第26話【第五章】
【第五章】
「……」
「ぺっ、ぺっ! 土が口に入りやがった……ぺっ!」
「ちょっと、お姉ちゃん! 今は静かに……」
俺たちは泥塗れになりながら、鬼羅鬼羅通りの片隅にいた。
というよりぶち込まれていた。鉄格子で外界から隔離された、直方体の空間の中だ。
ゲンさん、いや、今は正式名称で呼ぼう。上村弦次郎、略して――うん、弦でいいや。
とにかくわけが分からなかったが、美耶に合流した俺と摩耶に、弦は攻撃を仕掛けてきた。
彼は拳銃や刀といった武器は用いず、燕尾服のままで四肢だけで立ちはだかったのだ。
正確には、拳と爪先しか使っていなかったように見える。
そんな弦を相手に、釘バット所持の摩耶、クナイ複数使用の美耶、凡人の俺は、迎撃する間もなくぶっ飛ばされた。
もし弦が手加減をしてくれなかったら、三人共全身複雑骨折に陥っていたかもしれない。
逆に、あの場で手加減ができるほどの技量を有する弦に、俺は驚嘆せざるを得ない。
その後、俺たちは三人揃って手錠を嵌められ、一本の綱に括りつけられて、のそのそと歩いてここまで連行されてきた、というわけ。この牢屋の見張りには、四人もの不良が動員されていた。
ここに閉じ込められてから、どのくらい時間が経ったのだろう? 二、三時間といったところだろうか。
摩耶は腹が減ったとか、シャワーを取りつけろとか、誰かわけを説明しろとか喚いている。
美耶は、派手に奇声を上げ続ける姉に向かって、落ち着くようにと言い聞かせるので手一杯。
俺はどっかりとあぐらをかき、顎に手を遣って、何か対策できることはないかと脳みそをフル回転させていた。
ってまあ、そう簡単に脱出できたら肩透かしもいいところなのだろうが。
試しに俺も、摩耶みたいに喚いてみるか。
などと意味不明なことを思っていると、ぴりっ、という緊張感が鉄格子の向こうから伝わってきた。
「状況は?」
「はッ、収監中の三名、異常ありません!」
のっそりと、しかし、がっしりと、誰かがぬっと視界に入ってくる。こいつは……?
「あーーーっ! サワ兄!」
そう、サワ兄こと澤村吉右衛門だ。
だが、前回会った時のような気力、迫力といったものが感じられない。強いて言えば、俺たち三人が不治の病に罹っていて、それを憐憫の情を持って見つめている雰囲気、とでもいうのだろうか。
こちらに目を遣ったまま、サワ兄は見張りの四人に言った。
「おい、お前ら。この三名の相手は俺がする。下がってろ」
「はッ? 下がってろ、とは?」
「こういうことだ、よっと!」
急速にサワ兄は爆発的な力を発揮し、見張りの一人の首を拘束。腕一本で気絶させた。
「ちょ、ちょっと! 澤村さん、何……ぐはっ!?」
「何が起こってるんだよ、これは!?」
「こ、こちら監獄前! サワさんが……サワさんが暴走した!」
三者三様のリアクションに走る見張りたち。そのうち、一人は鉄拳を腹部にもらってそのまま崩れ落ちた。
残り二人。彼らは顔を見合わせ、一気にコンテナの陰を目指して駆け出した。
サワ兄は自分の拳を打ち合わせ、一瞬で二人との距離を詰める。無造作に腕を伸ばしたかと思いきや、その手には見張りの頭部ががっちりと掴み込まれていた。
「たっ、助けて! これからは善行に励み……じゃない! 俺たちはワルなんだから、えっと、悪行を積みます! だから命だけは……!」
「誰も命乞いなんて求めちゃいねえよ」
そう言い捨てて、サワ兄はその見張りの身体を適当に放り投げた。
どうなるのかと、俺たちは唾を飲んで見つめる。そして目にしたのは、投げられた見張りの身体が綺麗に宙を舞い、最後の見張りの背中に直撃するところだった。
もんどりうって転倒し、ぐるぐると転げ回る二人。
「ふん、雑魚め」
そう言って、サワ兄はこの場を締めくくるようにその場に正座をした。尻をついた瞬間、地面が細かく振動した。――という錯覚に陥ったのは、俺だけではあるまい。
俺がサワ兄に声をかけようとしたら、月野姉妹が互いに肩を出してぶるぶる震えていた。
サワ兄による怪獣大決戦(いや、でかいのはサワ兄だけだったが)を眼前で見せつけられ、姉妹は落ち着きを失くしてしまったようだ。
「あー、また変な解釈してるな、月野姉妹……。まあいいか。まずは君に話しておこう、朔柊也くん」
「は、はい」
「君にまで怖がられるとは、ウチも随分と悪名が高いのかな?」
「ちっ、違います! 突然出てきて、見張りをあっという間に片づけちゃったから、その、驚いて」
「まあまあ、君にそう言われても仕方がないな。ああ、あとこれを」
サワ兄が背部のバッグから取り出したもの。それは、非常用の栄養食とそれを補佐する軽食、それに清涼飲料水だった。
飲み物の種類はたくさんあったのだが、摩耶はエナジードリンクを、美耶は緑茶を選択した。
二人の性格の違いを如実に表しているかのようだ。どっちがいいという問題ではないんだろうが。
「食べながら聞いてくれ。ウチは小さい頃から、鬼羅鬼羅通りに来てたくさん思い出を作らせてもらった。君ら同様、このコミュニティに取り入れられたんだな。両親の話は長くなるから割愛する」
サワ兄、空咳を二つ。
「ちょうどその頃、不良というか、まともに社会に馴染めない人間がいることを知った。だからこそ、ウチは自治体の議員や長に嘆願書を出したり、デモ行進を行ったりしていたんだ。若者の生活待遇を向上させろと。ちょうど君らが産まれた頃の話だ」
「で、この土地はどうにかなったんですか?」
「なんともならない。残念だったがね」
呆気ないサワ兄の返答に、俺はぶっ倒れそうになった。半歩引いて、なんとか転倒を免れる。が、その時には、サワ兄に宿る悲壮感が容赦なく襲ってくるところだった。
その日、サワ兄は家族一緒に海へ出掛けていた。もちろん、サワ兄の弟も一緒に。小学二年生だったという。
弟は海水浴場で遠浅の海中を探検中、偶然訪れた大波に呑まれた。その日のうちに発見されるも、既に心肺停止の状態だったという。死亡認定されるのに、大した時間はかからなかった。
「自分自身を恨んだよ。ウチがもっと気をつけていれば、弟は……優紀は死なずに済んだんだからな」
そのショックから、サワ兄は高校を中退。自責の念に囚われ続ける両親と共に、あまりにも暗い日々を送ることとなる。
そこで遭遇したのが、今の鬼羅鬼羅グループに繋がる小組織だった。
「変な団体だったな。勉強についていけなくて嫌になるなら分かるが、学校の環境が悪くて何度も欠席してしまい、代わりにここで勉強してる、なんてやつもいた」
しかし、いいことばかりではない。
「ある日、刑事を名乗る人物がここを訪れてな……。あとで専門家を連れてくるから待っていろ、というわけだ」
それから約三時間後。
立ちっぱなしで体力的にマズいのも無視していると、ようやく三人の男たちが通りに入って来た。
「連中は警察手帳を俺に見せて、鬼羅鬼羅通りの責任者を出せと言った。だが、俺の前のリーダーは猛反対した。大人たちから隔絶された環境でしか生きていけない子供たちもいる。そう言って、妥協の余地はない、の一点張りだった。確かに、近所迷惑であろうことは想像がついたさ。それでも、心が麻痺してしまった子供たちを、再び大人の統制下に置くことはできなかったし、俺も当時のリーダーと同意見だ」
サワ兄は立ち上がり、そろそろだな、と呟いた。何が起こるのかと俺が尋ねようとした、まさにその時だった。
ズバババババババッ、と何かが連続で破裂した。慌てて頭を押さえ、しゃがみ込む。が、サワ兄は怯むことなく、周囲の状況把握に努めている。
「なっ、何ですか、これ! 爆発!?」
「騒ぐなよ、柊也くん。これは花火だ」
「は、花火?」
「ああ。花火大会の運営に携わってるシンパに調達してもらった。突然だが、走るぞ。ウチと柊也と摩耶、一緒に来い。これが牢屋の鍵だ。美耶、お前はできるだけ近づいて、あとは耐ショック姿勢で隠れていろ」
「あいよっと!」
摩耶は器用にも、鉄格子の隙間から腕を差し込み、いとも簡単に開錠した。がしゃん、と軽い音を立てて、封鎖が解かれる。
牢屋から出てみると、あちこちでパニックが起こっていた。花火があっちで爆発、こっちで破裂と、敵味方両方に混乱を招いている。
「敵を騙すには味方から、ってな」
そう言いながら、サワ兄はさっきの立体プロジェクターを起動。現場指揮所、つまり岩浅や清水の現在位置が映し出される。
そこにはサワ兄の狙い通り、多くの機動隊員が押し合いへし合いしていた。
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