第9話
「え? なんで?」
摩耶が速攻で問い詰めてくる。
「そ、それは」
「駄目、お姉ちゃん! 柊也さんに迷惑……」
「だって、あたいは自分と美耶のことをちゃーんと話したんだぜ? 柊也の方からも語ってもらわなきゃフェアじゃねえだろう」
摩耶の言うことは最もだ。俺に反論の余地はない。
しかし俺の、いわば『鼻血癖』を説明するのは、精神のみならず身体にもダメージを与えかねない。金や時間でどうこう解決できる話ではないのだ。
「なあ摩耶。それから美耶も、聞いておいてほしい」
「おっ! やっと話す気になりやがったか! いいぞいいぞ、ぶちまけろ!」
「お姉ちゃん、言い方が悪いんじゃ――」
「どうやら俺は、後天的なストレス障害、PTSDってのを患ってるらしい」
PTSDという言葉が珍しかったのか、摩耶は黙ってこちらに向き直った。
「厳密な話になるが……。PTSDってのは、心的外傷後ストレス障害ってのが正式名称なんだ。俺の場合は、その病状にピンポイントで当てはまってるわけじゃないんだが、ストレスで脳内に傷がある。今日、いや、毎日、抗不安剤やら精神安定剤やらを飲まないとやってられん」
さっきの適当さはどこへやら。摩耶はあぐらをかいたまま腕を組み、興味津々といった様子で俺の言葉に聞き入っている。楽しい話でもあるまいに。
対する美耶は、目線をカーペットの上で泳がせている。ここで興味関心を抱いてしまうことに、罪悪感でも抱いているのか。
個人的には、こういった病状についての説明をし、理解してもらおうとすることに抵抗はない。むしろ積極的に行いたい。
だが、そうしたら必然的に、俺はそもそものきっかけとなった過去の出来事について語る羽目になる。今まさにここで語れというのは、正直勘弁願いたいところだ。
再び沈黙かと思われた時、我が家の救世主が客間の扉をノックした。
「坊ちゃま、月野摩耶様、月野美耶様、お飲み物の追加に参りました。お邪魔してもよろしゅうございますか?」
「あっ、だっ、大丈夫っす!」
何故か俺は、その場ですっくと立ち上がって姿勢を正した。なんでやねん。
「では、失礼致します」
そう言って、ノックをした張本人であるゲンさんがゆっくりと入室した。
その手にはお盆。載せられているのは、氷の浮いた蓋つきの洋風の急須が三つ。なんとも涼しげなガラス製だ。
「何かお困りのことはございませんか?」
「いえ、大丈夫です。摩耶、美耶、お前らは?」
「あたいは大丈夫」
「私も……。ってお姉ちゃん、急須の出口から直接、飲み物を飲むの、下品……」
「ん? そうか?」
空になった急須をお盆に戻し、摩耶はこてん、と首を傾げた。
呆れかえる美耶、急須の回収をして退出するゲンさん、そろそろ眠いと言い出す摩耶。
三者三様の意思表示。
まあ、ゲンさんは完璧超人的なところがあるから、今はカウントしない。それでも俺は、ある人物の挙動にぐっと見入ってしまった。――月野摩耶の口調や四肢の動かし方に。
何故? どうして摩耶のことが気になる?
恋愛感情とは違うような気がするのだが、いや、もしかしたら恋愛を超えた何かの一端が、『具体的な形』をとって湧いてきたのかもしれない。
それこそ、憧れとでも呼ぶべきだろうか。自由奔放な摩耶の言動と言ってもいい。
彼女には薄っすらと見えているのかもしれないな。どんな態度が他人を喜ばせ、悲しませ、嫌悪感を与えるのか。
それこそ、何が相手の感情を逆撫でし、暴力沙汰の一因になるのか。
比較するのはおこがましいけれど、一見冷静な美耶よりも、摩耶の方が他者の心を見透かしているのかもしれない。
「……さん? 柊也さん?」
「お、おう?」
俺が目をパチクリさせると、目の前の誰かに焦点が合った。
「あ、美耶か。どうしたんだ? っていうか、近いんだが……」
「え? あっ、ごめん、なさい」
「いや。それより、どうかしたのか?」
「私たちの、身分をどうするか、という話です」
「身分……?」
ちょっとばかし、俺は待たなければならなかった。自分の脳みそが再起動するまでの間のこと。
「身分、そうだな、単純にここに居候させるわけにもいかないからな。でも、お前たちはいいのか? 住民票とか出生証明書とか、揃えるってことだろう? 実家からは離れられるかもしれないけど、戻ることもできなくなる。それで――」
顎に手を遣って、俺は考えた。これでいいんだろうか?
「美耶、お前はどう思う?」
「……ぅ」
「ん? 今何て言った?」
「うるさいっ!!」
突然の大声に、俺は思いっきり弾き飛ばされた。背中から強かに倒れ込む。い、今の声、本当に美耶の声か?
首を上げて美耶に声をかけようとしたその時、聞き覚えのある音がした。シュッ、という切れ味抜群の何かが飛んでいったような気がするのだが。
俺が振り返り、再び美耶の下へ向き直る。すると、目に入ってきたのは――。
一番目に、殺気じみた美耶の瞳。
二番目に、くるくると何かを弄ぶ美耶の右手。
三番目に、それを握り締めてこちらに投擲しようとする美耶の全身。
いや、これは『何か』なんて生温い表現はできない。さっきも見かけた、コンバットナイフだ。
「わひぃっ!?」
な、何だ何だ!? たった今まで冷静に語っていた美耶が、どうしてこんな狂気じみた真似を……?
「お姉ちゃんは、あなたには渡さない! あなただって、お姉ちゃんには渡さない!」
「は、はあっ!?」
「それができないのなら……。それなら、私はあなたと心中する!」
俺の脳みそが瞬間冷凍されたかのような衝撃。額から、どっと冷や汗が噴出する。直後には、それはひどく冷たい気体となって蒸発していく。我ながら意味が分からない。
って、そんな思索に耽っている場合ではない。
「俺はまだ死にたくねええええ!!」
俺はパニックで我を忘れ、美耶から距離を取ってしまった。堂々と背中を向けたままに。
これでは殺してくれと言っているようなものだ。またナイフを投擲されたら、恐らく当たってしまうだろう。
まあ、ナイフを目視できたからといって回避できなければ意味はないが。
待てよ、摩耶は? 摩耶はどこへ行った? あいつの言葉なら美耶だって大人しく聞くだろうに。少なくとも、俺が一人で対処するより、摩耶が美耶を落ち着かせてくれた方がいいに決まっている。
ジェットコースター並みのスピードで鬼ごっこをしたら、似たような気分を味わえるだろうか?
「は、はは……」
何故か俺は笑い出していた。人間、最悪の恐怖を目の前にすると笑ってしまう、という話を聞いたことがある。あれってマジだったのかよ。
俺が泣き笑いしながら駆けていく途中、ついに凶刃が俺を捉えた。
「柊也さんは、渡さないッ!!」
「ぐへっ!?」
俺は珍妙な悲鳴を上げた。自分のことだというのに、なんだか時系列が滅茶苦茶に感じられる。何だこれ。
「ふわっ!」
派手に前転する要領で転倒する俺。さっき打ちつけた背中が、また痛みを加算していく。
だが、それよりも恐ろしい現実が俺に襲いかかってきた。
それは、今まで感じたことのない灼熱感だった。左肩から、じんじんと染み入ってくる。
仮にナイフが掠めただけだったとしたら、なんのことはない。きちんと消毒して、どでかい絆創膏でも貼っていれば、それで問題ない。
だが、自分の負傷の程度を考え得るほどの冷静さは、俺に残ってはいなかった。
当たり前だ。ターミネーターもびっくりの殺戮少女に追い回されていいたのだから。
うつ伏せになった俺に、後方から声がかけられた。
「やっと……捕まえた……。私の……家族になれる人……! あなたを殺して……私も死ねば……!」
だからその思考回路が奇妙なんだよ、落ち着いてものを考えろ!
――ああ、このくらいの啖呵は切ってやりたい。無理だけど。
荒い呼吸音を挟みながら、美耶の声が近づいてくる。
ひゅんっ、という音が時折混ざる。きっと手先でナイフを弄んでいるからだろう。
「これで……終わり……ですッ!!」
真上から降ってくる死刑宣告。俺は現状認識もままならないまま、くたばってしまうらしい。
「うわああああああっ!?」
奇妙にねじ曲がった悲鳴が口から飛び出す。もはやこれまで……!
かと思われた、その時だった。
ずごん、だか、ばがん、だか、とにかく強烈な破壊音と同時に扉が破られた。
その先にいたのはゲンさん……なのか? 判別がつかない。理由は単純で、その人影はガスマスクを装着していたからだ。
一体全体どこにあったんだ、そんなもの。
それはさておき、ゲンさんは何かを投げ込んだ。それはちょうど俺の頭上を通過し、美耶の下へ直行。回避した美耶の眼前で、白煙を上げ始めた。
「全員そこを動くな! こちらには武器があるぞ!」
この怒鳴り声は、確かにゲンさんだ。奇妙なのはもう一人、やや小柄な人影があったこと。
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