Ⅲ
昼の国の人々は、太陽がもたらす熱に慣れている。そのため、夜の国に降り注ぐ月光だけでは、寒くて動けなくなってしまう。
そう、祖父の手記で読んだ時には、うっすらと疑心さえ抱いていたレトナだったが。森で拾った純白の少女、昼の国からの来訪者は、本当に冷えて凍えていた。保護した後はベッドに放り込んで、体を内から温める薬草入りの料理を食べてもらった。
レトナの祖父は、昼の国からの来訪者を助けた人に話を聞いたり、自身も迷い人を助けたりしていたのだという。夕の境から入ってきた昼の国の人が、この屋敷が建つ森の中で迷うことも、何回か先例があったらしい。それが今、実際に役立っているので、レトナは改めて祖父に感謝した。
ディリアと名乗った彼女が、声を出せるまでに回復してくれたことを安堵しつつ、レトナは再び書斎で考え込んでいた。トレイを回収しに行った際、話し相手を呼ぶと指で伝えたのだが、来訪者は首を横に振ったのだ。
「わたしは、あなたとお話がしたいわ、レトナ」
ほのかなのは同じなのに、鉱石が発する微熱よりも温い白亜の手で、黒檀の手を包んで。張り詰めた純白の目で、静寂を湛えた純黒の目を見つめて。
お話ししたいと言われても、限られた場でしか声を発せない夜の国では、ディリアの要望は叶えにくい。そういった事情を説明するにも、彼女の手のひらへ指で書き伝えるのでは遅い。やはり、候補に挙げていた話し相手を、早々に呼び寄せた方がいいと結論が出た。
レトナは本棚の一角に歩み寄ると、かちゃりかちゃり、目立たず仕組まれた留め具を外していく。すると本棚はドアに変わり、開けば隠されていた階段が現れる。
浮遊する角灯を先行させて、螺旋を描く隠し階段を上がっていく。書斎兼図書室は屋敷の端、外から見ると塔のようになっている部分にあり、二階の空間まで使っている。その上に造られている屋根裏こそ、階段の終着点だ。
飾り気のない木製のドアを開け、足を踏み入れた屋根裏部屋は、天窓から差し込んだ月光に満たされていた。神の骸に温もりを濾され、冷たくなった青交じりの白が、しまわれた道具たちとレトナを照らし出している。
祖父から贈られたローブ、両親が遺してくれたドレスに靴。レトナを包む物はすべて黒く、そして彼女自身も純黒。閉ざされた帳の内では暗がりと同化し、妹神の近くで初めて、その姿をあらわにする。
月光の舞台に、レトナは道具を一つ引き寄せた。くいと指を曲げただけの合図で、魔術によって浮き上がり舞台へ上げられたそれは、一台のピアノ。さらに天窓と、ピアノの正面にある窓を触れもせずに開けながら、レトナもまた舞台へ上がる。一緒に引き出したコートハンガーにローブを掛け、同じく一緒に引き出した椅子に腰かける。
黒檀の指が奏でるのは、月へ捧げる鎮魂曲。夜の国では誰もが知っている、妹神の死を悼む調べ。誰かが弾けば、誰かが歌い出す。そうして周囲にも広がっていく。人から離れ、森に囲まれた屋敷でも同様だ。違うところといえば、歌うのが人ではないというだけ。
「――女神よ、夜の国を治める主よ。我らを照らすあなたの夢が、安らぎに満ちたものでありますよう」
透き通った旋律に、伸びやかな歌声が混ざる。先導するような一つに、他の歌声が追随する。
「火を遠ざけ水と親しみ、あなたの傷を癒しましょう。熱さを遠ざけ寒さと親しみ、あなたの体を守りましょう」
歌うのは、羽音もなく窓辺にやってきた鳥たち。大きなものも、小さなものも、厳かに声を重ねていく。
「あなたの眠りを妨げぬよう、我らは声を抑えましょう。けれど、あなたへ想いを馳せる時は、どうか歌うことをお許しください――」
鳥たちの歌声は、沈殿した青い闇へと溶けていく。後を追って、ピアノの音も落ちていく。演奏が終わると、大半の鳥たちは何事もなかったかのように飛び去って行くが、天窓から一つ、ピアノの傍へ降りてきた影があった。
「やあ、レトナ。相変わらず素敵な演奏だったね」
落ち着いた声で話すのは、真っ黒な体に星のきらめきを宿した
「昼の国から来たお嬢さんはどう? ……ふむ、大丈夫らしいね。けれどもそのお嬢さんのことで、私を呼び寄せた。違うかな?」
話さなくても、星烏は容易く心の内を言い当ててくる。その気楽さがありがたい。レトナは頷きながら、あらかじめ持ってきていた依頼書を、掛けていたローブから取り出して広げた。
「ほう、お嬢さんの話し相手。彼女が帰るまで、この屋敷に居候の許可を貰える上に、食事まで提供してもらえると……」
レトナと入れ替わるように、ピアノの椅子に飛び乗っていた星烏は、依頼書の内容を
「この私、シルヴェスタにお任せあれ。君にも披露してきた流暢な話術で、真昼のお嬢さんをおもてなししてみせよう」
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