第9話
ミ☆
「コノ」
あの後。マツミの流した血をきれいにして、念の為にと裏山を降りて、二人と別れたそのすぐ後。裏山にほど近いその場所で、コノは誰かに呼びかけられました。振り向くと、そこにいたのはイワ。先程マツミを叩いて怪我をさせたイワ、その人でした。
「一人か?」
コノはうなづきます。
「……あいつ、どうだった」
イワが話しかけてきます。でも、コノにはなんのことかわかりません。
「わかるだろ。さっきの……あいつのことだよ」
イワが続けます。でも、やっぱりコノにはわかりません。
「……マツミのことだよ。怪我、どうだ」
ようやくわかりました。だいじょうぶ、ぜんぜんなんともなかったよ。コノはそう答えます。
「ふぅん。ま、あんなやつどうなろうと知ったこっちゃないけど」
そう言いながらイワは、どこか安堵したようでした。イワもやっぱり、気にしていたのでしょう。コノの知っているイワは、そういう人でした。大勢の仲間に囲まれる前のイワは。そこで、コノは気づきます。おかしいな。周りをきょろきょろ見回し、それからコノは、イワがしたのと同じように尋ねました。イワくん、一人?
「ああ。あいつらもう、ついてけないんだと」
友だちなのに?
「あんなやつら、友だちなものかよ」
友だちじゃないのに、一緒にいたの?
「……なあコノ、時間、あるか?」
コノはまたまた、うなづきます。
「ちょっと付き合えよ」
防波堤のその上座り、海に向かって二人は揃ってアイスを舐めます。肌を焼く日差しは痛いくらいにじりじりしますが、潮風のおかげでそんなに暑くはありません。だけどアイスはそうはいかず、見る間に形を崩していきます。ありがとう。コノはもう一度いいました。別にとイワが返します。それより早く食べちゃえよと。大量の汗を吹き出し溶けていくアイスを、コノは慌てて舐めていきます。
イワに付いていった先には、島で唯一の駄菓子屋がありました。そこへ付いた途端、イワはアイスコーナーの前で「何がいい」とコノに問いかけてきました。コノは答えられませんでした。だってコノにはお小遣いがなく、アイスを買うお金がなかったのです。でもイワは、続けてこう言ったのです。「いいよ、買ってやる」。ほんとに? 驚いて、そう問い返したコノにイワは、そっぽを向いて言いました。「うそつかないよ、お前には」。
「実際さ、たまったもんじゃないよな」
食べ終え残ったアイスの棒を、イワが海へと放ります。
「親のせいで、人生左右されるなんてよ」
コノも真似して、放りました。わるいことだとは、わかっています。マツミならきっと「間違ってる!」と怒るでしょう。でもコノはどうしても、イワと同じことがしたくてたまりませんでした。だって、二人でいたずらわるさをするなんて、まるで昔にもどったみたいで。イワとこうして二人並んで、仲の良かった頃にもどれたみたいで、それがうれしくて。
「金があればな」
給食のメニューで何が好きとか、三年になってからの担任より一・二年の頃のほうがよかったとか、本当に、本当にたわいのない話題で、二人は一時間も二時間も話し合っていました。楽しい時間でした。ミッチとも、マツミとも違う。ミマミマとも違う。イワとだから感じる楽しさを、確かにコノは感じていました。
コノは思いました。イワちゃんがこんなふうに、昔みたいでいてくれるなら。それならできればイワちゃんも、コノたちと一緒に、ミマミマを――。浮かびかけた思考。その考えを打ち消すような冷たい声で、イワがとうとつにつぶやきました。「金があればな」。
「金さえあれば、どこへだって行けるのに。こんなクソみたいな島捨てて、外で勝手に生きてやるのに」
イワは海の向こうを、水平線のその更に向こう側を、まっすぐに見つめます。見えないはずの何かを、確かに見据えるようにして。
「一〇〇万円が、あればな――」
一〇〇万円。タケナカおじさんが約束した、流れ星の懸賞金。イワがそれを得るために躍起になっていることは、おそらく島の誰もが知っています。けれど、どうしてイワが一〇〇万円を欲しがっているのか、それを知っている人はきっとぜんぜんいないんじゃないかと、コノは思いました。
一〇〇万円を手にしたら、イワは島の外の、コノの知らない場所へ行ってしまうのかしら。島を出たらもう、二度と帰ってこないのかしら。考えていると、コノは悲しくなってきました。クソだなんて思うくらい、イワは五十島が嫌いなのかな。コノがいても、いやなのかな。出ていったらもう、コノとも会ってはくれないのかな。
隣に座る男の子の、髪を結んだ空色りぼんを見つめます。
「なあコノ。お前、うそつくとき下唇噛むくせがあるの、知ってた?」
イワの言葉に我に返って、コノは首を横に振りました。そんなくせがあるなんて、いままでぜんぜん気づきもしませんでした。
「で、さ。ちょっと聞きたいんだけど」
イワがこちらに振り向きました。後ろの髪と、空色りぼんが見えなくなります。
「お前、俺に隠し事してるだろ」
答えに、詰まりました。隠し事。イワの言う通り、コノはイワに隠し事をしています。もちろんそれは、ミマミマのこと。さっき浮かびかけた考えが、再び浮上します。イワとも一緒に、ミマミマを育てたい。四人でミマミマを見ていきたい。コノにとっては、それが一番うれしい答えです。
でも、もしミマミマのことを勝手に教えたら――ミッチはいったい、どう思うでしょうか。イワについさっき殴られたマツミは、いったいどう思うでしょうか。二人がいやがるのは、間違いありませんでした。二人のことを考えたら、イワに教えることはできません。隠し事は、隠し事のままにしておかなければいけません。
その場合、どうすればいいのでしょう。隠してないよとうそをつく。そうすると下唇を噛んで、うそをついているとバレてしまいます。なら、隠しているよと言えばいいのでしょうか。それもなんだか変な話です。何を隠しているんだと問い詰められたら、コノにはどうすればいいかわかりません。どうすればいいのだろう。適当なことを言って……あれ? そうすると下唇は、噛んじゃいけないんだっけ? 噛まなきゃいけないんだっけ? あれ、あれれ? コノはすっかり混乱してしまいました。
「……ま、いいけどよ」
コノが答えるよりも先に、イワが立ち上がりました。コノは未だにしどろもどろしたままで、隣のイワを見上げます。
「俺、絶対に一〇〇万ものにするから」
コノを見下ろし、イワが言います。
「独り占めするつもりなら、コノ、お前でも許さねぇから。覚えとけ」
日差しはすでに夕の赤で、空の色を反映するそのりぼんもまた赤色に染めながら、背を向けイワが去っていきました。その背中を見送りながらもコノは、なおも悩み続けていました。どう答えればよかったのか、イワは何を望んでいたのか、考えて、考えて、わからなくて、悩んでいました。
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