第25話


         ※


 結局のところ、美耶からのメッセージはよく分からなかった。向こうのマイクの接続が甘いのか。


《……》

「おい美耶! 俺だ、柊也だ! 見えるか? そっちからの声が聞こえない! 砂嵐状態だ! なんとかマイクを接続し直せないか?」

《……》

「畜生!」


 こうなったら、自分の力で美耶の気持ちを受け止めるしかない。直接、美耶の下へと向かうのだ。目標地点は美耶のそば、すなわち相手の有する立体映像投影機の設置地点。

 改めて目標地点を確認し、俺は踵を返した。


「おい、朔坊!」

「岩浅警部補! 時間をください!」

「な、何だって?」

「三十分もあれば十分です! その間だけ、機動隊にその場を動かないでいるように命令できませんか?」

「馬鹿を言え、若造! 俺は作戦の進捗状態を見張る魂胆で送り込まれた中間管理職なんだ、何の決定権もないんだぞ!」

「罰金なら俺の両親に請求してください! 清水巡査部長も!」

「ちょ、ちょっと、さっくん!」


 今までの俺ならあり得なかっただろう。あの憧れの清水の言葉に耳を傾けず、そのまま突っ走ったなんて。

 だが今は、どこか遠くから誰かの声が聞こえていた。今は美耶のことを最優先で考えろと。そしてその声に、俺は納得していた。俺の脳も心臓も筋肉も骨格も。

 なんなら、俺の身体の全細胞が同意していると言ってもいいほどだ。


「早く美耶と話をしなくちゃ……!」

「よっ、兄貴!」


 唐突に俺の視界に誰かが乱入してきた。摩耶だ。走りながら他人に話しかけるなんて、よっぽどだろ。確かに、今の俺たちが大変な状況にあることは否定しようがないのだが。


 常日頃、俺が運動不足を嘆いていたのは事実。自分の身体が崩れ去るという悪夢を見ることも度々あった。

 いやしかし、いくら俺が運動音痴でも摩耶は速い。速すぎる。さっき声をかけられてから、摩耶の背中が遠くなっていく。そしてその果てに彼女が至るのは、実妹である美耶との邂逅だ。だからこそ、流石、としか言いようがない。


 って、そんなことを悠長に思っている場合ではない。摩耶のことだ、美耶と出会ったら最後、引っ叩いて美耶を泣かせてしまうかもしれない。最悪、ぶん殴るって危険性もある。

 暴行傷害の現行犯逮捕か。こればっかりは庇いきれないぞ。


「お前の、勝手には、させねえぞ……!」


 切れ切れの声で、俺は叫んだ。

 もう肺なんかはち切れそうだし、声帯も長くはもつまい。それでも俺は、叫び声で罵詈雑言を並べ立て、それから息を全身に叩き込んだ。

 まだ俺は戦えるのだ。それは何故か? 冗談じゃない。理由なんて要るだろうか? 摩耶も美耶も大切な家族だというのに。


 コンテナの間を抜け、空き缶やら何やらを蹴り飛ばし、摩耶の後ろ姿ばかりを睨んで追いかける。

 ちらりと空を見上げると、立体映像の残滓が目に入った。直線距離で、あと百メートルと少し、といったところか。

 数週間に渡って足が攣っても仕方ない。俺はそう思い込むことで、自分を追い込んだ。

 幸か不幸か、引き攣るような太腿の痛みは引いている。って、これは痛みを感じないほどに筋肉がやられている、ってことじゃないのか?


「知ったことかああああああああああ!!」


 最後の角をほぼ直角に曲がり、美耶の姿を捉えた。

 が、その前に、俺より僅か半歩先を駆けていた摩耶の背中に全身全霊で衝突した。


「きゃあっ!」

「うおあっ!」


 転倒した摩耶に、俺が背中から乗っかるようにして倒れ込む。勢い余って前転を繰り出すところだった。


 がしゃっ、という音が響き渡る。マズい。俺たちは拳銃や煙幕弾の脅威に晒されている。


「岩浅警部補! 犯人と思しき若い男女二名の身柄を拘束しました! 直ちに逮捕及び拘留の手続きを――」

《何だと? ふざけるな! 我々は、重要参考人である朔柊也の監視が任務だ。それに、朔柊也からは約束を言付かっている。あと十九分の間、我々は彼の指示に従うしかない》

「は、はッ? 何を仰っているのですか、警部補! 治安維持組織が危険人物に情けをかけるなど――」

《責任は俺が取る。代わりに命令を追加だ。誰も重要参考人に触れるな! 手錠だけにしておけ。ただし、先行して身柄を確保した人物との会話は防いで構わない》


 ん? 先行した誰か、ということは、俺たちとは別に取っ捕まった輩いるということか。

 俺たちと彼ら、どちらの罪が重いのか、判然とはしないのだが。


 そんなことを考えていると、とててて、と聞き慣れた足音がした。


「お姉ちゃん……柊也さん……」

「美耶ッ!!」


 手錠を引きちぎらん限りの力で、摩耶は飛び出した。その前に、前のめりになりそうになって――。


「よっ!」


 美耶が、横から摩耶の身体を支えた。

 必死だったのは間違いない。だが、いつも半歩後ろにいるような美耶が、積極的に衆目の下に現れ、摩耶の転倒を防ぐとは。


「あっ、ありがとう、美耶」

「お姉ちゃん、大丈夫……?」

「そ、それより俺からどいてくれないか?」


 感動の姉妹再会の瞬間だったが、残念ながら俺は見そびれてしまった。

 俺の言葉の意を察して、美耶は摩耶に、俺の背中から下りるように告げる。


「ああ、そうだ! 悪いな、柊也」

「まったく、全力疾走させられるわ、身体中あちこち擦りむくわ……。踏んだり蹴ったりだな」

「柊也さん……大丈、夫?」

「ん? ああ、美耶の心配には及ばねえよ」

「……そっか」


 どこか寂しげな美耶。立ち上がった俺の前では、クナイを掌に載せて転がしている。

 そんなことをして、掌が切り傷だらけにならないものだろうか?

 って、まさか。


「ぶへっ!?」


 俺は思いっきり腹部を蹴とばされた。胃酸の逆流が喉を焼く。

 しかし待てよ。似たようなことは前にもあったよな。

 あれは、美耶の攻撃を受けた俺を、摩耶が助けてくれたって話で……。

 ということは、俺を蹴り飛ばしたのは摩耶だったのか。


「美耶の相手はあたいがする! 柊也はさっさと逃げろ! 機動隊の後ろまで!」


 って、おいおい。


「駄目だ! 俺はお前らの戦いを観るためにここまで来たんだぞ!」

「何……?」

「お前らが、相手を死傷させる目的で戦闘訓練をしているのは分かる。だから、ここで俺がくたばったらそれだけ。もし俺が生きていられたら、あの邸宅でもキャッシュカードでも、なんでもくれてやる」


 俺が余計な条件まで付与していると、ここにいるはずのない人物の声が、高らかに響き渡った。


「おやおや、それは困りますな。わたくし、朔家に仕える者として、とても容認できる事態ではございません」

「ちょっ、あんた、どうしてここに!」

「心外ですな、わたくしとて、戦いたくなる時は訪れるものです。人間としてね」


 俺は苦虫を嚙み潰したように顔を歪め、戦意に満ち満ちた人間の姿を認識した。


「上村弦次郎……、いや、ゲンさん……」

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