第7話

   ミ☆


「コノくん、今日はおとうさんとお散歩してくれるね」

 朝日を浴びて目が覚めて、いつものように裏山へ行こうとすると、おとうさんに呼び止められました。おとうさんはにこにこと、なんだかずいぶん機嫌が良さそうです。それはまるで、以前までのおとうさんみたいです。それでもコノは、散歩になんか行きたくはありませんでした。だって裏山では、ミマミマが待っているのです。

「……うん、わかった。マツミにも言っておくね」

 迎えに来ていたミッチに事情を説明し、裏山へ駆け上るその背をコノは見送ります。本当は、このまま付いていきたい。でも、誘いを断ってしまったらおとうさん、どうなってしまうかわからない。だからコノは仕方なく、おとうさんについて散歩に行くことに決めたのです。

「いやだなぁ」

 いやだなぁ、いやだなぁ。おとうさんが、つぶやきます。コノはうつむいて、歩くおとうさんの後ろについて行きました。あっちへふらふら、こっちへふらふら。おとうさんは、どこへ向かっているのでしょうか。行ったり、もどったり、曲がったり、やっぱりもどったり、その進む先には、まったく見当がつきません。

「どこへ行っても見知った顔。いやだなぁ。息が詰まってしまいそうだ。ねえ、コノくん。コノくんもそう思うよね、コノくん」

 島のあっちこっちを歩いていると、あっちこっちで島の人と出会います。島の人はおとうさんを見ると、大人なのに挨拶もしないで、距離をとって遠巻きに、伺うようにコノとおとうさんを横目でじろりとねめつけていました。その視線が、コノはとってもいやでした。いやだなぁと、おとうさんがつぶやきました。コノも心の中でつぶやきました。いやだなぁ。

「誰もいないところへ行きたいなぁ。ぼくのことなんか誰も知らない、そんなところへ行きたいなぁ」

 やがてコノとおとうさんは、島の端の岬にまで到着しました。切り立った崖の下では、強い風に煽られた海がざぶんざぶんと大きな波を描いています。コノは泳げませんでした。あんなところに落ちてしまったら、きっとひとたまりもありません。想像して、ぶるると身体をふるわせます。

「海の底ならさ、きっと誰もいないよね」

 おとうさんが、コノの手をつかみました。

「コノくん、あのね、このままさ? おとうさんと二人、遠いところへ行っちゃおうか」

 コノの手をつかんだままおとうさんがじりじりと、崖の縁へと向かって歩きます。コノは、踏ん張ろうとしました。けれどおとうさんにはまるで敵わず、おとうさんが進む毎に、コノの身体も崖の縁へとじりじり近寄っていってしまいます。放してと、コノはいいました。おとうさんは振り返りません。おとうさんと、コノは呼びました。おとうさんは振り返りません。おとうさん、おとうさん。繰り返しても、おとうさんはまるで聞こえていないみたいに、まっすぐ、まっすぐ、進んでいきます。崖の縁のその先へと、じりじり、じりじり、進んでいきます。

 みんなのことが――ミマミマのことが、瞬間的に思い浮かびました。それでコノは、唱えます。

 ほのみま、うつみま、ふつふつあしよ! ほのみま、うつみま、ふつふつあしよ!

 ――おとうさんが、止まりました。

「おとうさんが教えたおまじない、覚えててくれたんだね」

 振り返ったおとうさんはにこにこと、とてもうれしそうにわらっていました。

「そうだよね、コノくんはおとうさんの味方だもんね」

 そしておとうさんはその場にしゃがみ、視線を合わせ、がっちりと両肩をつかんできました。

「ねえコノくん。もしも、もしもだけど、おとうさんとおかあさんのどっちかしか選べないとなったら、コノくんはおとうさんを選んでくれるね。おとうさんと暮らしてくれるね。コノくんは……コノだけは、おとうさんの味方でいてくれるね」

 おとうさんはにこにことわらっていました。でも、わらっていても、わらっていませんでした。心が、まるで、わらっていませんでした。

「コノくん、いってよ。コノは、おとうさんの、味方だよって。……いえよ!」

 突き飛ばされました。突き飛ばしたコノに乗っかっておとうさんが、握りしめた拳を振り上げました。ごめんなさい。守るように頭を抱え、思わずコノは叫びます。――予想した衝撃は、いつまで経ってもやっては来ませんでした。コノが薄く目を開けると目の前では、おとうさんは泣きそうな顔をしながら首を横に振っていました。

「ああ違うんだ、違うんだコノくん。おとうさんは怒ってなんかいないんだ、おかしくなんかないんだよ……」

 ぼくはおかしくない、おかしくない。病院なんて、必要ない――。両手で顔を覆い、おとうさんがしくしく泣き出します。泣き出したおとうさんを前に、物音を立てないように、気付かれないようにしながら、コノはおとうさんから離れました。離れて、離れて、それで、おとうさんの姿が見えなくなるのと同時に、走り出しました。


 家ではおかあさんが外からでも聞こえるくらいの叫び声を上げて、家の中のものを壊しまわっていました。このまま家の中へ入ったら、割られた食器と同じ目に遭うかも知れません。ぶたれて、蹴られて、怒られて、それは、楽しい想像ではありませんでした。だからコノは家には帰らず、そのまま島を横断しました。横断したらば裏山へ――みんなのところへ、急ぎました。


 ミッチ、マツミ。返事はありません。ログハウスの中は真っ暗で、二人はもう、帰ってしまった後のようでした。ミマミマ、ミマミマ。ミマミマはいるはずです。ミマミマのおうちはここで、どこにも帰りはしないのですから。でも、ミマミマはどこにいるのでしょう。考えてみると、コノたちが帰った後ミマミマは、いつもどうしているのでしょう。一人ぼっちで、さみしさにふるえているのでしょうか。考えると、なんだか自分がとんでもない仕打ちを課してしまっていたような気がしてきます。

 ミマミマ、ミマミマ。コノは呼び続けます。一階を探して、二階に上がって、けれどミマミマの姿は見当たりません。残す所は地下のみですが、でも、地下にあるのは家のお風呂と同じくらいの狭い空間だけで、あんなところではミマミマなんかぎゅうぎゅうで、とっても窮屈なように思えます。それでも他に見当たらない以上、思いつくのはそこしかありませんでした。

 果たしてミマミマは、地下にいました。案の定その大きな体を窮屈そうに丸めて、地下の空間にすっぽり収まっていました。その腹には、ミマミマがまだ小さかった頃にコノがあげた、あの使い古しの毛布が抱きしめられています。

 ミマミマ。コノが、呼びかけました。ミマミマはいつもより小さくお目々を開き、狭いその空間の中でわずかに頭を上げました。ホマ。ミマミマが、一声鳴きます。なんだかそれがたまらなくて、コノはそのままミマミマに抱きつきました。頭を押し付け、コノは言います。

 どうしておとうさんは、怒るんだろう。どうしておかあさんは、怒るんだろう。おとうさんだけじゃない、おかあさんだけじゃない。同級生も、先生も、島の人も、どうしてみんな、あんなに怒ってしまうのだろう。怒る人は、とってもこわい。胸がぎゅうっと、苦しくなる。島の外も、そうなのかな。世界中、どこでもみんな、そうなのかな。みんなみんな、怒って怒って、怒ってしまう、生き物なのかな。そんなの、やだな、そんなの、こわいな。コノは、静かに言いました。

 みんながやさしく、なればいいのに。やさしい世界に、なればいいのに。

 ミマミマが、身体の至るところから自前の触手を、薄く発光したそれらを伸ばしました。仄かに輝く、その光。いつかどこかで、見たような。コノはそれに、触ります。ふよふよとした、不思議な感触。その感触が、コノの全身を包んでいきます。ミマミマの触手が、コノの身体を包んでいきます。

 まっしろまくらに、包まれてる。コノは瞬時に、そう思いました。

 ミマミマは、まっしろまくら、そのものでした。

 これでもう、安心でした。こわいのなんて、ありません。やさしい幸せしか、ありません。コノはうふふとわらいます。わらってコノは、つぶやきます。ミマミマ、ミマミマ、大好きだよ。ずっとずっと、大好きだよ――。


 おやすみ、今夜。幸せに、また明日。

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