第6話
やがて赤い光が見えた。パトカーだ。それも二、三台という規模ではない。
機動隊が出動するというなら、人員輸送車も使わねばならない。この通りの周辺は封鎖措置が取られることになるだろう。いや、もう取られているかもしれない。
いずれにせよ、美耶のような幼い子供に、大人のいざこざを見学させるわけにもいかない。
摩耶の言う通り、僕には美耶の命を守る義務がある――のだろうか。たぶん。
やがて、通りの入り口から怒号と悲鳴が聞こえてきた。なんて酷い銅鑼声だ。戦っているから当然なのだろうが……。
透明な盾を構えて、ゆっくりと歩を進めてくる機動隊員たち。
それに対し、不良たちは火炎瓶で応戦を試みた。士気を維持するためか、盛んに大声を出して前進を試みる。
が。それこそまさに、飛んで火にいる夏の虫、とやらを実践しているようなものだった。
機動隊の防具を前に、火炎瓶など通用する理屈など一文字もない。起こらないことは起こらない、それだけの話だ。
美耶の手を掴んだまま、僕は自分が尻餅をついていることに気づいた。そんな僕のそばに、美耶が屈みこむ。
ぎゅっと僕の手を取る美耶。早く逃げないのか、と問うているのだ。
「ん……悪い、僕は戦えないから……」
顎でどこかを示す美耶。その先には、古びた鉄扉がある。
「通りの反対側……。知ってるか、どこにあるのか」
美耶は思いっきり、ぐっと顎を引いた。
「わ、分かった! 僕も行く!」
では、都会に巣食う不良たちは、どこへ向かというのだろうか?
ええい、考え事は後回しだ。
僕は美耶に、しゃがんでから腕で頭部を守るよう指示した。
まさにその時だった。ミシリ、と嫌な音が降ってきたのは。
「ん? 何だ?」
上方に向かって目を向ける。そこにあったものを見て、僕は、ざあっ! と冷や汗を噴出させた。さっきの鼻血に匹敵するぐらい。
「皆、上を見ろ! 配管が崩れてきてる!」
三階ぶんくらいの高さにある太い配管が、軋む音を立てながら歪んできた。がらんがらんという乱暴な音と共に、ネジやら金属片やらが落ちてくる。僕が後退りしていると、接続部が外れて、ぐわん、と垂れ下がってきた。
このままここにいたら? 赤ん坊にだって分かる。圧殺されるに違いない。
しかし、僕は我ながら奇妙な行動に出た。恐怖のあまりに動けなくなっている美耶を、思いっきり突き飛ばしたのだ。
反動で、僕の身体は配管の真下へ。ああ、こんなところでくたばることになるとは。もう少し大学の講義に出席していれば――よくはないか。
いずれにせよ、僕は自らの死を覚悟したのだ。誰かが抱き着くような格好で、俺を脱出させるまでは。
ぐしゃり、と金属質な轟音が響く。
あたりに砂塵が舞い散り、目や、鼻、口の感覚を奪い去る。
だが、周囲の状況が平常に戻るまで、さほどの時間はかからなかった。
「いてて……。な、何だ? 何が起こって……?」
僕は何かをしっかりと胸に抱いて、周囲を見回した。
突然の事態に、機動隊は撤退を余儀なくされた模様。不良たちにも負傷者がいるかもしれない。
すると突然、胸に抱いていた『何か』がもぞもぞと蠢いた。
「うわっ!?」
なんだなんだ? 何がいるんだよ、こんなところに!
這いずる格好で脱出した俺は、自分が何をしていたのかを認識して、再び汗まみれになった。
今度は冷や汗ではなく、非常事態を知らせる警戒信号のような汗だ。
え……えっ? もしかして、俺が抱きしめてたのって……。
「摩耶、なのか?」
「ふう、危ないところだったぜ……」
ふむ。僕の前で埃を叩き落としているのは、正真正銘の月野摩耶だった。
ということは、配管落下直前に俺に抱き着いてきたのもコイツなのか? つまり、俺の命の恩人は――。
俺が自分のしてしまったことに頭を抱えていると、とててて、と何者かがこちらに駆け寄ってくるのが察せられた。美耶だ。
「お姉ちゃん!」
「おう、美耶じゃん。どうしたんだ?」
「あの、配管、落っこちてきて、お姉ちゃん、下敷きに……」
すると、摩耶は軽快な声音で笑い出した。
「おいおい美耶、あたいを何だと思ってるんだ? お前の姉ちゃんだぞ、このくらいで死ぬもんかよ! でも――」
「でも?」
「なーんか、全身がいてぇんだよな。まるで饅頭に四方八方から締めつけられたみてえだ」
「痛いの?」
「いやいや! そんなに気にすんなよ。気にする必要があるのは、恐らく――」
摩耶の両眼がギラン、と殺気を帯びた。
「柊也、教えてやる。物事の動きには、必ず順序ってもんがある」
「お、おう」
「つまりな、さっき会ったばかりの女をいきなり襲うなんて、どれほどてめえが馬鹿なんだ、ってことだ」
「は、はい」
「仕えろ」
「え?」
「あたいに忠誠を誓え。でなきゃ、あたいの怒りってもんが収まらねえ」
俺は言葉を失った。
な、なんなんだ、この状況は? もちろん、俺が悪いのは承知しているが。
「返事はどうしたんだ、馬鹿野郎!」
摩耶は軽く美耶を遠ざけ、その場で一回転。まさか、俺に回し蹴りを食らわそうってのか!?
「ひっ!」
俺はさっと腕を上げ、摩耶の一撃から頭部を守ろうとした。いや、それでもきっと腕には激痛が走るに違いない。
どうして俺がこんな目に……。
バシッ、という、いかにも格闘技らしい音が響く。俺の肩から先には、想像以上の衝撃が。
……来ない?
薄っすらと目を開けると、摩耶がさっと飛び退くところだった。そして、見慣れた姿の第三者が立ちはだかっていた。まるで俺を守ろうとするかのように。
「何者だ、てめえ!」
「しがない執事でございます。長らく朔柊也様にお仕えしております」
って、ゲンさん!?
「ゲンさん! どうしてここに……?」
「おや、妙な事をおっしゃいますな、柊也様。わたくしはあなた様がお生まれにいなったその日から、ずっとお仕えしているのですよ? こんな天気の日に、主人の動向も察せられないとなれば、その者は立派な執事とは申し上げられません」
「つ、つええな、爺さん……」
「お褒めにあずかり光栄であります、月野摩耶様。ああ、そちらにいらっしゃるのが妹君の美耶様ですな」
「どっ、どうしてあたいらのことを知ってるんだ!?」
「執事としての情報網を活用しただけでございますよ」
いつもの笑みを一瞬たりとも崩さないゲンさん。これがプロの仕事なのか。
それはさておき。俺は一人で脳みそをフル回転させていた。
こんな場所で月野姉妹を生活させるわけにはいかない。衛生面に問題がなくとも、いつ警察に押し込まれるとも限らない場所では。
俺はゆっくりとゲンさんに顔を向け、尋ねた。
「ゲンさん、あの、この二人をうちで預かることってできませんか?」
「ほう?」
「お、おい柊也! 勝手に話を――」
「ご覧の通りですよ、ゲンさん。性格に難はあるでしょうが、俺はこの姉妹を安全な場所に匿ってやりたいんです」
ポン、といい音を立てて、摩耶の頭頂部から煙が出た。
「わたくしの、執事の立場から申し上げれば、十分可能な要請でございますよ」
「ありがとうございます」
「もう邸宅の方に参られますかな? そばの駐車場に車を用意してございます」
「分かりました。おい、摩耶、美耶! 行くぞ。こんな狭いところに比べれば、随分いい暮らしができるはずだ」
「そ、そりゃ、まあ……。あたいだって、何でもかんでも反対する気はねえけど、美耶が」
と言いかけた摩耶の手を、美耶が両手で包み込んだ。
「お姉ちゃん、もっと自分に楽をさせてあげてもいいと思う」
拙い言葉遣いで、しかしはっきりと意思表示をする美耶。
「分かったよ、つまり、あれだな? 新築一戸建てを買うつもりで行けばいいんだな」
「理解が早くて助かるぜ、摩耶」
「柊也! あんたに言ったわけじゃなくて!」
「へいへい」
「では、わたくしが車までご案内いたします。お三方、こちらへ」
こうして俺は、久々に同年代の少女と意思疎通をするきっかけを得たのだった。
ところで。
「柊也様。摩耶様と美耶様につきまして、何と申し上げればよろしいでしょう? 柊也様のご親戚、でしょうか?」
「うーん……。もっと近くてもいいような気がしますけど。妹、とか?」
「は、はあっ!? あたいがいつからあんたの妹なんかに……!」
「ふむ。畏まりました。では、お二人には今日から柊也様の妹になっていただきます。身分証明になるような資料の改竄はお任せください」
その後も摩耶はなにやら騒いでいたが、意外だったのは美耶が何も言わなかったということだ。
不思議系の女の子、という理解でいいのだろうか? 謎が深いな。
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