第8話

   ミ☆


 おとうさん!

 コノは飛び起きました。心臓が、どっどっどっどっ、鳴っています。こわい夢。とってもとても、いやな夢。でも、それがどんな夢だったのか、コノは思い出せません。とてもとても、怖かったのに。とても、とても――。

 背中に、ふわっとした感触が当たりました。振り返ると、そこにはミマミマがいます。そうだった、コノ、ミマミマと一緒におやすみしたんだった。ミマミマはねぼすけなのか、未だに半目を開けたり閉じたりしています。なんだか昨日よりも一層窮屈そうに丸まっているミマミマを、コノはやさしく撫でてあげます。ミマミマはこしょばゆそうに身体をぶるるとふるわせると、開閉していたまぶたを完全に閉じました。口からふふっと、笑い声がこぼれます。

 その時です。頭上から、がたがた物音が聞こえてきました。ミッチとマツミでしょうか。でも、それにしてはなんだかずいぶん騒がしい気がします。がたがた、がたがた、家の中のものを、まるでひっくり返しているみたい。コノはもしかしてと、おそろしいことを想像してしまいます。もしかして、おとうさんが探しに来たんじゃ。ぼくに怒って、ここまできたんじゃ。

 どうしよう、どうしよう。コノは混乱します。だって、おとうさんがミマミマを見つけてしまったら――。生まれ変わってくれるにしても、あんな悲しい思い、もう二度としたくありません。

 お別れなんて、したくありません。

 物音がしても気にせず、ミマミマは眠っています。コノは眠ったままのミマミマに、静かに、けれどきっぱりと言いつけます。ここで待っているんだよ。絶対に出てきちゃだめだからね。

 ほとんど全身はみだしながらも毛布でミマミマを覆い隠し、コノは一階へ上がります。心臓が、どっどっどっどっ、鳴っています。一段、一段、上がるごとに、どっどっの動きも、激しくなります。それでもコノは、上ります。怒られるのは、怖い。けれど、ぼくだけが怒られるなら。ミマミマが、おとうさんに見つからないですむのなら。

 そしてコノは、一階へと到着し――。

「なんだてめー! どっから出てきた!」

 かっかと怒った顔で、野球のバットを振り回しているその人物。そこにいたのは、おとうさんではありませんでした。少年。それも、見たことのある顔です。そう、彼は確かクラスの同級生で、いつもイワと一緒にいる男の子。イワの仲間の一人です。

「おいみんな、ちょっと来いよ!」

 彼がそう叫ぶと二階や他の部屋から、同じ年頃の子どもたちがぞろぞろと集まってきました。彼らは手に手にバットや角材など危なそうなものを持ち歩いて、ずいぶんと乱暴な雰囲気です。

「俺らさ、一〇〇万円探してんの。なんか知ってる? 隠すと為にならないよ?」

 そういえばと、コノは思い出します。マツミやみんなが言っていました。イワたちが流れ星を探して、島中を荒らし回っているって。大人も迷惑するくらい、好き勝手乱暴なことをしているって。

 コノは不安になりました。ここには流れ星なんてありません。でも、もしも彼らがミマミマを見つけたら――。やさしく扱ってくれるとは、とてもでないけど思えませんでした。

「なあてっちゃん、そこ、階段がある」

「ほんとだ。なに、地下あんの?」

 男の子たちが、コノの背後の階段に気づきました。気づいて男の子たちは、コノを押しのけるようにして奥へと入ろうとします。でも、その先にいるのはミマミマです。コノは……両手を広げ、道を塞ぎました。

「は? なに、邪魔すんの?」

 怒った気配。萎縮しそうになりますが気を張って、両手をぐっと伸ばします。

「怪しいよ。絶対なんか隠してる」

「一〇〇万円かな」

「一〇〇万円だよ絶対!」

 男の子たちが騒ぎ立てます。一〇〇万円、一〇〇万円、声を合わせて連呼します。先頭に立った男の子が、バットをちらつかせてすごみました。「どかないと酷いぞ」と、彼は言います。コノは、動きませんでした。

「そうかよ、そんならなあ……こうだぞ!」

 バットが掲げられ、振り下ろされました。思わず目をつむります。けれど殴られた感触は訪れず、その代わりに、男の子たちのコノをバカにするわらい声がログハウス中に響き渡りました。目を開くと、バットはコノの直前で寸止めされていました。

「知恵遅れはな、けんじょーしゃの言うこと黙って聞いてりゃいいんだよ!」

 どけよと、先頭の男の子が足や胴を叩いてきました。勢いなくぶつけられたそれらは大して痛くありませんが、固く重いその感触は、本気で叩かれた時のことを想像させるに充分な冷たさを持っていました。

 ミマミマ。大の字の姿勢のまま、コノは背後を振り向きました。それが合図となって男の子たちが、いっせいにわっとなだれ込んできました。とてもではないけれど、コノ一人で抑えることはできません。コノは流されそうになりながら、心の中で呼びかけます。

 ミマミマ、ミマミマ、ミマミマ――。

「待ちなさい!!」

 きんと高いその一声。こんなに威勢の良い声を出せるのは、五十島でも一人しかいません。そこにいたのは、もちろんマツミ。コノの友だちの、一人でした。

「なんだよブス、でしゃばんじゃねーよ――」

「あんたたち、そこから一歩でも踏み入ればすぐにも訴えるから!」

 訴える。その一言に、男の子たちがざわめきます。

「な、なんだよ。おまえ関係ねーじゃん。なんのケンリがあって訴えるとかぬかしてんだよ」

「権利ならあるわよ、だってここはあたしのおとうさまの所有物なんだから!」

 ざわめき声が、大きくなります。

「あんたたちは住居不法侵入の、立派な犯罪者なの。あたしが訴えたら、少なくとも二〇年間は牢屋暮らしよ。学校にも行けないし、おとうさんともおかあさんとも会えなくなる。あんたたち、その覚悟はあって!?」

 いまやもう男の子たちは、コノなんか放ってひそひそ相談を始めます。「ハッタリだよ、こんなんで捕まるわけないって」「そうだよそうだよ、でまかせいってんだよ」「でもマツミの親父、裁判の人だし……」「じゃ、ほんとに?」「ほんとに捕まっちゃう?」「やだよ俺、捕まりたくないよ」「俺だってやだよ」。明らかに動揺を見せ出した男の子たちに向けて声高らかに、マツミが最後通告を突きつけます。

「さあどうするの。いますぐ出ていっていつもの夏休みにもどるか、愚かにも好奇心を満たそうとしてぶざまに逮捕されるか。二つに一つよ!」

 うう。男の子たちが顔を見合わせ、たじろぎます。

「さあ、さあ! どっち!」

「いいや、どっちも選ばない」

 空色りぼんをひるがえし、男の子が一人、場の中心へと割って入って行きました。彼はうろたえる男の子たちから野球バットをひったくると、それを軽々ふるってぴしり! マツミの鼻先へと突きつけました。

「お前を黙らせるのが、手っ取り早くて一番簡単そうだ」

「イワくん!」

 そこにいたのは男の子たちの親分、イワその人でした。イワの登場に、あれだけ怯えていた男の子たちがいっせいに沸き上がります。イワの背中には、そうなってしまうだけの強さが宿っていました。

 イワちゃん。コノも自然と、つぶやいていました。その声が聞こえたのかそうではないのか、イワがちらと、コノを見ます。けれどその視線はすぐに目の前のマツミへともどり、ぎりぎり歯を噛み締めて自分をにらむマツミへと彼は、落ち着いた声で話しかけました。

「マツミ。お前の言う通り、このまま帰ってやってもいい」

 イワの言葉は、その場にいる誰の予想にも反したものでした。目の前のマツミも面を食らった顔をしていましたし、味方であるはずの男の子たちも、不満の声を上げます。ただしその不満の声は、イワのひとにらみで沈黙させられてしまいましたが。

「ただし、ひとつ条件がある」

「……なによ」

「お前、うそついたよな」

「な、なんのことよ」

「住居不法侵入で二〇年の懲役なんて、あるわけねえだろ」

「あ、あるわよ!」

 いいとこ三年ってとこで、それだって大人の話だと付け加えるイワに、マツミが反論します。けれどその声はふるえていて、コノから見ても信頼に欠けた態度に思えました。明らかに、マツミの方が圧されていました。

「『あたしはうそをつきました。でまかせ言ってごめんなさい』。そう言って土下座するなら、帰ってやる」

 イワがバットで、マツミの肩を押しました。くちびる噛み締めうつむいたマツミが、わずかによろけます。イワが更に、マツミを押しました。

「間違ってたって認めろよ、“おじょうさま”」

「あたしは!」

 真一文字に結ばれた口が、大きく裂けました。

「あたしは間違ってない! ほんとのこと言った、正しいこと言ったの!」

「何の苦労も知らない金持ちのおじょうさまのくせに、何が正しいだよ」

「あたしは正しいこと知ってるもん! あたしの知ってる正しいこと、あんたが知らないだけだもん! あんたが、あんたが――」

 マツミが、一際大きな声で、叫びました。

「あんたのおとうさんが、正しいことも教えてくれない人だから!」

 ごつん――鈍い音が、部屋の中に響き渡りました。マツミが、床に倒れました。イワのバットには、血が付着しています。どよめき。なに、なに、と、男の子たちが繰り返します。その中で、マツミがふらふらと立ち上がりました。頭を押さえ、たらたらと血を流しながら、立ち上がりました。

 イワが、更に振りかぶりました。

 やりすぎだよ。誰かが言いました。もういいよ、帰ろうよ。他の誰かが言いました。イワは振りかぶったまま動きません。マツミも、たらたら、たらたら頭から血を流して、それでも退きません。そして、言います。「あたしは間違ってない」。イワのバットが、更に高く振りかざされました。

「イワくんもやっぱり、気狂いなんだ――」

 誰かが言った、その言葉。その言葉が、スイッチでした。振りかざされたバットが、からから床に転がります。ゆっくりと、空色りぼんで結んだ後ろ髪を回すように、イワが振り返ります。そして、男の子たちの間に入ったイワは「お前だな」と言って、一人の男の子を殴り飛ばしました。悲鳴を上げて鼻を押さえるその男の子を、けれどイワは逃しません。ごろごろ転がるその身体めがけ、重く足を踏み降ろします。えふっと、男の子が息を吐きました。それでもイワは止まりません。何度も、何度も、踏みつけます。めったやたらに、踏みつけます。亀になって、意味不明な叫び声を上げる男の子を、手加減なしに、踏みつけます。何度も、何度も、何度も、何度も。

「死んじゃう、死んじゃうって!」

 男の子たちが、止めに入りました。それでもイワは踏みつけて、慌てて抱きついた男の子に、無表情のまま、言いました。「お前もか――?」。

 わあわあ叫んで、男の子たちが逃げだしました。踏みつけられていた男の子も、ばたばた壁にぶつかりながら、一散にイワから逃げていきました。残されたイワは自分をにらむマツミを一瞥すると放り捨てたバットを拾い、それから――何も言わず、部屋から出ていきました。

 イワちゃん。途中、コノが一度、イワに呼びかけた時。イワは一瞬だけでその場に留まりましたが、程なくして歩き始め、静かに、静かに、外へと出ていきました。

「ま、マツミ……あの、手当しないと……」

 どこに隠れていたのか、いつの間にかミッチが、マツミの側に立っていました。垂れがちな眉を更に下へと下げて、ミッチはマツミを心配します。けれどマツミは目にいっぱいの涙を溜めてぷるぷるふるえながら、それでも涙をこぼさないでミッチをにらみました。まるでミッチを批難するようなその視線に、ミッチがたじろぎます。

「だ、だってぼく……」

 それきり、ミッチは押し黙ってしまいました。いやな沈黙が、部屋の中に充満します。騒動の間中、ずっと両手を広げて仁王立ちしていたコノも、どうしていいのかわからずその場に立ち尽くしていました。

 と、その時です。背中が何かに押されました。

 ミマミマ。振り向くと、そこにはミマミマがいました。ミマミマはぐいぐいと、コノの背中を押してきます。どうやら一階に上がりたいようです。コノは仁王立ちの格好を解いて、ミマミマのしたいままにさせてあげました。

「あ、ミマミマ、いまは……」

 マツミに近づくミマミマを、ミッチがやんわり止めようとします。けれどミマミマは制止を聞かず、そのままマツミの側へと寄りました。そしてミマミマは、生まれ変わったばかりの時とは比べものにならないくらいに太く長く成長した触手を伸ばし、マツミに触れ始めたのです。まだ血が止まらない頭の、マツミが押さえたその手の上から、ミマミマは自らの触手を重ねます。

 ぽうっと、仄かな光がマツミの頭に注がれました。マツミはミマミマの行動に何も言わず、されるがままになっていましたが、突如あれっと、困惑するような、不思議に思うような、そんな顔をして、視線を上向かせます。

「……ミッチ。それに、コノも。ちょっと来て」

 言われてコノは足早に、ミッチは少しためらうように、マツミの直ぐ側へと寄りました。そして「見て」というマツミの言葉に従い、先程までマツミが押さえていた額の辺りを注視します。そこには、マツミの流した血がべっとりと付着していました。ミッチが目を背けようとします。しかしマツミはそれを許さず、ちゃんと見てと、加えて指示を出してきました。そう言われて仕方なく、コノとミッチは再びそこの、イワに殴られた場所を観察します。――それで、気が付きました。

「……ねえ、どういうこと? ぶたれたのって、ほんとにここ?」

 マツミはうなずきます。形の良い、きれいでなめらかなおでこ。そう――“傷一つ“ない、きれいなきれいな。血だけはべっとり付着して、だけどその血が出てきた、傷はなくって。

「怪我、しなかったってこと……?」

「違う。だってさっきまでは、死んじゃうくらいに痛かった」

 マツミが、見上げます。この二〇日ほどで、自分たちよりずっとずっと大きくなった、その生き物を。三人で育てた、ミマミマを。

「あなたのおかげなの……?」

 ミマミマは何も言いませんでした。何も言わず、昨日よりも更に一回り大きくなったように見えるその身体をくくーっと伸ばして、寝固まった全身をほぐしています。

「でも、そんな……そんなのありえないよ!」

 ミッチが叫びました。そんな生き物みたことない、どこの図鑑にも載ってない。そう言って。対象的にマツミは落ち着き払って、ミマミマに向かって腕を伸ばします。マツミの意図を理解したのか、ミマミマが高くに位置するその頭を手の届く場所まで下ろします。下りたその首をマツミは抱きしめ、これまで聞いたことのないくらいにやさしく、おだやかな声で、つぶやくように、言いました。

「ありえるんだから、ありえるのよ。この子は人の気持ちがわかって……痛みが、わかるのよ」

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