【短編版】二度の悲劇に遭った私はどうすれば良いの?

青冬夏

二度の悲劇に遭った私はどうすれば良かったの?

一七九〇年のある日のこと。


ユリアーヌ=オランド帝国に大きくそびえ立つ、ロココ様式で造られた教会である催し物が行われていた。

周囲に建物が並んでおり、都会の様相を人集りをつくる人々の網膜に映し出されるはずだったが、この日に限っては皆の網膜には荘厳な教会の様相しか映っていなかった。


その教会では──、そう。次期国王であるルリ=シャルル王子と、オランド王国の王女、マリリ=アランドの結婚式が営まれていた。


豪華絢爛で輝く教会で営まれる中、パイプオルガンを背中に、そして二つの王室の二人を前に白髭を色濃く生やし、白い三角帽子をかぶった牧師の男性が立つ。首から十字架がぶら下がっていた。


「……ルリ=シャルル王子、あなたは妻のことを愛しますか?」


そう問われると、シュッとした鼻筋にキリッとした目つきで、端麗な顔つきをしたルリ=シャルル王子が頷く。その時に白く長い髪が少しだけ揺らした。


「分かりました」そう言い、牧師は隣の女性に顔を向ける。その女性は、丸顔で子どもっぽい顔つきをしており、身体を見渡せばボン、キュッ、ボンという整ったスタイルが目に付いた。


「……マリリ=アランド王女。あなたは夫のことを愛しますか?」


牧師に言われ、マリリ=アランドは少しだけ大きな目をハッとさせる。

──どうして、私はこの人と婚約することになったのだろう。


彼女は今から数週間前のことを思い返した。



「えぇ……!? けけけけけ、結婚!?」


マリリ=アランドは大きな声で驚く。

数週間前のオランド王国。王城は山々に囲まれ、まるでファンタジーのような様相を醸し出していた。


「な、なぜ私のような、ひひひ人に結婚を……」

彼女はその日の昼、父親つまり王に玉座の間に来るように言われていた。“何の用だろう”、“滅多に私に頼み事をしてこないのに、どうしたんだろう”と思いながら、彼女は言われるがままに父の待つ玉座の間を訪れたところ、突然隣国のユリアーヌ国の王子と婚約をしてくれ、と言われたのだった。


「嫌なのか?」と父。灰色の髪がバーコード状の髪型になっていることから、年の様相を窺えた。

「い、いいえ……」


肩をすくめてアランドは答えると、「なら良いな」と父は言う。椅子から立ち上がり、跪いているアランドに近づく。


「……あそこの王子様、なかなかのイケイケらしいぞ」

「何ですって!?」


ヒソヒソと話した父は、突然大声を出したアランドに対し、顔をしかめる。その反応を見たアランドは「あ、ごめんなさい……」と頭を下げた。


「でもなんですが」

「なんだ?」

「この婚約って、政略結婚……、なのですか?」


恐る恐るアランドは聞く。オランド王国の隣の隣では、市民による革命が起き、絶対王政が崩壊しかけていた。そのためだろうか、その波及が我が国にも来るのでは? と窺っていた王室の人々が何人かアランドないしは父の耳に届いていた。


少し間が空いたとき、父は「……ああ」と頷く。

「でも、なぜ」

「この国を守るためだ」


そう言い残すと、父は玉座の間から立ち去った。大きな扉の軋む音がアランドの鼓膜を響かせた。



「……アランド王女?」


牧師の言葉に現実に呼び戻され、アランドは目をハッとさせる。目線を目の前の牧師にジッと向けた後、今の状況を思い出す。


(あ、そうだ……。私今、婚約式の最中だったんだ……)


アランドは心の内でそう呟く。そして、彼女は牧師に投げかけられた質問に対し「はい」と大きく首を上下に振った。


「分かりました」

そう言い、牧師は二人を交互に一瞥した後、息を吐いてまた口を開いた。



婚約式が終わると、ルリ=シャルル王子とマリリ=アランド王女はこれまた大きくそびえ立ち、まるで革命が起きている某国の宮殿のような装いを持つ、宮殿の中にいた。

豪華絢爛でかつ、大きなシャンデリアが天井から吊されているのをアランド王女が細い首で見上げていると、シャルル王子が話しかけた。


「なぁ」

「ん?」

「僕たちの国って、本当に一緒になって良かったのか?」


「どういうこと?」と言ってアランド王女は大きな目をスッと細めた。

シャルル王子の言うとおり、ユリアーヌ国とオランド王国はこの二人の結婚と同時に、数時間経てば二つの国が一つの国になる予定だった。


「分からないよ。ただ、私たちは親の言いなりに……」

「言いなりになっても良かったのか?」


言葉を被せるようにシャルル王子が言うと、アランド王女は戸惑う。


(親の言うとおりにここまでやってきたから、正直このことに疑念ばかりが思い浮かぶばかり。自分がもし父の立場だったら……)


そう思考の海に耽っていると、突然背後から誰かに殴られるかのような感触を覚える。パッと振り返ると、そこにはシャルル王子がアランド王女の頭目掛けて鈍器のようなものを振りかざそうとしていた。


「ごめん‼」

そう言い、シャルル王子はアランド王女の頭目掛けて鈍器を振りかざす。だが、間一髪で彼女は彼の攻撃を避ける。「何するのよ‼」


「……君の国には悪いけど、僕の国が長きにわたって栄える為に、君にはここで犠牲になって貰わないといけないんだ。だから、ごめん」


シャルル王子のキリッとした目から一筋の涙が零れると、彼はアランド王女に近づいて両腕を片腕だけで拘束する。男の力は女性の力より強いが為に、アランド王女は「ぐぬぬ……」としか喘ぐことしか出来なかった。


鈍器をアランド王女の頭目掛けて再び振りかざす。














──その時だった。



















「う、うぅ……」


シャルル王子は脇腹を押さえ、数歩後ずさりをしてアランド王女から離れる。彼女が持っていたのは、短刀だった。


「……こっちこそ、ごめん」

アランド王女はシャルル王子の脇腹を一瞥しながら呟く。彼の脇腹からは血が滲み出ていた。


「な、なんで……」

「最初……、婚約式の数日前までは気づかなかったんだ。君が私を襲った後、ユリアーヌ国がオランド王国を併合しようとすること。……でも、婚約式の前日、私は君と家来とコソコソと話しているところを見てしまった」


でも、という台詞から口調を暗くしてアランド王女は真っ直ぐシャルル王子の方を向く。「うぅ」と彼は脇腹を押さえながら喘いでいた。


数歩移動しながら、アランド王女は話を続けた。

「数週間前に私の父から政略結婚の話を聞いた時、とっても嬉しかったんだけど……。でも、結婚する相手の国がまさかユリアーヌ国だったなんて……。私、ちょっぴり疑念を抱いてしまったの」

「疑念?」

シャルル王子がギロリと目の色を変えて、おどけるアランド王女を見る。

「あれ、君の国のことで悪い噂が周辺国で出回っているの、気づきませんでした?」

「何の事だ」

「あれれ、その台詞じゃ気づいてないよう……。じゃあ、私が説明してあげます」


コホン、と咳払いをしてアランド王女は人差し指を顔の横に立てた。

「端的に言えば、君の国──ユリアーヌ国のことで広まっていた悪い噂、それは私の国──オランド王国を併合しようとすることなのです」

「……知るか、そんなこと」

「あらら、知らないんですね」

「だから知らないって、さっきから言ってるだろ‼」


怒鳴り声を宮殿内に響き渡すシャルル王子。だが、すぐに「うぅ」と小さく悲鳴を出して脇腹を押さえた。

「まあ、その噂は極秘に進められていた計画で、王子である君には直前に教えられてみたいですからね。無理もないです」


すると、シャルル王子は血の付いた右手でアランド王女の胸ぐらを掴む。ギロリと向いた彼の目つきが、若干アランド王女の姿勢をぐらつかせた。


「……恐らく、この計画に賛同している王室の人達は今頃、私の国の警察によってお勤めになっているはずです。あとは君を……」

そう言い、腰の辺りに手を添えてまだ使用していない、隠し持っている短刀に手を伸ばす。


「さようなら」


そう言って、アランド王女は短刀を取り出し、勢いをつけてシャルル王子の胸に突き刺す。

「うっ……」と彼はアランド王女にしがみつくが、彼女によって彼は床に激しくたたき付けられた。バン、という音が宮殿の中を響き渡した。


「……ごめんね」


瞳孔が開き、床に血を流すシャルル王子を一瞥した後、アランド王女は大股でその場を去った。

──しかし、この時はまだアランドも知らなかった。


まさか、自分の身に悲劇が起ころうとするなんて──。



アランドが政略から免れた、数時間後のこと。彼女は自分の国へと戻り、王宮へ大股で入った。

「お父様!」


マリリ=アランドは玉座の間に続く大きな扉を勢いよく開ける。その時、ミシミシと扉から抗議するような音が出た。

彼女は大股で、かつシュッとした眉の間に皺を寄せながら、深々と座る王の下へ向かって行った。


「どういうつもりなんですか!!」


金切り声でアランドは言う。王は耳を塞いで顔をしかめた。


彼女が怒っている理由、それはある政略結婚のことについてだった。

今から数時間前、マリリ=アランドはユリアーヌ国の王子──ルイ=シャルル王子と結婚する予定であったものの、それはユリアーヌ国の謀略であることが分かり、マリリ=アランドは一度殺されかけたものの、何とかして自分の身は自分で守り、シャルル王子を殺害するという形でユリアーヌ国の謀略が阻止したのだった。


「まあまあ、落ち着け」

そう言い、王はフカフカそうな肘掛けにかけて姿勢をゆったりとさせる。しかし、その言葉で彼女は落ち着ける訳もなく、アランドは舌打ちを鳴らした。


「お父様は、ユリアーヌ国の謀略について知っていたのですか」

「……いいや。婚約式が行われる前日までは知らなかったよ」

「前日までは、ということは、婚約式の日は知っていたんですか?」

「ああ」

「じゃあなんで、婚約式を決行したんですか! そのせいで、私、殺されかけたんですよ!!」


金切り声で彼女は抗議すると、王はまた耳を塞いだ。

「落ち着け。何もお前を殺すようなことはしたくないんだ」

「だったら、なんで」

「お前の成長のためだよ」

「は?」


意味が分からず、アランドは首を捻る。王は椅子から立ち上がり、アランドの周りを歩き始めた。

「王女。俺は当然のように娘であるお前を信用している。いずれ王位を継承して貰う必要があるんだが、そのためには色々と経験して貰わないといけないんだ。……例えば、お前が経験したような出来事のようにな」

途中で声色を低く、目線をアランドに王は向ける。彼女は周りを歩く王に視線を向けず、ただ椅子を眺めていた。


「……だからですか」

「そうだ」王はアランドの正面に跪き、彼女の頬に触れた。「俺はお前の娘であり、次期国王──いや、次期女王だ。今、周辺国で国王を国民が引きずり下ろそうとしている出来事があるし、暗殺未遂もある。王位には必ず名声もついてくるし、同時に恨みや反感もついてくる。時に命が狙われかねない出来事が起こるかも知れないんだ。そのために、俺はあえてお前を身の危険にさらした」


そう言い、王はアランドの小さな身体を抱く。

すると──。


「……うっ」

いきなり王は身体中から力が失ったかのように、アランドから離れて床にバタンと鈍い音を立てる。アランドは急いで王の肩を振わす。


「どうしたんですか! お父様!」

必死に彼女は王に向かって叫ぶ。すると、玉座の間の扉が開き、そこから大勢の家臣達が入ってきた。一斉に王の周りを取り囲む。


「どうしたん……、は、王!!」

一番近くにいた家臣──イルルがアランドの正面に現れ、王の肩に触れる。その時、彼は口元を見てこう言った。


「泡沫……」

「泡沫?」とアランドが首を傾げる。イルルはアランドに視線を向けて頷いた。

「もしかしたら、誰かに毒物を盛られたかもしれない。──王を早く運べ!!」

周囲の家臣達に対し、大声でイルルは叫ぶ。家臣達は続々と道を開け、ぐったりとして泡を吹く王を玉座の間から運び出す。


その光景を一瞥するアランドはこう呟いた。

「……誰が、お父様に毒物を……」


彼女の掌には拳が出来ていた。



王城三階にある、アランド王女が住まわれる部屋。隣には騒ぎが起きた玉座の間があり、今彼女はその部屋に独り言を呟いていた。


「どうして……、お父様に毒を……」

顎を撫でながら、一人部屋中を歩きながら呟く。すると、ドアをノックする音が彼女の鼓膜に入り、「どうぞ」と扉に視線を向けて言う。扉が開き、入ってきた人物は髭を生やし、目がキリッとしていた男性だった。


「あ……、イルル」

小さな口の隙間からその男性の名前が出ると、イルルは小さく頭を下げた。


「先程は大丈夫ですか」

イルルは扉を閉めながら言う。アランドは「ええ」と曖昧に答えた。

「あの……、どういう用で」

「実を言うと、王に毒を盛った人物に心当たりがあるのです」

「えっ?」


想定もしなかった言葉に、アランドは目をぱたつかせる。イルルは話を続けた。

「王女様が婚約式に行かれている時のことでした。その時、私は一階にある配膳室の前を通りかかったのですが、その際、そこで不審な人影を目撃したのです」

「人影?」アランドは小さな目を細めた。

「ええ。はっきりとは言えなく、ほんの一瞬だったので大きな声で言えないのですが……、恐らく、王に毒を盛った人物は反逆をするつもり、だと思われます」

「反逆!?」


大きな声で驚くアランドに対し、イルルは人差し指を口の前に添える。

「すいません」

「いいえ」

「でも、それは確かなことで?」

アランドが確認のつもりで訊ねると、イルルは頷いた。


「そう……、ですか」

「どうします? 犯人、探します?」

「……探しましょう。探して、必ず罪を償わせます」

強い口調でアランドがそう言うと、イルルは「分かりました。王女様」と言い、扉を開ける。導かれるようにアランドは部屋を出ると、その後を追うようにイルルもまた部屋を出た。



三階から一階へと下り、配膳室へ向かう廊下。白黒タイルの廊下をアランドとイルルが歩く。

「そう言えばなんですけど」

「ん?」


歩きながらアランドがイルルに話しかける。

「どうして、私のような王女に手を貸しているのです?」

そう言われ、イルルは立ち止まる。

「恩義があるから。それだけの話」


「恩義?」アランドが首を捻る。

「そう。覚えているかは分からないが、私にはかつて子どもが三人いた」

イルルはその場で何も無い天井を見上げた後、隣のアランドに目線を向けた。

「だけど、それはあの事件までだった」

「あの事件……」

「そうだ。私の子ども三人が誘拐、殺害された事件のことだ」


「あっ」

そう言われ、アランドは思い出すように少し声をあげた。

「それって確か、三年前に起きた誘拐事件……」

「そう」

「あの事件は確か、誘拐された子ども三人が亡くなり、しかも言えば犯人はまだ捕まっていない……」

顎に手を添えながらアランドは呟く。彼女は表情をハッとさせて隣を見た。


「あ……、ごめんなさい」

「いや、もう大丈夫。……もう、あれ以来子どもや家族のことは思い出していないから」

配膳室へ歩みを再開させるイルル。そのどこか悲しげな背中を見て、アランドは「……ごめんなさい」と呟いた。





宮殿の一階の左奥にある配膳室。大釜など、大勢の人々に振るまいが出来るような台所。

アランドとイルルは照明をつけず、薄暗い中配膳室を歩き回る。


「どこにあるんでしょう」とアランド。イルルはその言葉に反応せず、夢中になって大釜の中を覗いてみたり、地下へと続く通路を見たりする。

「毒……、というより」アランドは視線をシンク台に顔を近づけているイルルに視線を向けた。

「どうしてお父様に毒を盛られないとダメなのか……」

話しかけていることに気がつき、イルルはアランドに視線を向けた。

「さぁ……? まあ、毒をもって殺すということは余程の恨みがあるってことだと思うが」

「ですよね」


石造りのかまどのところでしゃがみ込み、何か痕跡が残されていないかアランドは探す。その作業中、イルルの子どもが巻き込まれたあの事件について脳裏に浮かべていた。



三年前のある日、悲劇は突如として起こった。

ある家臣の子ども三人が誘拐したと、王室にそのような旨の文章が届きかつ、数日後に宮殿の爆破を予告すると言った文章が届いた。


その当時の王──アランド王女の父親はその真偽を確かめるべく、誘拐された三人の子どもの親であるイルル家臣を玉座の間に呼び出した。


「子ども三人が誘拐されたのは本当なのか?」と王。

「はい」そう言い、王の前で跪くイルルが頷く。

「誘拐した犯人に心当たりは?」

「分かりません。……ただ」

「ただ?」

「もしかすると、この事件を引き起こしている犯人は恐らく……、王に対し反逆をしようとしているかもしれない」

「はっ?」

「はっきりとは言えないが……。ただ、ここ最近の悪い噂で国家反逆の動きがあって……。だからもしかすると、犯人はそれを狙った可能性があります」


「だが、それだとなぜ君の子どもを狙う必要がある?」と王。

「さあ……、それはどうか……」

イルルが首を捻る。すると、扉が軋む音が玉座の間に響き、王とその隣にいたアランド、そしてイルルが扉に視線を向けた。そこに立っていたのは、見知らぬ男性であり、人の顔と思えずまるで怪物のような顔つきをしていた。


「誰だ?」

王が目をスッとさせて言う。

「……誘拐した子どもは既に殺害した」

滑舌悪く言葉を発する男性に対し、イルルが「は?」と首を捻った。すると、男性はおもむろに真っ直ぐと王のもとへ歩みを始める。アランドがその男性の掌に視線を向けると、短刀が握られていた。


「お父様!!」

アランドが王との距離を縮め、男が持っている短刀を王に示す。

「……短刀。お前、何をする気だ」

低い声で男性に話しかけるが、男性は何も返答することなく、ただ歩む。王との距離が残り五メートルとなったところで、男性は止まり、短刀を自らの喉先に向けた。


「……まさか」

イルルが男性のやろうとしていることに気がついたのか、慌てて男性との距離を縮め腕を掴もうとする。しかし、男性はそんなイルルに気がつかず、短刀を自分の首元に突き刺した。王の目の前で血飛沫が滝のように上がり、まるで人形のようにその男性は倒れ、その場に大量の血を流した。


「い、いい……、いやぁーーー!!」

アランドの悲鳴が、宮殿中に響き渡った──。



三階の左にある部屋、そこがアランド王女の部屋。突き当たれば広々とした玉座の間になるのだが、そこを左に曲がり、奥に進めばアランドの部屋に辿り着くというような感じだった。


その部屋ではアランド、イルルの二人が何やら事件のことで話をしていた。

「結局、配膳室では見つからなかったね」

高貴な茶器で紅茶色の紅茶を啜ると、イルルは「ああ」と頷いた。

「俺の勘違いだったか……、はたまた犯人が痕跡を消したか……」

顎を撫でながら呟く。

「かもですね……。ん」

「なんだ?」


アランドがイルルの様子を一瞥しながら何かに気づくと、イルルは首を捻った。

「……どうかしたのか?」

じっとアランドがイルルを見つめたため、彼はアランドのことをじっと見た。美白の肌と大きな目が子どもっぽい顔つきを彷彿させた。


──これ……、どこかで違和感……。イルル、あなたまさか……。


「ほんとにどうかしたのか?」

イルルに顔を覗かれるように言われ、アランドは顔をハッとさせる。「あ、ごめんなさい……」

「良いって。でも、なんか思いついたのか?」

そう言われ、アランドは唾を飲み込んだ。


──もし私の推測が正しければ……、きっと……、三年前の事件は……。


アランドは何かに対し意を決したような表情となり、イルルに視線を向けた。

「イルル……、まさか君が犯人だったなんて」


その彼女の言葉と同時に、扉が軋む音が二人の鼓膜に届いた。



「な、何を言っているんだ……。何かの冗談じゃないか?」

イルルが戯けて言うが、アランドは「いいえ」と首を横に振った。

「三年前の事件、そして今回、父に毒を盛ったという騒動。この二つの事件の共通点と言えば、無論ここ王室を巡った事件。それに、王位を巡る争いでもある」

「な、何を言っているんだ王女。何が言いたい?」


イルルは鋭い目つきから眼光を光らせ、それをアランドに向けた。

「思ったことがありますが、言っても?」

「ああ、どうぞ」とイルルは首をしゃくる。アランドは小顔の横に人差し指をぴょこんと立て、それを指揮棒のように降り始めた。


「私が君を犯人だと思ったのは“行動”です。さっきから君の行動は事件を誘導しているようで、まるで既に犯人は私であるかのように動く。最初は疑問には思わなかったんですが、ある様相で私は突如として首を傾げました」

「ある様相?」

「ええ。配膳室のことです」

そう言われ、イルルは目線を上に向けた。数秒後には「あっ」と小さく声を出し、「分かったようですね」と少しだけアランドは目を細めた。


「君は冷蔵庫の上だったり、地下へと続く通路だったり、シンク台を見ていたりしていた。普通、毒物を隠すならそんなところには隠さないはず。それなのにどうしてそこを重点的に見ていたのか」

「言いがかりだな」

「はい?」とアランドは首を傾げた。

「第一、俺が我が王に毒をもって何になる? 俺には恩義があるんだ。動機は一切ない」

「その恩義がもし、もしですよ? 自分でつくり出した嘘だとしたら?」


とアランドに首を捻られると、イルルはその場に立ち上がって高笑いを始める。その様子を怪訝な目線でアランドは見上げると、イルルは両手を広げて「何を言ってるんだ」と言った。


「この私は家臣ですぞ? 君たち王室に反逆の意思を持ったら、ここを追い出されるどころじゃないぞ」

そう言い、イルルはアランドの部屋を歩き回る。

「もし俺が何らかの目的で君たちに反逆の意思を持って、王に対し毒を盛るか? 俺だったら、そんなことはしない。もっと堂々とやるんだ」

「例えば?」とアランド。

「臣民に王室の不祥事をぶちまける、とかな。そうすれば、俺は一気に臣民の英雄扱いとなり、王室の敵になる。そうなった場合、俺は王室を倒してこの国の歴史を紡ぐことができ……」


「言いましたね?」

アランドが相手の急所を突くかのように目線をスッと鋭くさせると、戸惑ってイルルは口を塞ぐ。

「……これが目的か」

低い声で、かつ鋭い目線でアランドを見下げると、「はい」と明るめな声で彼女は頷く。

二人の間に鉛のような空気感が漂い、数分後にはイルルがアランドの肩を強く掴む。その時に彼女が身に付けていたドレスがずれ、白い肌が露わになる。


イルルはアランドをベッドに放り投げ、頭髪をクシャクシャさせる。

「ふっざけるな‼」

彼の怒号がベッドの側にあったミニテーブルが倒れる音と共に響く。その時、アランドは怒り狂うイルルに対し顔を強ばらせた。


「お前はどこまで知っていたんだよ。お前はどこまで俺のことを知っているんだよ。なんで、俺の計画がバレたんだよ」

唾を吐き捨てるかのように一人で怒号をあげるイルルに対し、アランドは軽蔑の視線を向けた。

「それは知りませんよ。私だって。……ただ、わざとらしく私に近づいたのが君の計画を知るきっかけとなったんですよ」

「はぁ?」と言い、イルルは腰から短刀を取り出し、アランドの首元に刃先を向けた。


「何がわざとらしくだよ‼ 俺はただ王のために……」

「まだ言うのですか?」

「は?」

と言うと、イルルの背中から別の人の声が聞こえる。その間にアランドはイルルのみぞおちを蹴り、その場から離れて扉の近くまで向かう。


「お分かりになったんですか」

扉を開けながらその向こうに立っていた家臣の姿に言う。その家臣は「はい」と頷いた。

「イルル様は数年前ほどから不審な動きを見せているという情報が、他の家臣たちの間で広まっていました。また、その動きを見た家臣たちを次々と消すように指示するよう目撃されて……、グハッ」


口の中から血が噴き出る目の前の家臣に対し、アランドは「きゃあ!」と悲鳴をあげる。その家臣の後ろには、もう一人別の人間が立っており、ボロボロな服を着ていたことから庶民と思われた。

「俺はそこまでバカじゃねえんだ……。このぐらい、俺は読み切ってるんだよ‼」

アランドに近づきながらイルルは喋ると、彼は彼女の細長い腕を強く掴んで床になぎ倒す。その際、彼女の腕にはイルルの爪痕が残った。


「さあ、どうする? このままお前は俺の手下になるか?」

短刀を振り回しながら笑みを浮かべると、アランドはギロリと目線を向けた。

「ならないわよ。そんな欲望剥き出しの人間の手下になんて」

「そう。そっか。じゃあ交渉決裂というわけで」


と言い、イルルはアランドの胸ぐらを掴む。二人の距離が一気に縮まり、互いの鼻がくっつくような距離となる。

「じゃあな」

刃先をアランドに向け、そのまま彼女の胸に刺す────。

































































はずだった。


「……なっ」

イルルは目線を下に向いて胸を見る。そこにはアランドに突き刺さっていた短刀が自分に突き刺さっていた。徐々に服に血が染まり、息切れが始まっていく。


「はぁはぁ……、はぁ……、はぁはぁ……」

短刀の柄を両手で支えていたアランドは両手を離し、横に倒れていくイルルから離れる。扉付近に立っていた彼の共犯者とみられる人物がアランドの顔を殴ってイルルに近寄る。


「イルル様! しっかりしてください!」

青少年だろうか、まだ声色には若々しい感じが残る声を発する中、イルルはその男性の頬を触った。

「……すまんな」

と言い、棒立ちするアランドに視線を向けた。


「……あの女を……、やれ」

と息切れしながらイルルは言い、その場で息絶える。悲しみの感情で支配された男性はその場をスッと立ち上がり、アランドに振り返った。

何も言わず、イルルに突き刺さっていた短刀を抜き、血塗れとなった刃先をアランドに向ける。


「……うわあああああああーーーー!!」

真っ直ぐアランドに向かって走ると、彼女は男性の手首を持って背負い投げを決める。ドシンという鈍い音が部屋に響き渡った後、アランドは男性に馬乗りになる。


「……お前は庶民を殺すのか?」

その言葉にハッとされ、アランドは一度目線を彷徨わせる。馬乗りになっている男性はボロボロな服装をしている限り、貧困に喘いでいたであろう庶民のはずだった。


──そんな庶民を、私は殺害するの?


瞼を一度閉じると、気持ちを落ち着かせる。

その時。何かに倒されて背中に痛みが走る。アランドは瞼を開けると、目の前には目に血が走ったさっきの男性がいた。


どうやら馬乗りにされているらしい。

全ての動きがスローモーションで再生されているかのように、男性がアランドを殺害する動きが遅くなる。


──どうする?


──このままじゃ、私は殺される。


──どうすれば良い?


思考に耽っていると、目の前で光る短刀が自分の顔に向けて振りかざそうとされるのを一瞥すると、アランドは急いで男性の両手を持つ。力強く、抵抗しようにも抵抗が出来なかった。


──殺される。


そう思い、瞼を閉じる。

すると、何かがドシンと当たる感覚が掌に伝わり、恐る恐る瞼を開ける。アランドの網膜に映し出されたのは、さっきまで彼女を襲っていた男性が血を流して倒れていた光景だった。


「は……、はわ……、はわわ……」

思わず胸に突き刺さっていた短刀の柄から手を離し、後ずさる。


「こ……、ころ……、殺したの……。私が……?」

──どうしよう。


このことが公になったら、私は臣民たちからバッシングを受けるかも知れない。そうなった場合、私はもう生きられないどころか、革命が起きて私はギロチンにかけられるかも知れない。


胸の内に悪い予感が次々と広まり、次第にアランドの口腔内に気持ち悪いものが逆流してその場に嘔吐けずく。

「はぁ……、はぁは……」


息切れしながら嘔吐を続けていると、ある考えがアランドの脳内に浮かぶ。


「……逃げるしか、ないのか?」


アランドはその場から急いで離れ、逃げるように宮殿の外へ逃げていく。

のどやかな風景がオランド王国中に広がる中、一人アランドは逃げていった。


「……一体、私はあの時どうすれば良かったの?」



F国にそびえ立つ大きな宮殿。ロココ様式で建てられたその建物の中に、ある男性が忙しなくその中へ吸い込まれるように入っていく。


三階へ上がると、男はそのまま玉座の間に入る。そこにいたのは、背もたれに大きく寄りかかってふんぞり返る髭面の男が座っていた。


「どうかしたのか。そんなに汗まみれで」

と低い声でスペスペールが目の前で跪く男性に言う。男性は目線を下に向けたまま、話す。

「大変なことが起こりました。周辺国のオランド王国で王女が逃げ出したとのことです」

数秒、間が空く。

「……なるほど」と言い、スペスペールは顎を撫でてニヤリと笑った。


「──これは、良い機会かも知れんな」

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