中
山から帰って、その日の夜は爺さん婆さんの家で茹でとうもろこしとか食いながら、普通に過ごした。
二週間前に観たアニメを流してる居間で、爺さんが興味もないだろうに「この青いロボットが好きなのか」とか話を合わせてくれて。婆さんがバランス釜の風呂で火傷しないように気をつけろとか言ってくれて。
裏山に行ったことなんてバレるはずもないのにずっと不安だった。扇風機が唸る部屋で、先祖の遺影に取り囲まれて眠るときも、ずっと不安だった。
次の日の朝、いつも通り従兄弟たちと集まったら、ガキ大将のあいつがいないんだ。
聞いてみたら、昨日の夜から体調が悪くて寝てるんだって。奴の親は夏バテだろうって言ってたらしい。
炎天下で帽子も被らず走り回ってた奴がだぞ。
裏山に行く途中、そいつの家の前通りかかったらさ、生垣の向こうにそいつが立ってて、別人みたいなんだ。
日焼けしててもわかるくらい目の下が真っ黒で、涎垂らして立ってるんだよ。涎が昨日見た玉虫みたいな色に光ってて。
見ちゃいけないもん見た気がして、咄嗟に目背けて、従兄弟にどうしたか聞かれても知らないふりをした。
裏山についたら、従兄弟も他の連中も具合が悪いって言い出してさ。山の真ん中くらいでひとりが蹲っちゃったんだよ。
気持ち悪いつって急に木の根っこのところにゲッって胃液吐いて。俺たちガキってそういうときどうしていいかわからなくなるじゃんか。
大人を呼ぶにも入っちゃいけない山だし、こいつを担いで降りる力もないし、どうしようって右往左往してたら、昨日の女が出てきたんだ。
「大丈夫? 熱中症?」なんて言いながら。
あのときは救いの女神みたいに思えた。
女は「全部吐いた方が楽になれる」って、吐きまくってる奴の背中をさすってやった。
奴は内臓まで出るんじゃないかってくらい吐いた。
それで、一回えずいてポンってコンタクトレンズみたいなもんを吐き出したんだ。
喉の奥から飛び出したのは、虫の羽だった。
俺と従兄弟は見間違いじゃないよなってお互い頷いてさ。他の連中も真っ青になって。
そうしたら、女が胃液まみれのそいつの口を素手で拭ったんだ。
「ああ、ちゃんと出たね。じゃあまだ助かるかも」って。
どういうことですかって聞いたら、
「君たち、昨日沼に行ったとき、たくさん立ててある木の板踏まなかった?」って。
俺は行かなかったけど、他の奴らは「踏んだかもしれないです」って教師に叱られてるみたいな顔で頷いた。
女は神妙な顔して、
「裏山に入っちゃいけないっていうのはね、あれがあるからなんだよ」
って言ったんだ。
何でも、あの木の板は昔ここに住んでいた子どもが作った、虫たちの墓らしい。
そこは、何かの理由で山に隠れて住まなきゃいけないひとばっかりの集落だった。
そこに小さい子どもが生まれて、麓に降りて遊べないからっていつもひとりで虫取りをして遊んでた。
でも、虫なんてそう長生きするもんじゃないからすぐ死んじまうんだけど、ちゃんとお墓を作って大事にしてたらしい。
あるとき、ひどい冷夏で麓の村も食うもんがなくなったから、村人が山に入ってくるようになった。
そうしたら、元々山に隠れ住んでた奴らの食いもんがなくなるよな。
それで、虫まで食う羽目になって、子どもが獲ってきた虫を大人たちが全部食い尽くしちまったんだって。
子どもは隠れて飼ってた残りわずかな虫を、山奥の沼に逃そうとして、沼に落ちて溺れ死んじまったらしい。
そのときから、虫たちの墓を踏んだ奴らは、冷夏のときの大人たちみたいに痩せ衰えて死んじまうんだって。
女は見てきたことみたいに語った。
俺たちはもう葬式みたいな気分だった。
従兄弟が半べそかいて「どうすればいいんですか?」って聞いたんだ。
そうしたら、女は「助かる方法があるよ」って言った。
「その子が大好きだった虫をお供えすれば助かるんだって」
俺たちはそれからもう取り憑かれたみたいに虫を取獲った。
普通じゃ見向きもしないような油蝉や、藪蚊まで獲った。女が俺に虫籠を持たせて、他の奴らがじゃんじゃん虫を入れる。俺は両手が塞がってたから虫は獲らなかった。
後から知ったけど、蠱毒って呪いがあるよな。たくさんの虫を食い合いさせて、最後に残った一匹を呪いに使うってやつ。
あの頃の俺はそんなの知らなかったけど、真っ黒になっていく虫籠が気持ち悪くてしょうがなくて、途中から汗拭き用のタオルを被せて見ないようにしてた。
女は教祖みたいに俺たちを導いて、ガキどもは信者みたいについて行った。
山が真っ暗になる頃、虫籠も隙間なく埋め尽くされて、女が「これくらい集まったなら許してくれるかな」って言った。
蚊に刺されまくって泥まみれの顔で従兄弟たちは「ありがとうございました」って頭下げてさ。
野球ボールで窓割っても謝らないような悪ガキどもがだよ。
女はまた、家畜を見送る笑顔で手を振った。
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