Ⅳ
腹の底からじんわりと、体の端々まで巡っていく温かさに、ディリアは目を細める。初めて食べた
真っ白な光に包まれ、たくさんの色彩が並ぶ昼の国と違って、夜の国は真っ黒な闇の中に、様々な色が溶け合っている。はっきりと区切られない様相は、青と
ふと、純黒の少女が脳裏によぎった。ひんやりと冷たい黒檀の手で、手のひらに名前を書いてくれた少女。レトナという名前の彼女は、底知れない真っ黒な瞳を持っていた。そこに鉱石の光が映り込むと、朧な虹が架かったように見えて、とても綺麗だった。
何も話さない彼女、何を考えているか分からない彼女。でも、恐ろしくはなくて、穏やかな静謐を纏った少女。教えてくれた名前を口にしなければ、闇に溶けたままのような、純黒。
「レトナ……」
ぽつりとディリアが声を零した直後、ノックの音が転がり込んできた。びくりと肩を震わせる間に、容赦なくドアは開けられて、呟いた名前の持ち主が入ってくる。
「やあやあ、どうもこんにちは」
角灯を引き連れて、迷いのない静かな足音が近づいてくるかと思えば、聞こえてきたのは軽快な声。何事かと目を凝らせば、レトナの肩に声の主を見つけられた。
相変わらず無言のレトナは、片手に持っていた棒を、サイドテーブルの隣に立てる。短い横棒を頂いたそこへ、純黒の肩からばさりと影が降り立つ。角灯と大きな鉱石の光に照らし出された影は、羽に星を宿した烏の姿をしていた。
「回復したようで何よりだ、昼の国から来たお嬢さん。仲間たちと一緒に、森で君を見つけた時は、一大事だと思ったからね。急いでレトナを呼びに飛んで正解だったよ」
「あ、あなたも、わたしを助けてくれたのですね」
気圧されつつもディリアが言葉を返すと、喋る星烏は首を横に振った。「助けたのはレトナさ。私は飛んで鳴いただけだよ」と、謙遜の言葉を
「私はシルヴェスタと名乗っている。純白のお嬢さん、君のお名前をお聞きしても?」
「ディリアといいます」
「素敵な響きだ、教えてくれてどうもありがとう。さて、ディリア。こうして私が君に話しかけているのは、君の話し相手を任されたからだ。夜の国では、多くの者たちが口を閉ざしているからね。昼の国から来た君には、静かすぎるのではないかと心配したレトナに呼ばれて、お喋りの相手を頼まれたのさ」
つらつらつら、
緊張もほぐれたところで、最初にシルヴェスタが話し出したのは、夜の国についての常識。夜の国では限られた機会にしか話すことができず、シルヴェスタたち動物の一部は例外であるということ。月である妹神が亡くなった原因のため、火を厭うこと。太陽の光に慣れた昼の国の人にとって、月の光は弱く遠く、故に寒さを感じてしまうということ。これらの情報はレトナが伝えたかったことだが、話せないためにシルヴェスタが代弁を務めたということも。
「私はレトナの祖父、この屋敷を建てた張本人とも親交があってね。この純黒のお嬢さんとは、結構長い付き合いなのさ。その付き合いから断言できるが、レトナは善良で友好的、とても素敵な女の子だよ。君もレトナに親しみを覚えているようだし、私が嘴を挟むよりは、お互いの手で語り合う方が良いと思うな」
ディリアに話しかけっぱなしだったシルヴェスタは、「ねぇ?」とレトナの方を向く。無言のみならず無表情も貫いていたレトナは、ただ数回だけ瞬きをしていた。
何を考えているのかも相変わらず窺えないが、レトナはおもむろに、ディリアの手を取る。ひんやりとした黒檀の指が、再び手のひらへ字を書き連ねていく。
『あたしは、あなたほど早く話せない。言葉に代わる意思伝達の魔術を探して、無ければ作ってみようと思うけど、あなたが帰るまでには、間に合わないかもしれない』
「……いいえ。魔術を使う必要なんてないわ。わたし、あなたが指で話してくれるのを、とても好ましく思っているの」
空いていた片手で、字を受け取る手を掬い上げた純黒に触れる。レトナはただ、重ねられた白亜の手を見つめ、次いでディリアの瞳も見つめてきた。光を映して仄かにきらめく、静穏を湛えた黒い瞳で。
「声で話すのは、確かに便利だわ。でも、せっかく目の前にいてくれるのなら、わたしはあなたの指から言葉を聞きたい。どんなにゆっくりでも構わないから」
『分かった』
再び現れた緊張が覗く声での申し出に、黒檀の指は、迷うことなく即答した。
『だけど、とても長い説明が必要な場合とかは、シルヴェスタに頼んで話してもらう。あたしが来られない時も、この星烏を置いておくから、声の会話はそちらと楽しんで』
「ええ、もちろん。シルヴェスタさんとも、いいお友だちになれそうだわ。連れて来てくれてありがとう。シルヴェスタさんも、来てくださってありがとう」
「いやいや、私のお喋りが役に立つというなら、お安い御用。迷惑でないのなら、それに越したことはない」
翼を器用に使い広げながら、星烏はまるで、演説をする人のように振舞って見せる。お辞儀の後、ウインクまで投げる姿に、ディリアはつい声を立てて笑ってしまっていた。昼の国を出て夜の国へ来るまで、笑い声など出せなかったことに、そこで初めて気づいた。
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