第5話

   ミ☆


 家に帰ると、おとうさんとおかあさんが怒鳴り合っていました。きみがわかってくれないからわるいんだ。あんたなんかに付いてくるんじゃなかった。二人の声が、テーブルが叩かれたり、食器が割れたりする音に混じって聞こえてきます。コノは慌てて耳を塞ぎ、そうっと忍び足で自分の部屋へともどりました。そうして部屋の中の自分箱から残り少ない乾パンを取り出すと、むしゃむしゃそれを急いで食べて、そのままお布団に入ります。

 お気に入りの、まっしろまくら。それを上から頭に被せ、ぐいっと折り曲げ耳まで塞ぎ、そうしてそれを、唱えます。ほのみま、うつみま、ふつふつあしよ。ほのみま、うつみま、ふつふつあしよ。こわいのなんて、なんにもない。やなことなんて、どこにもない。これは特別な、おまじない。ほのみま、うつみま、ふつふつあしよ。ほのみま、うつみま、ふつふつあしよ。明日になれば、いいことだらけさ。

「コノくん」

 部屋の扉の開く音が、聞こえてきました。どっどっどっと、心臓がうるさく鳴ります。コノはぎゅうっと、まっしろまくらに隠れました。ほのみま、うつみま、ふつふつあしよ。ほのみま、うつみま、ふつふつあしよ

「ねえコノくん。コノくんはおとうさんの味方だよね?」

 布団の上から、身体をゆすられます。どっどっどっ。どっどっどっ。

「寝た振りなんてしてないでよ。わかってるんだよ。起きてるんだよね。おとうさん、コノくんのことなら全部わかるんだ。だっておとうさん、コノくんのおとうさんなんだから。おとうさんは、コノくんのたった一人のおとうさんなんだから」

 何度も何度も、おまじないを唱えます。おとうさんはおとうさんじゃないけれど、夜のおとうさんはとりわけおとうさんじゃありません。声を上げたらミマミマみたいに、死んだミマミマみたいにされてしまうかもしれません。だからコノは、隠れます。まっしろまくらに、隠れます。

「……そっか、コノくん。愛しているよ」

 すぐ側で、爆弾みたいなとんでもない音が聞こえました。コノはびっくりして、意識に反して身体がびくんと跳ねてしまいました。気付かれちゃった? 気付かれちゃったかも。ばくっ、ばく、ばくっと、心臓が痛いくらいに飛び回ります。けれど、おとうさんは何も言ってきませんでした。何を思っているのか、そこにいるのかすら、コノにはわかりませんでした。だからコノは、ただただおまじないを唱えます。ほのみま、うつみま、ふつふつあしよ。ほのみま、うつみま、ふつふつあしよ。早く明日になればいいのに。

 

 いつの間にか、眠っていました。朝の日差しが、コノの部屋を明るく照らします。それでコノは、気が付きました。部屋の壁が、こぶし大に陥没しているのに。

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