力していきました。三桁目、四桁目、五桁目――八桁目、九桁目、一〇桁目。

 完了は目前――という、その時です。

 タケナカの右肩から先が、吹き飛びました。

「そうだ、そうだよ、簡単なことだったんだ!」

 “ミマミマ”の仕業ではありませんでした。明らかにそれは、銃撃による負傷。この場にいる何者かが、タケナカを撃ったのです。そしてその銃撃は更に、タケナカの胸部と腹部とを貫通しました。

「味方が欲しいなら、味方になればよかったんだ。簡単なことだ、簡単なことじゃないか! ねえ、そうだよね、そうだと言って、ねえ――」

 犯人は、すぐに見つかりました。黒く乾いた血痕を衣服に付着させ、涙とよだれとを垂れ流しにしてわらう男。見覚えのある、その顔。工場事故の一件を境に、五十島民に狂人の烙印を押された二人のうちの一人――。

「コノォォォ!!」

 浅間――コノの、おとうさん。

 男は、叫び声を上げると同時に事切れました。タケナカの部下が撃ち返し、急所に当たって即死したのです。彼がなぜこのような愚行に出たのか、本当に狂ってしまっていたのか――その答えを暴く機会は、永遠に失われました。しかしそれを嘆いている余裕など、いまのタケナカにあるはずもなく。

 経験的に、理解できました。自分の生命はもはや、もって一〇分程度だと。そのこと自体に、惜しい気持ちはありません。いずれにせよ、ここで果てるつもりだったのですから。ですがその前に、死ぬ前に、成すべきことを成さねばなりません。入力途中のパスコード。その入力を完遂し、人類の英知をこの島へと叩き込まなければなりません。

「隊長!」

 吹き飛んだ腕に握られたデバイスを、部下が運んできてくれました。幸いなことに、デバイスは無傷のままです。これならば、何の問題もありません。残り、六桁。かすむ視界に朦朧としつつ、タケナカは残った左手で入力を続けます。途中、右腕とデバイスを固定してくれていた部下が触手にやられました。タケナカは這いずり、右腕をくわえ、引き寄せます。そして、そして――入力を終え、押しました。要請の完了を告げる、送信のボタンを。

 もはやもう、タケナカにできることはありません。後はただ、待つしかありませんでした。気づけば周りには生者はおらず、辺りには部下やタケナカを撃った男の死骸が転がっています。痛ましい光景でした。けれどタケナカに、後悔はありませんでした。勇敢に戦い散った部下のみなを、何よりの誇りに思いました。誇りを胸に、その場に転がりました。

 仰向けの身体が、勝手に動きました。内側から何かが暴れているのがわかります。それは出口を探し求め、そしてついに、その場所を見つけ出しました。欠損した右肩の断面から、淡い光を発する触手が飛び出しました。感染です。傷口から感染ったのか――そうではないと、タケナカは気づきます。

 周囲の死体が立ち上がっていました。そのどれもが、タケナカのそれと同じ触手を生やしています。そしてその中には、完全防備のままに操られている者も数名見当たりました。

 そうか。もはや、マスクも用を為さないということか――。

 タケナカはマスクを剥ぎ取ります。そして解き放たれたその空間で、生の空気を吸い込みます。不思議なことにそれは、普段の五十島のそれより清らかで、澄み渡っているように感じられました。もしかしたらそれは彼の――“ミマミマ”の存在によるのかもしれない。タケナカはそのように思います。

 人類の存続を脅かす、宇宙より訪れた悪魔。ですがタケナカは、それ自体を憎んでいるわけではありませんでした。神秘的で、数多の謎に満ちた生命体。もしも共存が可能であるならば、これほど知的好奇心を刺激される存在など他にはありません。

 もう間もなく、核はこの五十島を消し去ることでしょう。それは即ち、“ミマミマ”の消滅も意味します。それを惜しいと思う気持ちがどこかに、そして確かにタケナカにはありました。もし彼らと友好的な関係を築けるならば、それはどんなに素晴らしいことか。けれど、どうしようもないのです。ミッチにも言った通り、人類にはまだ、その準備が整っていないのだから――。

 大地が一際大きくゆれました。まるで“ミマミマ”が、自身の最後を予見したかのように。すまない。だが、諦めてくれ。届くことは期待せずに、タケナカはつぶやきました。大地がまた、大きくゆれました。そのゆれは留まることを知らず、更に大きく、更に大きく、更に大きくなっていきます。

 それはもはや、いままでの事態を超える異常事態でした。何かが起こる。もはや身じろぎもできなくなったタケナカにも、直感的に感じ取れました。だが、いったい何を。タケナカが困惑する間も振動は巨大化し、山を揺らし、島を揺らし、そして、そして――。

「……ああ」


 “それ”が、空へと、舞い上がりました。


 かすれた視界のうちにもタケナカはそれを捉えました。はっきりとそれを、捉えました。そして思ったのです。それを見上げてタケナカは、そう、思ったのです。

 美しい――――。

 それが、タケナカの最後の感情でした。“それ”が飛び立った直後、“それ”と交錯するように飛来してきたミサイルが、目標を逸した五十島を直撃したことによって――。

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