ディリアはいつも不思議に思っていた。なぜ、夜の国へ行ってはいけないのだろう、と。

 太陽の光と豊かな色彩に満ち溢れ、きらめき楽しい昼の国と違って、夜の国は黒の帳に覆われているという。月となった妹神の眠りを妨げないように、その死をいたみ忘れないように、喪に服しているのだと。

 夕の神が見張る境を超えて、夜の国へ向かう人もいた。けれど、その多くは帰ってこなかった。朝の神が見張る境を超えて、昼の国へやってくる人もいなかった。

 せっかく二つも国があって、変わらず人が暮らしているというのに。どうして仲良くできないのかしら。ディリアはそんなことばかり考えていた。空想だと笑われても、危ないことを考えるなと言われても、やっぱり考えてしまう。

 そうしてとうとう、ディリアは人目を避けて、夜の国を目指し歩き始めた。置き手紙を読んできた人たちに追いつかれないよう、夕の境まで急いだ。

 夕の境は、白々とした昼の国と違って、黄金と赤を混ぜ合わせたような色をしていた。振り返れば太陽が赤く、行く先には紫紺がすそを広げている。太陽の光から遠く、黒い紗幕しゃまくを一枚通したかのように暗い世界に、ディリアの胸はざわめいた。それでも足を止めることはできず、広漠とした荒野に踏み出した。


「夜の国へ、何をしに行く」


 そこへ、空から涼やかな声が降ってくる。

 弾かれるように上を見れば、宙に浮く銀色の影があった。男性か女性か分からない姿の人物は、ゆったりとした衣服に身を包み、ディリアをじっと見つめている。その瞳となびく髪は、遠ざかる太陽の光を受け、同じ色に染まっている。


「私は夕を見張り治める者。昼の国に生まれた者よ、なぜ夜の国へ向かおうとする」

「夜の国について知りたいのです。そのために、自分の足で参りました」


 同じ地に降り立った夕の見張り番に、ディリアはスカートを持ち上げ、片膝をついた。太陽たる姉神が泣き続けていた時、人々の祈りによって生まれた二柱の神。その片方が今、目の前にいる銀色の者に違いないと確信して。


「夜の国にも、わたしたちと同じように、人が暮らしていると聞きます。ならば何故、関わり手を取り合えないのでしょう。わたしはそれが知りたいのです」

「夜の国は、死を悼む者たちの国であるが故。生を謳歌する昼の国とは相容れぬ」


 求めていた答えは簡単に差し出されたが、ディリアは引き下がれなかった。伝聞ではなく、自分の目で確かめたい。そのためには、神でさえ説き伏せなければならない。


「だが、夜の国は受け入れる場所。踏み込むものは、何であっても拒絶しない」


 ところが、覚悟は即刻不要となった。驚きに顔を上げてみれば、夕を見張る神は道を譲るように、ディリアの眼前から外れている。


「夜の国は、来る者をすべからく受け入れる。されど、去る者には何も渡さぬ。帰還する時には、何も持ち出さないように。そして滞在中は、火の類を使わないように」


 くら黄金こがねに紫を交えた、遠い陽光にきらめく銀の双眸。感情の窺えない瞳に、立ち上がったディリアは一礼して、再度足を踏み出した。

 立ち塞がるものも、追いかけてくるものもなく。真っ赤な太陽に背を向けて、純白の少女は黒い帳の内へ進む。溶けて深みを増した暗色の紗幕を、一枚、また一枚とくぐる。陽光の色と混じり合った紫は、藍から生まれた青へ。青を生み出した藍は、黒から生まれた紺へ。

 やがて、遠くに真っ白な光が見えた。あれこそが、帳の隠すひつぎの主。骸と化してもなお、姉神の力を通して光をもたらす妹神、すなわち月だ。けれどもその光は、太陽よりも冷たい。

 荒野は終わり、ディリアは草地を通過して、蒼黒い森へと入っていた。淡く光る植物やきのこ、苔や岩などが足元を照らす森は、見通しが悪くひんやりとしている。昼の国にある森でさえ迷ってしまうのに、広く強い光もなく暗闇に覆われているのなら、迷子になるのも時間の問題だろう。

 その予想に違わず、ディリアは夜の森を一人、さまよう羽目になってしまった。

 道中、追っ手を撒くために力を行使してきたため、魔術で手元に浮かべた光も長くは保てない。加えて、入った時には気にならなかった冷感が、どんどん強まってきている。しかし、夕の神から火の類を使うなと忠告されたこともあって、暖を取ることはできない。ついには寒さで動くこともままらなくなり、ディリアは見知らぬ森の中、自分の体を抱きしめるようにして座り込んでしまった。

 体内に抱えた微熱もか細く、もはや火に頼るしかないと諦めかけた、その時だったのだ。宙に浮かべた淡い光を引き連れて、黒一色の人影がやって来たのは。

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