第7話【第二章】

【第二章】


 ゲンさんが運転してきたという車は、街中を走っていても怪しまれないような五、六人乗りの普通乗用車だった。

 これなら安心だと思った矢先、俺はドキリとして立ち止まってしまった。


「待ちくたびれたぜ、朔坊。今日は忙しかったな」

「岩浅警部補! どうしてここに?」

「どうして、って言われてもなあ」


 そう言いながら、岩浅は横目でゲンさんを見た。


「わたくしがお手伝いをお願い致しました。警察内部とのパイプは堅持しております」


 今更ながら俺は、すげえ、と呟くしかなかった。


「まったく無茶するな。えぇ? 朔坊よ」

「は、はあ。すみません、岩浅警部補」

「もし俺が今日非番だったら、どうするつもりだったんだ? 誰もお前の味方についちゃくれなかったんだぜ?」


 俺はすみません、を繰り返しながら、パトカーの助手席に収まっていた。

 運転席には岩浅、後部座席には月野姉妹が沈黙したまま腰を下ろしている。ゲンさんは偽装工作のために、少し現場に残るそうだ。

 車内では、摩耶は車窓の端に肘をつき、流れゆくネオンを見つめている。美耶は律儀にも、膝の上に手を置いて背筋を伸ばしていた。


 岩浅はぽつり、と呟いた。


「まあ、お前を取っ捕まえても二、三日で釈放だ。月野摩耶に関しては公務執行妨害の容疑がかかるが……。仕方ない、俺が適当な報告書を出すことにする」

「ありがとうございます」

「いいってことよ」


 赤信号で停車し、岩浅はシャツの胸ポケットから煙草を取り出した。流れるような動作で着火し、盛大に煙を吐き出す。その頃には、既にゆっくりとアクセルが踏み込まれるところだった。


「お前の親父さんには散々世話になったからな」


 さり気なく為された、親父についての言及。

 驚くことはない。岩浅と俺の親父は大学時代の先輩・後輩関係にあり、共に剣道部に所属していた。親父の方が二学年上だ。

 両親を亡くした俺のことを、岩浅は心から心配してくれている。こればっかりは、俺も素直に有難く思っている。


「ところで、月野摩耶!」

「……」

「おーい、月野摩耶! 聞こえてるんだろう?」


 岩浅の呼びかけを、摩耶は完全にシャットアウトしていた。

 俺は腰を捻って背後を見遣り、摩耶の横顔に語りかける。


「摩耶、このおっさんは俺たちの味方だ。そんなに意固地になる必要は――」

「じゃあどうするんだよ!」


 摩耶の絶叫に、俺は思わず身を引いた。

 がばっと身体を俺に向け、摩耶は凄まじい勢いでまくし立てる。


「あたいら姉妹が、大人を信用してどれだけ裏切られてきたか、あんたに分かんのか!?」

「そ、それは……」


 俺は手を眼前に翳し、運転席の岩浅に視線で助けを求めた。

 が、岩浅はどこ吹く風で、最初の煙草を灰皿に押しつけているところだった。


「ん……。お、お姉ちゃん……」


 僅かに掠れた小さな声に、摩耶は素早く反応した。


「ああ、悪いな、美耶」

「落ち着いてくれれば大丈夫だよ」


 美耶は首を傾げてから、ゆっくりと前方に手を伸ばした。そこには、運転手を守るためにアクリル板が配されている。


「これ、パトカー、だよね?」


 すると、摩耶がごくりと唾を飲んだ。どうしたって言うんだ?


「落ち着け。大丈夫だぜ、美耶。ゆっくり息を吸って――」

「わ、私たち、また牢屋に入れられるの?」

「そんなわけねえだろう! 大丈夫だって!」

「そうなの? 本当? お姉ちゃん」


 言葉や声音は、幼い少女のもの。だが、俺には聞き取れてしまった。美耶の心の奥底から、何かがぶわり、と膨れ上がるのが。

 それは美耶の心に巣食う恐怖や不安、暴力衝動といった、負の側面の現れなのだろうと思う。


 見る見るうちに、美耶の呼吸が荒くなった。過呼吸か。

 ぼんやりとした雰囲気はどこへやら。摩耶もまた、対応しきれずに腕を振り回すばかり。


 やがて、すっ、と息を吸う気配がした。ヤバい!

 俺は助手席で身を丸め、耳に掌を押し当てた。

 摩耶の次は美耶か! とんでもない大声出しやがって……!


 まさに美耶が叫び声を上げる、その直前のことだった。

 がたん、とパトカーが勢いよく跳ねた。歩道に乗り上げるような感じだ。

 だが、岩浅はなんともないかのように運転を続ける。


「ちょっ、岩浅さん! どうして……?」

「着いたぜ、レディース・アンド・ジェントルマン」

「え?」


 急停車する勢いで、俺は見事に額を打った。

 ああ、そうか。岩浅は無理やり美耶を黙らせるつもりで、荒っぽい運転に臨んだのか。

 刑事の鑑と称賛すべきか、刑事のくせにと非難すべきか。

 いずれにしても、彼だからこそできたことだろう。


「もういいぞ、皆」


 それだけ言って、岩浅は一人で車を降りた。ヘッドライトの先には執事のゲンさんがいて、腰を折ってお辞儀をするところだった。


「ゲンさん? おいおい、瞬間移動でもしたのかよ……」


 俺は呆気に取られて、律儀に頭を下げ続けるゲンさんを見ていた。岩浅も軽く頭を下げる。

 それだけでゲンさんは納得したのだろう。岩浅は戻ってきて運転席に座った。何本目かの煙草を咥えながら、くいっと俺に顎をしゃくってみせる。


「あ、そういうことか。摩耶、美耶、移送先に着いた。俺の家だ」


 きょとん、と俺を見つめ返す月野姉妹。俺の家に連れられていくとは思わなかったか。さっき言ったような気がするけど。

 のろのろとパトカーから出ていく二人。軽く肩を叩いて、安心させてやることにする。


 ゲンさんと初対面の挨拶を交わした摩耶と美耶、彼女たちを先導するゲンさん、そして俺の順に、俺たち四人は家に歩み入った。


         ※


「おかえりなさいませ、坊ちゃま」

「ああ、どうも」

「ようこそいらっしゃいました、お客様」

「うぃっす」

「……」


 メインエントランスに入り、ゲンさんが丁寧に説明してくれた。


「只今お飲み物をご用意いたします。また、お三方がお話なさるのに適した客間をご用意させていただきました。ご所望の事物がございましたら、なんなりとお申しつけください」


 ゲンさんのお辞儀を見つめながら、俺は目だけを動かして姉妹の方を見遣った。

 摩耶は上を見上げて、ぽかん、としている。何がそんなに興味を引いているのか?


「ああ……」


 俺も同じ方向を見て納得した。シャンデリアだ。今時の高級住宅でも、こんなものが吊るされているのはこの屋敷意外にはそうそうあるまい。

 でもそのせいで、他人の話を聞かないのはどうかと思う。

 

 一方の美耶は、じっとゲンさんを見つめている。物珍しさというよりも、年上の人間の言うことには素直に従おうという意識がそうさせているようだ。美耶については、典型的な『良い子』といえるかも知れない。


 ゲンさんは、飲料水の取り出しと風呂の最終調整を行うため、一旦俺たちの前から姿を消すことになった。


「二人共、今のゲンさん――執事さんが言ってた部屋はこっちだ」

「っておい、柊也! お前こんなとこに住んでたのかよ! 驚いたぜ!」


 そりゃ、まあな。


「お陰で随分いじめられたもんだぜ」


 俺はてっきり、この話を聞いた摩耶が笑いだすのでは、などと思っていた。俺の脆弱さを馬鹿にするのだろう、と。

 だからこそ、次に摩耶が発した言葉は意外なものだった。


「……悪い。踏み込みすぎた」

「何?」

「あたいが柊也の心に踏み込みすぎたんだよ。すまなかった」


 俺は正直、何が何だか分からなかった。摩耶に馬鹿にされなかったのはよかったし、少なからず俺の胸中を推し測ってくれたのも嬉しい。

 だが、理由は何だ? 彼女たちにもいじめられた過去があるのか? だったら気持ちを共有するのに手間が省けるというものだが。


「あー、俺は大丈夫だぞ。それに、ゲンさんを待たせるわけにもいかない。ついて来てくれ」


 それから俺たちは三人共、何も語ることなく客間に足を踏み入れた。


         ※


「ここだ」


 俺は洋館のエントランスを左に曲がり、廊下のさらに右側にある部屋の扉を押し開けた。

 おおっ、という声が、思わずといった風に摩耶の口から漏れる。


 エントランスの床面は、一部を除き石畳でできている。しかしこの会議室は、まっさらで清潔、かつ温かみのあるカーペットで覆われていた。

 やや暗めの、落ち着きのある赤色。そこら中に配置された枕や毛布。ゲンさんの研ぎ澄まされた神経でプログラムされた、エアコンと空気清浄機。


「すげえ……」


 と摩耶が絶句してしまったのも無理はない。


 しばしの間、俺たちは無言だった。

 そんな中、美耶が摩耶の手に触れながら首を傾げた。


「お姉ちゃん、それで、何のお話……?」

「おい柊也。何なんだ?」

「あ」


 そうだ。俺は二人と話しておかなければならないのだ。

 話題? そんなものとうに決まっている。彼女たちの今後についてだ。


 俺がそう答えると、摩耶は、そして美耶も、目をこれでもかと見開いてじっと俺をガン見してきた。


「なっ、ど、どうしたんだいよ、おい?」

「ああ、いや……。上手く言葉にできねえんだけどな。まあ、適当に座っていいのか?」

「そうだな、ああ、ここ洋館だけど、一応靴は脱いでくれ」

「ういーっす」


 気軽にカーペットに上がる摩耶と、上がってからちゃんと靴を揃える美耶。

 まったく、分かりやすい姉妹である。


 最後に俺が上がり込み、クッションに腰かけた。姉妹も適当に腰を下ろしている。


「えーっと、ひとまず自分の身柄、っていうか、素性は明らかにしておこうぜ」


 ちょうどゲンさんが麦茶を注いだグラスを持って来てくれたので、俺たちは一杯目を飲み干す間に考えをまとめることにした。

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