Ⅴ
白亜の手が触れていた部分を撫でながら、レトナは月を見上げていた。屋内からではなく、微風が森の香りを運ぶ屋根の上にて。
けれど。ディリアという、また別の美しい白を見た。物言わぬ骸の白ではなく、熱を持ち震える生きた白。太陽が抱くという
ディリアを拾ってからは三日、ディリアの目が覚めてからは二日。そして、ディリアの話し相手にシルヴェスタを呼んでからは一日が経過している。まだ安静にしてもらってはいるが、近いうちに、自由にさせてあげられるだろう。屋敷の中を見せてあげたいし、大切で自慢な書斎兼図書室も見てほしい。
月光に照らされ、姿の詳細も見えているレトナの顔は、ふんわりと緩まっていた。祖父の手記でしか知らない存在に遭遇した驚きだとか、元気になってくれるかどうかの不安とか、保護した側としてレトナも緊張していたのだ。ディリアもそうだったらしいが、お互いの手を重ねたこともあってか、内側に張り詰めていた糸は次々緩んでいる。
昼の国では、ディリアの真っ白な姿は、太陽の元で輝いているのだろうか。本で見た花畑のように、海原のように、色鮮やかな屋根の連なる街のように。夜の国の鉱石では、ディリアの白さを完全に照らしきれていない。あの純白を完全に照らしてくれるのなら、いま見上げている月しかないだろう。
早く、歩けるまでに回復してほしい。ほのかに温かいディリアの手を取って、祖父が造った素敵な屋敷を見せたい。ディリアは何て言うだろう。褒めてくれるだろうか。もし、自分と同じく素敵だと思ってくれたのなら、嬉しくてどうにかなってしまうかもしれない。
うずうずとした心地が抑えきれなくて、つい立ち上がってしまう。変わらず密やかな靴音と、衣擦れの音を引き連れて、哀悼以外を歌えない夜の国の少女は、踊った。真っ黒なローブとドレスに織り込まれた花の模様が、月光に照らし出されて咲いては隠れ、白と黒を行き来する。
レトナを含め、夜の国の人々は声を出さないし、表情も変わりにくい。だが、内に抱く感情の模様は、昼の国の人々と変わらないくらい鮮やかだ。綺麗なものを見れば心は弾むか穏やかになるし、楽しくなりそうなことには、期待で胸が膨らむ。妹神への喪服という姿勢を貫こうとも、普通の人であることに変わりはない。
器用に舞い踊り、満足した後。屋敷の
「ずいぶんご機嫌だな、お嬢さん」
浮かれ気分は残っていたが、食事の準備もあるし、そろそろ戻ろうかと思った矢先。宿した星をきらめかせて、シルヴェスタが飛んできた。レトナが片腕を差し出せば、軽やかな羽音を立ててそこへ止まる。
「ディリアから君に伝言。食事は一緒の部屋で取らないか、と。話すことは難しいが、一緒に食卓を囲むというのは、なかなか楽しいものらしい」
とことこ、腕から肩へ移動した星烏が、月光を弾く目で覗き込んでくる。シルヴェスタは目を見るだけで大部分を汲み取ってくれるが、レトナはそれに頼るより前に頷いた。同じ部屋で食事をする楽しさは、祖父がいた時に教えてもらったので。
「おやおや。君も君で、あのお嬢さんのことを気に入っているんだねぇ。微笑ましいことだ。……うん? 私も一緒にどうかって? いやいや、私の食事は君たちのものとは違うんだ。とても魅力的なお誘いをいただけて嬉しいが、辞退させてもらうよ。お気遣いどうもありがとう」
翼を広げて器用にお辞儀をした後、シルヴェスタはレトナのローブに
「君の配慮がありがたかったものだから、さっきの思い付きを忘れるところだった。ディリアとも踊ってみたらどうだい、レトナ。お祖父さんから合わせ方は教わっただろう?」
こくり、またもレトナは素早く頷く。それは彼女自身も考えていた。月光が差す舞踏室で、あの純白の少女が踊ってくれる光景を想像すると、それだけでもう胸がいっぱいになる。
「ふふふ。同じことを考えていたって顔をしているね。彼女が踊る姿も、君が踊る姿も、きっと素敵に違いない。そんな素敵なもの同士が、手を取り合って踊っているとなれば……ああ、私ってば感激して、年甲斐もなく跳ね回ってしまいそうだ!」
こくこく、同じ感動を味わっている星烏に、レトナは何度も頷いた。そういえばシルヴェスタって何歳なのだろうと謎が沸いたものの、素敵な隣人であることには変わりないため、すぐ気にならなくなった。
再び舞い踊りたくなるが、まず食事の用意をしなければ。その後、ディリアをダンスに誘おう。
浮かれ気分が現れた早足で、レトナは厨房に向かう。なんとなく、これから作る料理は美味しく仕上がりそうな、楽しくなりそうな予感がしていた。
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